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20機目「評価と贈与の経済学」
「評価と贈与の経済学」(内田樹 岡田斗司夫 徳間ポケット)
内田樹さんは言います。
~~~ここから引用
1980年代以降のイデオロギーは、他人がおなじ家のなかにいるせいで、可動域が制約される、自由なふるまいが許されない、自己実現が妨げられている、
だから「家族は解体すべきだ」という考え方を流布しましたよね。自分の欲望を実現すること、好きな生き方をすることが人間の最優先の目標だと言われてきた。
でも、そんなイデオロギーが大声で言われるようになったのって、ほんとうにごくごく最近の話ですよ。そんな話、江戸時代でも明治時代でも、戦後すぐでも、ありえなかった。
「自己実現があらゆることに優先する」
なんて言ったら、気が狂っていると思われましたよ。
あらゆることに優先するのは「集団が生き延びること」ですから。単独で「誰にも迷惑かけない、かけられない」生き方を貫くより、集団的に生きて「迷惑をかけたり、かけられたり」するほうが生き延びる確率が圧倒的に高いんですから。
~~~ここまで引用
なるほどなあ、と。「自己実現があらゆることに優先する」というのは、経済の要請だったように思います。
「第四の消費」で三浦展さんも同じようなことを書いていたけど、経済成長というか、工業、とくにテレビなど家電の製造業がメインだったときに、
すでに「一家に一台」あったものを
「自己実現のために」「ひとり一台」買った方がいい。
テレビは一部屋に一台あったほうがチャンネル争いをしなくてもいいとか、そもそも同居をやめて、一人暮らしを始めれば、冷蔵庫も洗濯機ももう一台ずつ必要になるのだから。
こうして、ポスト団塊世代の消費の減少(詳しくは「デフレの正体」(藻谷浩介)へ)による日本経済の落ち込みを抑えてきたのだろうと思います。
「自己実現」というイデオロギーの裏には、そういう事情もあったと。
結果。
必要以上に「自立」(特に経済的自立)がひとりひとりに求められるようになり、結果、苦しくなった若者が弾きだされ、現代社会での働けない若者や精神的に苦しい若者を生み出しているのではないかと思います。
ひとりでも生きていける時代は終わったとこの本ではいい。岡田さんは「拡張型家族」を作っていくことを提唱しています。
「お金をいっぱい持っているのに、奢る相手というか、誰かを養うあてが全然ない人たちと、なんかいろんなことやりたいんだけどもとりあえず働くところがないとか、住むところがないといった人たちがうまく組み合わされば拡張型家族は作れますよね」(本文より引用)
なるほどな。
拡張型家族。
一家を構える、というとあっち系の人たちになってしまうけど、そういう感じ。
「ひとりでも(あるいは核家族単位で)生きていける時代は終わった」
これこそがリアルなのではないでしょうか。