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みんなが心強さを持てる社会にすること

リビセンフォーラム2024
⇒正式には「ローカル・リユース・フォーラム2024」でした
(Xの投稿でずっと誤ってました)

行ってきました。
午前中のまちあるきでは、リビセンが手掛けたリノベ店舗数件を見学

古材をつかったこだわりの部分の説明を受ける

昼の東野唯史さんのトークに始まり、13時からはエリアリノベーションの先駆者であるOpen Aの馬場正尊さん・公共R不動産飯石藍さん、リビセン共同代表の東野華南子さんを加えたクロストーク。

リビセンフォーラム開会!

~~~以下メモ
【東野さんトークより】
空き家と古材で暮らしを豊かにする地域資源のリユースカンパニー⇒リビセン

次世代に繋いでいきたいモノと文化を掬い上げ、再構築し、楽しくたくましく生きていけるこれからの景色を、デザインしていきます。

世の中に見捨てられたものに価値を見出し、もう一度世の中に送りだし、次の世代につないでいく。

レスキュー=次へつないでいく 買い取るだけではなく売れてレスキュー完了 りんごレスキュー⇒カフェに

1次=収穫:レスキュー(空き家=都市森林) 2次=加工:釘抜、清掃、制作(サポーターズの活躍) 3次=販売:店頭販売・設計使用(自社利用も多い) ※原材料がほとんどないので外的影響を受けにくい

木材をレスキューすることで「乾燥」の工程を省略できる。 しかしながらレスキュー⇒使える古材にするまでの販管費がかかる⇒雇用を生み出すチャンス

ノスタルジー⇒サスティナブル
古材っぽさが好き⇒環境負荷が少ない
インダストリアル⇒自由なデザイン
オリジナリティ⇒サスティナブル

古材を使うこと、古道具を買うこと全てがゴミを減らすことにつながる地域の不要なものが誰かの必要なものになりゴミが減って暮らしが豊かになる

地域資源をレスキューする⇒リノベーションで活かす⇒ひとが集まる⇒エリアが育つ⇒地域資源(空き家・古材)をレスキューするのサイクル

今、この町に何が足りなくて、何が必要なのか?

どんなに小さかったとしても、その1つのプロジェクトがあることで町は変わっていく。

【馬場さんトークより】
インタビューは「まほうのじゅうたん」。 どこへでも飛んでいける。 たしかに。 コミュニケーション・デザイン界の魔法の絨毯かもな。

マスメディア→お金等の力も駆使して広く浅く届ける マイクロメディア→尖ったメッセージで深くグサッと刺す

旅をするように仕事をする方法と 垂直的に掘り下げて仕事をする方法と 「自分の居場所」というレイヤーを見つける方法として、両方必要なのかも。

PARKnize=公園化する都市 都市は公園化されたがっている。
1925年前後、近代建築(ビル建築)が始まった。あれから100年が過ぎて、建築は、仕事は、どう変わっていくのか?

19世紀の仕事=労働Labor⇔工場
20世紀の仕事=仕事worker⇔会社
21世紀の仕事=Play&Care⇒楽しみ、ケアする

1 密から疎へ 2 所有から共有へ 3 集中から分散へ 4 競争から共創へ 5 中心から周縁へ 変化は常に周縁から起こる

クリエイティブ・ローカル クリエイティブはローカルからしか始まらないのでは?
~~~

この中の「所有から共有へ」のところだけでなく、1~5すべてに、リビセンの取り組みに体現されている、と感じた。

誰とどんなものをどんなふうに共有しているか? ものすごいバリエーションの共有システムがある。 まちを所有する(共有する)っていうことなのだろうな、と。

たとえば、リビセンが仕掛ける「ぶらぶらタンブラー」

ご家庭に眠っているタンブラーをお店でテイクアウトドリンクに使って、別のお店に返す(返してもいい)という取り組み。この「別のお店」は別に飲食店でなくても構わない。ぶらぶらタンブラーのステッカーが貼ってあれば、返すことができる。

「ぶらぶらタンブラー」は何を共有しているのだろうか?

東野さんのトークの中にあった「リビセンが耕しているエリア(でこの8年年で30軒ほどのお店ができて、そのうち15軒にリビセンが関わっている)」っていう表現が良かったなあ。 「文化」って耕すものなのだろうな、と。

それは、リビングループを仕掛ける池袋にも当てはまる
~~~
ここから飯石藍さん×馬場さんトークより

僕たちは有機体として生きていて、だからこそあいまいな存在で・・・ 都市や建築の境界があいまいになっていくと、私有地の共有化が起こり、個とパブリックの境界もあいまいになっていく。 

暮らしとまちを耕す=これからのパブリックのカタチを考える。まちのリビングとしての公園 つづけながらチューニングする イベントから日常へ

「ごみひろいとコーヒー」みたいに、ともにたくらみ、行動し、くらしをおもしろがる

みんなで練習する=社会実験する。いきなり正解だせない⇒関わりの余白をデザインする 「練習しようぜ」って呼びかける

いきなり正解を作り出すのは難しい⇒手を動かしながら、徐々にほしいものに辿り着く「練習」の時間が必要
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この「練習」っていうコンセプトも大事だな、と。
「挑戦」じゃなく「実験」
「本番」じゃなく「練習」
「実行」じゃなく「下見」

まさに、これだなあと。
「実験、練習、下見」しようって。

馬場さんが言っていた。
「2016年にリビセンがオープンした時、見たこともない展開が起こるような気がしていた。地方都市だからこそ場所が大きくて余白があった。」

東野さんが応えた。
「見えない何者かに背中を押され続けてここまできた。」と。

次に印象に残ったのは「天地人」の話。
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東野さんたちがリノベーション案件をやるときに心がけていたことは「施主にいちばんがんばってもらう」だった。そうすると⇒応援する人が集まってくる ⇒奇跡が起こる
※奇跡をたぐりよせるくらい頑張っているか?

天地人の天=タイミングをつかむためにチームがあるのかもしれない。 タイミングはたくさん転がっていて、属性が違うからこそ、タイミングをつかめる

「わたしが住みたいまちにする」 ⇒自分たちの町は自分たちで愛せるようにする

小さいけれど火は消さないこと

当事者がいちばん楽しんでいるかどうか

「わたしたちのまちはわたしたちで創る」の気持ちを耕す

~~~
メッセージひとつひとつが胸に刺さる。

「天地人:タイミングと場所と仲間」
それをつかみつづけているのがリビセンの実践なのだろうな。

それらを一言で表すならば「PARKnize=公園化」ってなるのかもしれないと思った。

個と場のあいだ
所有と共有のあいだ
Playとcareのあいだ

それを(意図的にも結果的にも)デザインし続けているのだろうと思った。

長文お読みいただきありがとうございます。
終わりにフォーラムのラストメッセージを。

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みんなが心強さを持てる社会にすること

古道具を活用できた
古材で何か作れた
身のまわりの何かを直せた
捨てられるはずだったものが活かせた

リビセンみたいなお店がそんな場所になって心強さを実感できる場所が増えたらいい
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リビセンみたいなお店、僕もつくります。
たしかにタスキ、受け取りました。

Rebuild New Culture together!

リビセンフォーラム2024 2024.11.25

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