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日本遺産認定〜福滋の鉄道遺産を巡るその2

みなさん、こんにちは坪井麻衣です☺️
前回に続き
「海を越えた鉄道~世界へつながる鉄路のキセキ」
で旧北陸線を巡ったお話をさせていただきます。

前回は、「福滋県境鉄道遺産回廊」の敦賀-長浜間
今回は、敦賀市と南越前町-今庄の「旧北陸線廃線跡」をご紹介します。

✦「旧北陸トンネル群」とは?

旧北陸線は鉄道庁によって明治26年(1893)に着工し、29年(1896)年に敦賀-福井間が完成しました。

このトンネル群は、難所の木の芽峠を越えるために作られた鉄道隧道で、敦賀市から南越前町にかけて、13のトンネルが築かれました。

昭和37年の現北陸線が開通した後に廃線となり、道路のトンネルに転用され、現在も10のトンネルが連続して残っています。

昭和28年に作られた山中ロックシェッドは国内最初期のプレストコンクリート造の落石覆工で、トンネル群とともに高い技術を誇った旧北陸線の貴重な遺構です。(その当時の最新技術)

他、暗梁などの土木建造物を含む遺構がまとめて平成28年2月に「国登録有形文化財」になりました。

そして、今年、日本遺産にも認定されたのです👏

ほとんどが、現役のトンネルとして活用されながら残っているのはかなりすごいことです👏✨

では、訪れたトンネルについて書いていきます。
上の写真と同じ番号をつけてご説明。
敦賀方面から向かいまして、

①✦「樫曲(かしまがり)トンネル」(87m)
明治26年に竣工。

すべてがレンガ造り。廃線後、車道として利用されていましたが、現在は歩道となっており、歩いて通ることができます。
すべて煉瓦を用いて築いているのが特徴的で、特別な意匠が施されています。

樫曲トンネルは下部はイギリス積み、アーチ部分からは長手積みで組まれています。

会長さまの手の上からは長手積み、下はイギリス積みなのがお分かりになるでしょうか?

2014年に「土木学会選奨土木遺産」
2015年に「登録有形文化財」に登録された証が。

中の様子は…🧐

現在は人感センサーが設置されていて、人が通ると点灯します。
はじめは白く緑っぽいぼんやりした光で、
トンネル内は、

少し、不気味?神秘的?な雰囲気を見せます。
しばらく経つと、オレンジ色の光となり、このような感じに…

温かみを感じる、レトロな雰囲気に。
前に進みたくなる様な、オシャレなトンネルに。
皆さんはどう感じますか?

私は非日常感というか、タイム・スリップした様な感覚になり、それがなんだか心地良かったです。

このトンネルをいかにオシャレに撮れるかと写真撮影にこだわってみたりしても楽しいですね🙂

ぜひ、歩いてじっくり見ることができるので、訪れる価値あり!おすすめスポットです💓

そして、車で次のトンネルに進みます。

✦「瀬河内トンネル」
明治26年に竣工。こちらは、道路の建設のために平成15年に消滅。現在は姿がありません。

②✦「葉原トンネル」(976m)
ここに向かう前に、新保駅、
葉原信号場の跡地があります。

明治14年に東郷(とうごう)信号所として開業、その後大正5年に新保(しんぼ)駅として開業し、昭和37年に廃業。新保駅はスイッチバックがありました。

そして、「葉原信号場」
大正8年に開業し、昭和37年に廃止。

連続したスイッチバックや信号場は、この急勾配の難所を越えるために、工夫されていたかを思わせますね。

跡地を越えて、葉原トンネルへ。

明治29年に竣工。
下部は石造り、上部はレンガ造りとなっています。
※現在は車で通ることが可能。

葉原トンネルは
当時の総理大臣「黒田清隆」がきもうした
◉敦賀側入り口「興国咸休(よこくかんきゅう)」
(鉄道建設が全て盛んになるようにという意味)

◉杉津(すいず)側入り口「永世無窮(えいせいむきゅう)」(鉄道がいつまでも永久につづくようにという意味)

それぞれに2つの石額が掲げられていました。
どちらも現物は、長浜鉄道スクエアに展示されています。

そして次は、
③✦「鮒ケ谷(ふながや)トンネル」(64m)
明治28年竣工。下部が石造り、上部はレンガ造り。
トンネル群の中では最短。
トンネル実績のなかった地元業者が作ったトンネルなんです。


④✦「曽路地谷(そろじだに)トンネル」 (401m)
明治28年竣工。下部が石造り、上部はレンガ造り。

 
✦「河野谷(こうのだに)トンネル」
明治29年竣工。その後明治時代に開削され、現存していません。 

6つ目に向かう前に、杉津駅の跡地を通ります。
現在の北陸高速道路の杉津の上り線PAあたりです。

杉津のPA下りは「夕日のアトリエ」と言われ、「夕日100選」にも選ばれるほどの夕日がきれいに見えるスポットとなっています。


こちらへ立ち寄りほっと一息つくのもおすすめ☆

 
 ⑤✦「第一観音寺トンネル」(82m)
これ以前の時代までは同じ名称のトンネルは 大小などで分けていましたが、第一、第二で呼び分けるようになりました。

 明治27年竣工。下部は石造り、上部はレンガ造り。
地元の材料を用いて作られた低単価で施工されたトンネルです。

 ⑥✦「第二観音寺トンネル」(310m)
 明治28年竣工。下部石造り、上部レンガ造り。 
 
 ⑦✦「曲谷トンネル」(260m)
 明治28年竣工。下部石造り、上部レンガ造り。

このトンネルは、暗くて曲がっているので先が見えず「マツコの知らない世界」で、トンネル研究家の花田欣也さんが、どこへつながるんだろうかとワクワクすると言われていたトンネルです🎆

更にこちらのトンネルは、敦賀方面から進み、
出口を出たとき‥‥ 

先のトンネルが2つ直線で見通せるという、興奮スポット‼️&写真映えするスポット🤩
(今回は生憎の雨で画質悪くてすみません‥晴天ならスパーッと先がクリアに見えます)

こちらも花田欣也さんが「トンネルinトンネルinトンネル」と興奮されたスポット✔

先に見えるのが
⑧✦「芦谷(あしだに)トンネル」(223m)
明治27年竣工。すべてレンガ造り。

その向こうに見えるのが
⑨✦「衣良谷(いらだに)トンネル」(467m)
明治28年竣工。すべてレンガ造り。

そして、最後のトンネル
⑩✦「山中トンネル」(1170m)
明治29年竣工。すべてレンガ造り。

福井県の嶺南と嶺北を隔てる峠一つである山中峠の下を貫いており、県道のトンネル群の中でも重要なトンネルとされています。

敦賀側には、このトンネル建設工事の事故で犠牲となった方の慰霊碑が立てられています。

このトンネルの敦賀側には、
黒田清隆筆の「功加干時(こうかうじ)」
〜鉄道事業の完成は時代の要請に適している。

今庄側からの入り口には
「得垂後裔(とくすいこうえい)」 
〜この鉄道を完成させた得は、子々孫々まで残る。

という意味の石額が掲げられていました。
こちらも、長浜鉄道スクエアに展示されています。

さて、左側に見えるトンネルは何なのかご存じでしょうか??
このトンネルは貫通していない行き止まりのあるトンネルなんです👀‼️

トンネルなのに行き止まり? なんで!?!?!
てなりますよね。私も、

「え!?なんで!!?」

と、なりました😄💦

列車でたくさんの荷物を運ぶためには、その分車両をたくさんつなぐ必要がありますよね。

この路線では山中のスイッチバックの折り返しだけでは線路が短く、戦後の日本復興の輸送力増強策のため、貨物列車の車両増加を可能にする対策としてこのトンネルを掘り延伸しました。

折り返しに使うためだけのトンネルなので、途中が行き止まりなのです。長さは約50mほど。

そして、その先に見えますこちらの道。

「 山中信号場 」待避線跡地です。

山中トンネルのスイッチバックの使い方
先程の、行き止まりトンネルから待避線に入ります。

スイッチバックとは、急勾配区間を登るために設けられた列車の折り返し線と待避線を併せ持つシステム。

急勾配では、パワーが必要なので、平坦な引込線からだんだん勢いをつけて勾配のある道を進んでいきます

左が待避線の跡地です。
待避線には上りと下りの二線敷かれていました。

この元本線であった車道を今庄方面に進んでいきますと、始めに説明した「山中ロックシェッド」が現れます。日本で最初期のプレストコンクリート建造物で、落石などから電車を守るために作られました。

鉄筋コンクリートは、引張力に対して鉄筋で抵抗する構造ですが、コンクリートの多少のひびわれは避けられません。一方、プレストレストコンクリートではあらかじめコンクリートに圧縮応力を作用させることによって、ひびわれを生じさせない構造としたり、ごくわずかのひびわれ幅に制御することも可能という特性を持っています。

力学的特性を反映した細いコンクリートの柱でしっかりとコンクリートの屋根を部分支えています。

本線跡側は車で通ることができますが、山側にもロックシェッドが見えます。
これは、待避線のロックシェッド跡です。 

通る前にチェックしてみてください☺

そして、ロックシェッドを越えてしばらくすると
「大桐駅」跡が見えてきます。

明治41年にスイッチバックの拠点として、信号所が開設されました。
その後に、地元民の要望で同年に停車場となり、旅客などで活躍します。
新線の開業と、本線電化の近代化で、昭和37年に廃線となり、上り線のホーム跡が残されています。この線で大活躍したデゴイチの動輪のモニュメントが設置されています。

そして、道を進み現在の今庄駅に到着‼️

明治29年に一般の駅として開設

2017年に駅舎はリニューアルされ現在の姿となりました。そのリニューアル時に併設された
「今庄まちなみ情報館」は、今庄の歴史を知ることができます。

1955年ごろの今庄駅が45分の1のジオラマで再現されていたり、

 鉄道についての説明パネルも。

さらに時代を遡った「今庄宿」についてなども☺️

今庄駅も敦賀駅と同じく補機の連結や外し、燃料の補給などの役割を担い、すべての電車が停車しました。 
この停車時間を利用し、誕生したのが弁当や飲み物などの販売をする「立ち売り」です。
そして、昭和初期にはホームに開設された立ち食いそば「今庄そば」は立ち食いの先がけで、この頃に全国に知れ渡りました。 

びっくり😶‼️そばといえばさすが、福井‼️納得🥺

敦賀駅も、駅弁として「 鯖寿司 」が人気だったり、駅前にも途中休憩で土産物などを見る乗客で賑わっていたそうです🥰

今庄から福井方面に進みますと、今庄〜福井間で初の全てレンガ造りのトンネル
「湯尾(ゆのお)トンネル」(400m)があります。

今回紹介した旧北陸線は難所を越える為に、明治から昭和中期まで大活躍しました。

そして、昭和37年に13870mと当時最長の「北陸トンネル」が開通します。
(47年の新幹線六甲トンネルまで最長)

32年着工で、敦賀今庄の両杭口ほか、中間二箇所からも立杭、斜杭を掘る掘削工事をし、5年間で完成。
現在も「北陸隧道」の扁額が飾られています。

斜坑とは、途中から本線に向かってトンネルを掘って、本線位置に到達すると、そこから本線を掘り進めるという長いトンネル作りに用いられる方法。
この方法で時間短縮ができるのです。

この時代はこの様にトンネル技術が進歩し、明治作成の当時最長の柳ケ瀬トンネルの約10倍の長さを同じ期間で完成させるほどに発達しました。

なんと❕このトンネル工事中に、温泉が湧き出て敦賀に「トンネル温泉」が開設されたという😮❕

斜杭の入り口は樫曲、葉原、板取の3箇所で入る事はできませんが、跡地を見るとこができます。

北陸トンネルも樫曲トンネル付近の「北陸トンネル入り口」の看板方向に進むと近くで見ることができます。

車体も進化を遂げ、蒸気機関から直流電化へ、そして交流複線電化の電気機関車が走りだします。

ニューフェイス登場で当時の北陸線が廃線となり、トンネル群の路線は66年間のお役目を終えます。

この鉄道ができる経緯として明治2年に 東京-横浜間 京都-神戸間 琵琶湖-敦賀の鉄道の敷設が日本政府によって決まりました。
 
この頃、大陸に目を向けていた政府は、敦賀は日本の中央点にあり、大陸に近く、更に活気のある港を持っていた為、敦賀を要所にしたかったという思いがあり、早期の日本海側の鉄道敷設計画に敦賀がいれられたのです。
 
明治22年に東海道が全線つながり、太平洋と日本海が陸で繋がります。そして、明治32年に敦賀は開港場(貿易港)に指定され、

日本は鉄道で、世界(大陸)とつながることになるのです。敦賀はその発着点となり、国際的交流も増え街は繁栄していきます。

難所に鉄道を敷くために、いろんな手法をこらし、トンネルや線路を開設して、日本の鉄道歴史に大きく関わって更に世界との交流を実現させたという、
この北陸線の功績は福井県、滋賀県の自慢の遺産です🙂

ぜひ訪れて現地で、
目で見ていただき、色んなことを感じていただきたいです。見ると改めて先人への有り難さを感じます。

ガイド案内をご希望の方は「つるが観光ボランティア」にご相談いただければ、ガイドさんの案内付きで訪れることができます。

(※現在はコロナウィルス感染症拡大防止のため、一部ご案内を制限させていただいております)

 詳しくは
http://www.turuga.org/othercontents/guide.html

こちらをご覧ください🙇

このテーマで日本遺産をほとんど巡るとなると時間がたっぷり必要となるので、時間を作ってゆっくりと訪れていただきたいです⏱

又は、今庄側からか敦賀側からスタートして小分けに何度か訪れ巡っていただくこともおすすめします🤠❕

そして、大好評の【トンネルカード】の配布が、今年も開催されています👏
 
 詳しくはこちらをチェック✔

配布場所に訪れた方に、おひとり様1枚ランダムに数量限定で配布しています。

人気で配布終了の場合もございますので、念のため来訪前にお問い合わせいただくと確実です📞

ちなみに敦賀では3ケ所配布していますよ😮❕

カードはこの様な感じです⬇️

ぜひ、訪れた記念にお持ち帰りいただけたらと思います♥コンプリートの為に何度も来訪してくださるのも大アリです♥大歓迎です❗

是非お待ちしております🙇✨

今回ご紹介した所以外にも、日本遺産に関連した場所や施設が敦賀にも複数あります🏠

また、ご紹介しようと思っておりますのでお楽しみに❇
 
あそことあそこはぜひ伝えたいな‥‥🥺

以上、坪井麻衣がお届けしました。
ご覧いただきありがとうございました🐰‼️♥

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