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「世界がこんなに遠いハズはねェ」
釣りが始まる前から予想だにしなかった情報量に圧倒されたJB・い駒。
宮田からの『すみません、もうすぐ着きます』というLINEに気付いたのは、僕たちが船着場に到着して少しした後のことでした。
「ほんまぐりさん、もう直ぐ宮田というメンバーが後からやって来ます」
「あっ、分かりました。宮田くん、名前は知ってます。ただ、もう直ぐ出船だと思うのでなるべく急いでいただけると…」
「承知しました、走ってこいと伝えますね」
やがて、いつものようにのんびりとやって来る宮田が見えました。
「宮田ー!もう船出るよ!急いで!」とい駒さん、JB。
「宮田くんー!早くー!」と、合わせてほんまぐりさん。
因みにこのとき宮田は、『JBさんとい駒さんは良いとして、突然俺の名を呼ぶこの女性は何者やねん』と内心訝しがっていたそうです。
…
「えっ、じゃあこの人がほんまぐりさんなんですか?」と、乗船後に宮田。
「そう」と僕。
「はじめまして」とほんまぐりさん。
「はあ、よろしくお願いします」僕やい駒さんと違って認知ギャップがないせいか、あっさりした返事でした。
かくして、つりったー3人とほんまぐりさん含む釣り人達を乗せた船は羽田を出、カワハギのホットスポットである千葉県竹岡沖に向かいました。
この日は風が強く、「航行中、後ろの方にお座りのお客さんは波を被るかもしれません。船のキャビンに入って到着をお待ちください」と船長からのアナウンスが響きました。
「キャビンはこっちです」
JB、い駒はほんまぐりさんに導かれるままキャビンへ。宮田は最後列で濡れるのも厭わず、「タバコを吸いたいので外にいます」とのこと。
ほんまぐりさんが、すとんとキャビンの長椅子に座ります。
向かい合って座ったときに漸く気付いたのですが、彼女は僕やい駒さんに比べるとずいぶん小柄でした。
ただし、全身黒のウェアを身に纏い、キャップを押し被り脚を組んで座るさまは、ONE PIECE七武海が一人、「鷹の目のミホーク」と伍する覇気を放っていました。
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「……あの」おずおずと、い駒さん。
「はい」
「ほんまぐりさんは、普段どんな釣りを?」
「ああ。私は船のエサ釣りしかやらないんですが、釣り物は割と何でも。カワハギ以外だと、タチウオとかマゴチ、アマダイとか」
気さくに答えてくれました。良かった、気難しそうな人ではなさそうだ。
「おお…幅広いですね。カワハギ釣りはこの船宿を使われるのですか?」
「いえ、この船宿はカワハギがメインではないので…私が乗るのは"御三家"が多いですね」
"御三家"?
日本史以外では「なろう系小説」でしか登場しなさそうな専門用語にポカンとする僕。
い駒さんはついていけてるのか?と隣を見ると、「フゥン…」とちいかわのうさぎのような顔をしています。ダメだ、絶対分かってなさそう。
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恐らくほんまぐりさんも同じ空気を感じとったのでしょう、慌てて補足してくれました。
「御三家ってあれです。山下丸、巳之助丸、やまてん丸の3つの船宿です。年中カワハギ船を出船している名門の遊漁船で…」
「ああ、なるほどですね」と、ここで何もわかっていないのに理解しました感を出す新人コンサルタントのような返事をする僕。もちろんどの船宿の名も知る訳がありません。
その後、いろいろな質問を投げかけては沢山のことを教えてもらうも、知識・経験の差が大きすぎてなかなか会話が続きません。漫画「ベルセルク」の12巻までしか読んでない人と31巻まで読んだ人くらいの差がありました。
そうこうしているうちに船のエンジン音がドッ、ドッ、ドッ…と静かな駆動音に変わりました。ポイントに着いたようです。
「さ、釣りましょうか。ちなみに私、釣りしてる時間は静かになっちゃいますがお構いなく」
と言い残し、波で揺れるキャビンから颯爽と出ていくほんまぐりさん。
後ろ姿を見送った後、僕はい駒さんの方に振り向いて尋ねました。
「…い駒さん。ほんまぐりさんのお話、ついていけました?」
「…これから色々教えてもらいましょう」
外に出ると、冷たい沖風が頬を打ちました。海の荒れ模様は覚悟していましたが、それに加えてこの寒さは堪えます。
「それでは始めましょう。水深は30メートル」と船長のアナウンス。
この日の席順は船のトモ(最後尾)から、宮田、JB、い駒、ほんまぐりさん。自席によっこらせと座り、せっせとカワハギ針にアサリを縫い付けます。
ところでこのカワハギ釣り、前回は説明を省きましたがエサ付けが結構な難所です。
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これを針3つ分やらないと、釣りの準備ができたことになりません。
これぐらいやらないと、いやここまでやってもエサを掠め取ってしまうのが「エサ取り名人」カワハギという魚なのです。
ただ、直近2回の釣行を経て少しこなれたこともあり、かじかむ手でも何時もより早くエサつけに成功しました。
さあ仕掛けを海に投入しよう、
そのとき。
「JB、JBさん…」
精一杯音量を抑えた、しかし切迫した声で、右隣のい駒さんが僕の肩を叩きました。
「どうしました?」
「あれ、見て…」
い駒さんが指差すのは、ほんまぐりさん、の目前の海面。
白波の立つ水面には、小さな魚が水面にぷかぷかと浮かんでおり、しかしすぐ我に返ったように海底へと泳いでいきました。
「なんか魚が浮いてましたけど…」
まだ事態を飲み込めていない僕に、い駒さんがもはや笑うしかないといった顔で教えてくれました。
「ほんまぐりさん、もう釣ってました…」
へっ?
頭がついていきません。
「…えっ、じゃあ僕らがアサリをつけている間に、ほんまぐりさんはエサのついた仕掛けを海底30メートルまで落として、魚を掛けて、また30メートル巻き上げて、針を外し終えたってことですか?」
「そうなります…」
このときの心情は今も鮮明に覚えています。
ONE PIECE第6巻、麦わらの一味である剣士ゾロが作中最強クラスの七武海、鷹の目のミホークに挑んだときの情景を。
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『世界がこんなに遠いハズはねェ!!!』
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