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47機目「共感資本社会を生きる」
「共感資本社会を生きる」(新井和宏・高橋博之 ダイヤモンド社)
45機目「共同体の基礎理論」
46機目「しょぼい生活革命」
47機目「共感資本社会を生きる」
と、この順番に読んで未来を展望したい。流れがすごく良い。
鎌倉投信株式会社ファウンダー新井さんと東北食べる通信・高橋さんのお二人の次なるステップのその先に見ているもの。
どきどきしながら読み終わりました。
~~~ここから引用とメモ
都会の人って、僕を含めて消費者でしかなくて、みんな割と「点」で生きている。自分の得になることしか考えていない。でも生産者ってすごいんです。亡くなったじいちゃん、ばあちゃんの話はするし、先祖の話、未来の孫子の話、そして動植物、森、海、山、川などの自然の話も。だから「面」なんですよ、あの人たち。あの人たちは面における自分っていうのをすごく意識していて、そこが個でしか生きられない都会の人と全然違うなと思っています。
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「まきどき村」の「営み」っていうのもきっとそうだなと。地域には、「面」っていうのと、時間的な流れである「タテ軸」が流れている、つまり自らが3次元的な空間の中にある1つの点であることが感じられるのではないかな。
生きてる実感から遠ざかるっていうことが起こるのは、もはやいまを犠牲にする正当な理由がないにもかかわらず、なにかの目的や意味のために、いまを使えって言われているからです。
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それって「学び」も同じだよな、と。「志望校合格」や「将来のなりたい職業に就く」という目的のために今がまんして学べっていうのは、もう無理なんだよね。そもそもその先の未来みたいなやつは失われちゃっているのだから。
なぜ「予定調和」、つまり「こうすればああなる」っていう考え方の中にいると安心で、自分のいまを犠牲にすることをいとわなくなるのか。この問いに、都会的な問題の本質があると思うんです。いわば人工物というのは人間がコントロールするために設計しているもの。
人間がコントロールできないものがあれば効率も落ちてよくないというので、徹底的に自然を排除してつくられているのが都会。その中で生きていれば、すごく予定調和な思考、「こうすればああなる」という考え方に染まってしまうのは当然です。
対して地方はどうか。都市に比べて、はるかに自然の残る田舎に帰ると、コントロールできないことが一気に増える。自然っていうのはやっぱり思い通りにはならないし、都会より地方のほうが予期せぬことは起きやすい。
「こうすればああなる」っていうことじゃなくて、生き物として、言葉の世界にない感覚的なもので、突如異質なものに遭遇したときにどう対応するかっていうときに必要になるのは、もはや意識的な思考じゃないと思うんですよ。
不確実なものはないほうがいいって、どんどん自然なものから自然でないものに切り替えていくことによって、効率を上げて、不確実性というものを排除する。
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「複雑系」を生きていかなきゃいけない時代に、都市の図書館やスタバで大学受験勉強だけをする3年間という投資にどれほど価値があるのか?「身体性」とか「感性」を磨かないとヤバいんじゃないの、って思う。
「間」っていう概念も大事ですよね。どっちかを取るってことではない。西洋って「間」がないので、あなたか私か、自然か人間か、みたいなどっちかを取るってなりがちです。だけど日本の面白いところは、間があるんですね。どっちかを取るということをしない。
間にフォーカスすれば、基本的に対立構造っていうのは生まれないんですよ。なぜかと言ったら、そこの間に存在しているのはあなたでもなく自分でもないものだから。でも、自分とあなたってなった瞬間に、壁をつくり対立が生まれるんですよ。
これからは共同体感覚の時代なので、お互いが交わる場所があって、お互いが当事者になれる場所が必要になる。その場所が、僕は「間」だと思っていて、あなたもこの間の当事者だし、自分も当事者であるっていう、お互いが当事者になったときには争いなんて起こらないんです。
この間にフォーカスするっていうことがすごく重要で、これが関係性の再構築なのかなと思っています。
「間」にできあがるものってお互いでつくるものだから、自分自身じゃない部分がある。そうしたときに自分という器の中ではできないことが、この「間」ではできるし、存在しうるわけですよ。
「間」を育むための必要な時間とか環境とかって、僕は地域にすごく存在していると見ている。
働きかけ、働きかけられる、動き、動かされるっていう、この相互作用の複雑系がまるっと「生きる」っていうことだとしたら、地域にはこれを感じやすい環境がありますよね。
人と人との関係性だけじゃなくて、人と自然との関係性もそこには存在していて、その「間」には対話があるじゃないですか。
~~~ここまで引用とメモ
キーワードでまくり。
そして、アイデンティティ問題への視点もありましたね。
「点」で生きてるのがつらいのではないか、ってね。
田舎に行くと、「面」で生きている人がたくさんいて、もっと大きな時間軸での3次元空間の構成員としてそこに存在できることが
ある意味、幸せだったりする。
一方で、田舎にある関係性っていうのはいわゆる「しがらみ」的なものでもあって、そのあたりをどのようにデザインしていくのか?ってことなのだと思う。
スティーブ・ジョブズが点と点はつながるって言ってましたが、もしかしたらその前に、面のや3次元空間の構成員になるっていう方法もあるかもしれないなと思いました。