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26機目「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」
世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? ~経営における「アート」と「サイエンス」 (山口周 光文社新書)
25機目の「劣化するオッサン社会の処方箋」につづいて読んでほしいのはこの本です。
僕は約2年前この本を読んで、今の働き方は美しくないな、と思って前職を退職しました。
~~~今日のメモ
「イノベーションが競争の鍵だ」ということを誰もが言うようになったということは、つまりすでにイノベーションは競争の鍵ではない、ということでもあります。
競争戦略というのは差別化を追求するわけですから、皆が同じ目標を掲げて走っているという現在の状況の先に、大きな見返りがあるとは考えられない。
問題になるのは「イノベーションのその先」に何を追求するか、ということです。このパースペクティブを持たないままに、「イノベーションの実現」だけをゴールに走るのは非常に危険だと思います。
世界観とストーリーは決してコピーすることができない。
デザインとテクノロジーはコピーできるが、ストーリー性だけは、コピーされてもオリジナル価値が揺るがない最後の価値である
アカウンタビリティとは要するに「言語化できる」ということであり、言語化できることは全てコピーできるということです。
ノート型パソコンというイノベーションを生み出したのは東芝でした。優れたイノベーションは、それが優れていればいるほど、即座にコピーされることになります。デザインとテクノロジーはサイエンスの力によって容易、かつ徹底的にコピーすることが可能だからです。
人生を評価する自分なりのモノサシを持ちなさい
これからのビジネスリーダーの素養として、最も重要な要素は何かそれはセルフアウェアネス=自己認識である。つまり、自分の状況認識、自分の強みや弱み、自分の価値観や志向性など、自分の内側にあるものに気づく力のことです。
「システムに良く適応する」ということと、「より良い生を営む」というのは、全く違うことだからです。
「誠実性」というコンピテンシーを高い水準で発揮している人は、外部から与えられたルールや規則ではなく、自分の中にある基準に照らして、難しい判断をしています。
「悪とは、システムを無批判に受け入れることである。」ハンナ・アーレント
「悪」というものが、システムを受け入れ、それに実直に従おうとする「誠実さ」によって、引き起こされるものだとすれば、私たちは、「悪」に手を染めないために、どうすればいいのか?
「システムを相対化すること」しかありません。
自分なりの「美意識」を持ち、その美意識に照らしてシステムを批判的に見ることでしか、私たちは「悪」から遠ざかるすべはないのです。
一方でシステムから排除されてしまえば、社会的な成功を収めることは難しい。ここに私たちが向き合っている大変難しい問題があります。
「システムを批判的に対象化する」ということは、そのまま「システムを全否定する」ことを意味するわけではありません。
システムを修正できるのは、システムに適応している人だけです。
つまりエリートの役割なのです。
~~~ここまで今日のメモ
やっとタイトルの意味が分かった。エリートこそがシステムを修正できる。そしてそれに気づくのは美意識の力だ。
オウム真理教事件が引き起こされたのは、システムへの過度の適応と美意識の欠如だった。
美しさを鍛えながら、クリティカル・シンキングというか、相対的にシステムを見ることが必要だ。
本を読み、美意識を磨き、目の前のことをどう感じるのか、表現していくこと。
それは本当ですか?
と問いかけること。
たとえば、「自分に自信がない」っていうのはダメなことだと思えるけど、それは本当にダメなことなのか?
ひとりでは何もできない。ということは、言い方を変えれば、必ず誰かと一緒にやるということ。
それっていま、むしろ求められてるんじゃないの?っていう、そういう発想。フラットな関係性の中でプラスを掛け合わせていく。
そういう中で「美しい」に出会うこと。
「美しくない」と思うことはやめること。
その繰り返しで、自らの「美意識」を鍛えること。
それが一番、大学時代に必要なことなんじゃないのか?
と僕は思います。