鶴川落語会の成り立ちと目指すもの
突然ですが、本日12月5日は、私(主催・今野)の夫の命日です。5年前に57歳で亡くなりました。夫はテレビ番組制作会社の社員で、「TBS落語研究会」という番組のプロデューサー兼ディレクターで、他に「落語のピン」「落語小僧」「落語ディーパー」の制作にも関わっていました。その夫と私で鶴川落語会を立ち上げ、途中様々な方のお力添えでNPO法人の認証を受け、現在に至ります。
夫が、近所に300席のホール(今の和光大学ポプリホール鶴川)ができるらしいという情報を掴んできたのが2011年の終わり頃。その翌年2012年に和光大学ポプリホール鶴川がオープン、2013年に鶴川落語会がスタートしました。
鶴川落語会という会は、都心から少し離れているけれど、地方ではない、ちょっと中途半端なところで開催しています。この地で落語マニアが喜ぶ会をやっても、お客様は着いて来てくれないし、新規顧客の開拓には繋がらないと夫は考えていました。だからと言って、テレビで有名な落語家さんでお客様を集めても、落語界全体の繁栄に繋がらないとも考えていました。新規顧客の開拓が落語界の繁栄に繋がり、落語界が盛り上がれば新規顧客は自ずと増えていく。そう考えていました。
会の構成も二人会にこだわっていました。たまに三〜四人会や独演会も開催していますが、特別な企画を除いてほぼ二人会で開催してきました。夫は二人会を「最小単位での寄席」と捉えており、二人会が面白いと思えるお客様が増えれば、自然と寄席へ足が向くようになると考えていました。鶴川落語会の二人会が面白いと思えるようになってくれたら、寄席も楽しめるという流れを狙っていたのです。
私に亡くなった夫の代わりが務まるとは、今も思えませんし、弔い合戦のような感情は1ミリもありませんが、夫の思い描いていた落語の未来を、私も見てみたいと思いますし、夫と一緒に鶴川落語会に取り組んだ数年は刺激的で、充実した時間でした。夫婦としてというよりは戦友として、夫の思いを間近で見て感じて来た人間として、このコンセプトを曲げることなく継続していきたいと考えています。
こういう話をどこかに書きたかったのですが、なかなか機会がなく、ここまで来てしまいました。落語を楽しみに観に来られるお客様には、あまり関係ない(むしろ、知る必要がない)話です。読み流していただいて構いません。多分、亡くなって五年という節目を迎え、自分自身のために書いているのだろうと思います。
12月5日の命日のうちにこの文章を載せたいと思いついて30分程度で書いたので、ざっくりとした記事になりましたが、また機会があればここに書いていきたいと思っています。