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切迫早産の話①


はじめに

私がnoteを知ったきっかけでもある切迫早産。
2人目妊娠中に2ヶ月入院という重症になりスマホを触るくらいしかできない中、情報が欲しく色々な記事を見ている中でnoteの存在を知りました。

私の切迫早産は恐らく体質。
切迫早産は明確な原因が分からないですが、入院して安静にしていても悪化していたので体質なのかな…と思っています。
医師には1人目の時に破水スタートだったと伝えたら「もう体質かもね」と言われました。
(切迫早産は破水しやすいらしいです)

専門家じゃないのであくまでも私の体験談しか書けないですが、当時の私と同じように誰かの参考になればという気持ちで書きます。
また、当時はnoteを書くつもりだったわけではなかったのでメモ等なく周りの人とのやり取りの履歴から記憶を辿ります。

入院までの話

15週


お腹の張りが気になり始める。
1人目妊娠時にもお腹が張りやすかったこともあって妊婦健診時に子宮頸管の長さを測って欲しいとお願いし測ってもらったところ、15wにしては少し短めとの診断を受ける。
2週間後に再度測ろうという話になってその日はおしまい。

17週

再び子宮頸管の長さを測ってもらうと短くなっておりウテメリンの服薬指示を受ける。
副作用で動悸が凄いとのことでしたが、何故か私は全くなかったです。
(その後長期入院中に24時間のウテメリン点滴生活でしたが一度も副作用が出ずでした。本当に何故。)

19週

妊婦検診時に子宮頸管の長さが少し回復しており服薬指示なくなる。

25週

妊婦検診にて再び子宮頸管が短くなっていることを指摘される。
「外来で様子見るけど良くならないなら入院」と言われ第一の絶望。
当時産休前だったこともあり上司にだけとりあえず報告。(付き合いが長くなんでも話せる上司だったのでここら辺は助かりました)

26週

やっぱり良くなっていないどころかかなり悪化していたので「来週良くなってなかったら入院ね」「仕事がストレスなら休職出来るように届出書くよ」と言われてしまう。
この時の子宮頸管長は確か2cmちょっとだったと思います。(病院の規定で2cm切ったら入院)
ただ、上の子のことを考えると入院はしたくなかったので休職もよぎりましたが、在宅勤務だし今やってるタスクがあと少しで終わるし、最悪横になってやればいいやと思い休職の判断はしませんでした。
今考えると甘い。甘すぎる。
無事に産まれた今だから思うけど休んどけ、休めと思います。

28週

朝いつも通り上の子を保育園に送り、仕事は午前休みを取り緊張で吐きそうになりがら言った妊婦検診。

「…はい、子宮頸管1.5cmね、入院だね、もう今から歩かないでね」
その場で泣きました。
私「上の子のお迎えだけ…行きたいです」
医師「ダメだよ、もうそれはさせられない」
医師「これまで何度も切迫早産の子を見てきた。中には早産になって障害が残った子もいる。気持ちは分かるけど入院して欲しい。」

その後すぐに車椅子に乗せられ。
当時コロナ禍だったのでPCR検査の結果を待ちながら出社勤務していた旦那に電話をして上の子のお迎えを頼みました。

この日は上の子のことを考えて暇さえあれば泣いていました。
旦那とは入院かもと言われていたこともあり事前に色々話し合っていたので生活への不安はなかったですが、妊娠中だから抱っこしてあげられない、今朝も「また夕方にお迎え来るからね」と言って別れたのに嘘になってしまった、そんなことを考えてずっと泣いていました。

ここから長い長い入院生活の始まり。

②に続く…

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