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18機目「森を見る力」
「森を見る力」(橘川幸夫 晶文社)
これからのビジネスのあり方、方向性に対して熱い問いを投げかけてきます。
アフター・インターネット(インターネット後)の時代では、次の4つがスタンダードになってきます。
~~~本文より引用
「中抜き」
インターネット以前には世界は切り離されていたので、スーパーや貿易など、「つなぐ」ことでビジネスは成立した。しかし、インターネットでは「最初からつながっている」。だから「代理人」となるようなビジネスはもはや成立しない。
「つながりっぱなし」
インターネット以前には「内と外」「公と私」「本音と建前」のように人は二重構造をもっていた。しかしインターネットはつながりっぱなしであり、「オン」と「オフ」の境目はもはやない。
「発信者負担」
インターネット以前は広告モデル以外は受信者負担の原則があった。受けては雑誌などを「購入して」情報を得るのである。しかし、インターネット後、個人が表現欲求を満たす場が出てきて、発信する費用を自らが支払ってでも発信したいと思うようになった。
「P2P」(Peer to Peer)
インターネット後の世界は、人と人が直接つながる、そして巨大なデータベースを共有する。既存の利権やルールが通用しない、果てしない荒野である。まったく新しい環境の中で新しいルールとライフスタイルをゼロから立ち上げる気力が必要である。
~~~ここまで本文より引用
アフター・インターネットという激変の時代の苦しみを僕たちはいま、体験しているのだと思う。
そんな中で問われているのはやはり僕は個人ひとりひとりの美意識なのだろうと思う。何を持って美しいとするか、何を持ってカッコいいとするか、である。
橘川さんのスティーブ・ジョブズに対する記述が熱いので引用します。
~~~ここからさらに引用
ジョブズのプロダクツが、それまでのエンジニアが作ったものと違うのは、
それが単なる製造機械ではなく、ミュージシャンのアルバムのように、ジョブズの表現物になっていたことである。
iPadが生まれた時、ジョブズは、「僕の人生で最高のものが出来た」と言った。それは、単に性能が良い商品が出来たとか、売れる商品ができたというのとは違って、
「自分の表現したいプロダクツが出来た」
という風に、僕らは受け取ったはずだ。まさに「ジョブズの魂」なのである。
パソコンの文化が、単なる製造機械の歴史ではなく、カルチャーの歴史であるとしたら、ロック・ミュージシャンがアルバムを発表するように、ビジネス展開したのはジョブズだけだろう。
(中略)
少年は夢見る。
それは、世界を自分の想い描くような形にリデザインすることである。しかし少年は、成長するにつれ、その途方もない夢を現実の壁で崩され、大人が作った一部の業界範囲や会社内部の中で生きる道を選択する。
しかし、中には、現実のビジネスシーンにまみれながらも、夢を忘れない大人がいる。夢を忘れないことを「ロック」と呼ぶ。
何もないところから、想像もつかない作品を生み出し、多くの人からの喝采を浴びたジョブズは、もういない。他人の夢を継承することは出来ない。
アップルが、これからも未来への夢を実現していくとしたら、それは、ジョブズと同じような人間が、ゼロから開始することでなければならない
(中略)
ジョブズから学ぶものはプレゼン技術でも、強引な交渉力でもない。一人の人間が自分が最初に感じたものを忘れることなく、誤魔化すことなく、追求し続けること。
ジョブズは死んだが、僕らはIPadという名前のジョブズの魂と共に、今日も生きるのだ。
ジョブズは自らが開発した商品に、機能の先進性はもちろんのこと、ひたすら「カッコ良さ」を求めた。機能の先進性は社会性だがカッコ良さは時代性である。
なぜ、カッコ良さを求めたのか。答えは一つである。ロックはカッコ良くなければならない。
なぜなら、ロックのスタートは、世の中のカッコ悪い、醜悪な現実に対する怒りから始まったものだからだ。
~~~ここまで引用
いやあ。
熱い。
シビれます。
僕たちは、「アフター・インターネット」と「アフター・ジョブズ」の世界を生きている。
そこにはただ荒野が広がっていて、道がない。
アルバムを発表するように、ビジネスを展開する。
少年のころに見た、世界をリデザインするという意志を失ってはいないだろうか。
15歳が、自分と自分の住んでいる地域を好きになり、自分と地域と社会の未来創造へ歩き出している地域社会を創る。
そのための「場」と「機会」をいま、つくっているんだ。