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35機目「認められたいの正体」
「認められたい」の正体~承認不安の時代(山竹伸二 講談社現代新書)
「評価」と「承認」いうキーワード。ビジネスの成功は「他者からの評価」にかかっている。それは間違いない。しかし、生きていくうえで、本当に必要なのは、「評価」でなく「承認」なのではないか。そんな問いを投げかける1冊。
有名なマズロー欲求5段階説
1 生理的欲求
2 安全欲求
3 所属と愛情の欲求
4 尊敬と承認の欲求
5 自己実現の欲求
ということで位置づけている(実際は5がピラミッドの頂点となる)。つまり、全ての欲求が満たされれば最終的に人は自己実現に向かうだろうとマズローは言っている。
しかし、この全てを「承認」の観点から見ると、「所属」するためには、集団の承認を得なければならないし、「自己実現」とは、他者評価、つまり一般的他者からされることによって、初めて成り立つのではないか、とも言える。
つまりはすべて承認欲求から来るのではないか、ということである。
著者は承認の関係性を次の3つに分ける。
1 親和的承認
家族、恋人、親しい友人など、愛情と信頼の関係にある他者によって、「ありのままの自分」を無条件に受け入れてもらっていると感じられるような承認である。(僕なりに言えば、存在承認)
2 集団的承認
集団が共有する価値観・ルールに基づいて行動することで集団にとって必要な存在となり、承認を得ることができる。(同じく、役割承認)
3 一般的承認
不特定多数の他者一般から認められること。例えば、災害ボランティアで現地に赴くというのは、なかなかできることではないから、一般的に、素晴らしいことだと思われる。そのような承認。
2と3は相互に関係しあっている。例えば、東京大学に入学し、卒業し、会社に勤めて活躍するということは、それだけの努力をしたことが一般的に認められているので集団的承認だけではなく、一般的承認も受ける可能性も持っている。
この「承認」というキーワードで、いまの大学生の志向をとらえなおしてみる。現在は価値観が多様化しているので、何に価値があるのか、非常に不透明な時代となっている。
しかも社会システムとして、核家族化や地域コミュニティの崩壊があり、「承認」を得られる機会が少ない。特に「親和的承認」を得られる機会が少ない。つまり、無条件の承認を受けにくくなっている。
だからこそ、人は集団的承認を得ようとして、学校では「いい子」を演じる。そうやって、「本当の自分」と乖離していくことに不安感を感じている。
大学に進学して、いざ進路を選ぶ。
そのときにも無意識のうちにどうしたら「承認」が得られるか?を考えてしまう。もっとも世間的に「一般的承認」が得られるのは、公務員や大企業だ。「安定している」ということは、世の中的にものすごく価値があると思われているからだ。
他方、「人のためになる仕事がしたい」「社会に貢献したい」という学生も増えている。これもまさに「一般的承認」を得ることに価値を置いた志向ではないかと思う。
「集団的承認」と「一般的承認」は他者評価と密接に関連している。「承認」を得ようとして、他者評価されるような行動をとることが起こる。しかし。価値観が揺らいでいるいま、他者評価も絶対のものではない。だからこそ、苦しい。
その苦しさを少しでもやわらげる可能性があるのが田舎インターンシップなのかもしれない。さびれた商店街や中山間地、離島でのインターンシップは、大学生に新たな感覚を体感させる。
「あなたたちは、若いだけで価値があるのだ。」という空気感に包まれて、ある意味、「親和的承認」が満たされていくのだ。ありのままの自分を受け入れてもらっているのだ。
おそらくこれは、かつて、大家族や地域社会が担ってきた役割なのではないか。何か悪いことをして、お母さんに怒られても、おばあちゃんが、「あなたがいい子なのは、私は知っているから」と言ってくれる。
家庭で「演劇なんかでメシを食っていけない」と言われても、地域のおっちゃんが、「演劇をやりたい?いいじゃないか!どんなお芝居をしたいんだ?」と聞いてくれる。
いつのまにか、「親和的承認」が得られにくい世の中になってしまった。だからこそ、若者は「承認」を求めて、他者評価に依存するのではないか。
いま、必要な出発点は、「親和的承認」が得られるような仕組みの構築なのではないか。
「地域」に出て、声をかけられ、愛され、若いだけで価値があることを実感できること。
僕がやっているのは、日々のミーティングのときの「最近あったよかったこと」を確認することや「ふりかえり」で感じたことをシェアすること。
「感じたこと」を共感してもらう。その積み重ねの先からも「親和的承認」は生まれていくと考えている。