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写真で「記憶」と「記録」を残す。~琉球展から学ぶ~
キャンパスライフも残り半年を切りました。そこで、卒業アルバムのために写真を撮る機会が増えました。同級生は「嫌だ~」と言っていますが、私はかなり前向きです。
なぜなら、写真は「記録」と「記憶」が残るからです。
もちろん、加工アプリを使って、自撮りも盛れていいけれど。可愛くなれるのは本望ですからね。しかし、やはり現実を突きつけられるのがノーマルカメラや他撮り。肌綺麗な方が良いし、可愛い方がいいもんね。
ということで、今回は「写真」を撮る意味について、以前見に行った「沖縄復帰50年記念特別展 琉球」をもとに綴っていきます。
「記憶」と「記録」
大事なのは「記憶」と「記録」
上の言葉は今年開催された、沖縄復帰50周年記念特別展「琉球」の音声ガイドで語りの「津嘉山正種」さんが言っていた言葉です。
さらに詳しく言うと
人々の記憶に残るもの。でも、記憶にあるだけでは意味が無い。それを記録してこそ、後世につなぐことが出来る。
記憶
琉球展の展示品の1つである「旧円覚寺仁王像残欠」こちらは、沖縄戦で破壊されましたが、首里の市民の方々が戦後に集めたことによって、現在まで紡がれています。
ここでの記憶は、「首里の市民の方々の記憶」です。当時の市民の方々が大切に想ってきて、残したいと思ったからこそ、21世紀を生きる私たちにの記憶に残る得るものになるのではないでしょうか。
記録
首里城正殿前に設置されていた「大龍柱(吽形)」。こちらも沖縄戦で破壊され、現在は頭部だけが残されています。
ただ文章で「○○に置かれていて、高さ○mあった」と書かれてあっても、なかなか想像がつきません。そこに写真があると想像しやすいですよね。大龍柱の展示とともに元の姿の写真も展示してありました。何も知らない私が知る術は、写真なのだとそこで実感しました。
写真があれば説得力増すのに
本当であれば「旧円覚寺仁王像残欠」と「大龍柱」の写真を載せたかったのですが、著作権がよく分からないため断念。お時間ある方、興味のある方はぜひ調べてみてくださいね。
今しかない感性で
Twitterで自分の子どもの乳幼児期の写真を加工アプリで撮るばかりで、「無加工の写真がないことにあとから後悔した」という旨のツイートを見たことがあります。
今しかない、今しか残せないものをそのままを写真で撮ることもいいのかもしれませんね。
写真があれば言葉がなくても理解できる。写真があれば記憶が蘇る。
スマホでいつでも写真が撮れる時代。「記憶」と「記録」するために写真を撮ってみてはいかがでしょうか。
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