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甘酸っぱい3年後
音信不通
それは昨年12月に入ったばかりのことだった。
私のパートナーのSNSのDMに一言だけのメッセージが届いた。
「僕です…お久しぶりです。」
軍から退役したレックだった。
レックと私達はおよそ1年半程の期間、全く連絡が取れない状態だった。
その理由は、私のパートナーが携帯電話を新調した際に電話番号が変わり、今までのLINEが使用不可能になってしまったのだ。
レックと私のパートナーの連絡手段はLINEでしかなく、LINE名もIDも覚えていない状態だったらしい。
レックとその母親は彼の兵役を機に、彼の生まれ故郷(兵役勤務地)に戻った。
そして私たちは、最後にレックに会った時(3年前)から2回引っ越しをしている。
タイでは本名は普段ほとんど使わず、生まれた時に親からつけられたあだ名、またはその後につけられたさらに簡単な愛称名で生活する。
”レック”は愛称名で、私のパートナーも普段あだ名でコミュニケーションをとる。特に愛称名はそこら辺に同じ人が山ほどいる状態。そのためネット検索は困難だ。
私は時折レックのことを思い出し、
「レックどうしているかな。どうにか連絡来ないかなぁ。またレックに会いたいなぁ。」
とパートナーにつぶやいていた。
「うん、そうだね。縁があればまたきっと繋がるよ」
とだけ言うパートナー。
そして昨年の12月、その時が来たのだ。
もしよかったらまた会いたいので時間ををください、時間は合わせます、とのことだった。私はひゃーっと嬉しくて飛び上がった。
ただ、12月、1月はタイの最盛時期。
私たちはずっと忙しく、レック自身も忙しくなかなか会うタイミングがなかった。
「レックといつ会うの?」
と聞いても、うん…と言う生返事のようなものだけが返ってくる。
レックは遠慮して、ずっと私のパートナーからの連絡を待ち続けていた。
新しいLINEでのやり取りでわかったことは、
兵役を終えて、
以前と同じ職場に戻り働いていること。
家を購入したこと。
タイ版ロマンス詐欺にあったこと。
身体が弱い私のことを心配して、体調を聞いてくれたこと。
私は、全くレックに会う時間を作ろうを努力しないパートナーにちょっと苛立っていた。
「ビール一杯でもいいじゃん!SNS中探して見つけてくれたんだよ。」
もちろん、私のパートナーも忙しいし疲れているということは理解していたのだけれど。
男性には男性の連絡の取り方があるのかもしれないけれど。
私はレックになにが起きたのか知りたかった。
きっとこのままだと来月になっても動かないな、と思った私は
二人が会う場をセットアップすることを提案した。
木陰コーヒー店再開だ!
ほろ苦さと甘酸っぱさと
今回は、街からだいぶ離れた山の中。私自身がここ2ヶ月全く行けなかった、ギップさんの食堂にした。
4-5年前は一時期レックもここの常連だった。
いつもは私の直感でいくけれど、
この日はレックの直近の休日を選んだ。
食堂に行って必ずお昼に注文したご飯が食べられるかわからないお店。
シェフであるギップさんがいないこともあれば、忙しすぎて忘れられてしまうこともある。。。
そして、ここはメニューのない食堂なのだ。
きっとレックと私のパートナーのために運がむいてくれるはず!
どうかギップさんに時間の余裕がありますように!
その日はギップさんは相当忙しいのか、お店に行ってもしばらく姿が見えなかった。お昼12時直前になっても会えない。
私たち以外のお客さんもいなかった。
今日はダメかな…?お昼ご飯どうしよう。
とりあえず、場所はあるので私の木陰コーヒー店だけは開ける。
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私はいつものコーヒーセットを使ってコーヒーを淹れた。
フレッシュコーヒーが苦いレックのために、砂糖とミルクをちゃんと用意してきた。
久しぶりに会ったレックは相変わらず。
「美味しいっす!」
と一瞬苦そうな顔をしながら味わってくれた。
兵役に従事する前とこの3年で変わったことといったら、
私にどんどん話しかけてくれる。
私のパートナーの通訳(私のタイ語からタイ人のタイ語へ)なしでだ!
この3年間になにがあったのかをお互いに話す二人を眺めながら、
私はコーヒーの2杯目を準備する。
職場のこと、購入した家のこと、母親のこと。
昔一緒に買いに行った釣竿とリールは今も大切に持っているということ。でも、退役してからは一人で一度も釣りには行かなかったこと。
私は黙ってコーヒーを淹れ、
カウンター越しにコーヒーを淹れる初老のマスター、またはママのような気分だ。
とにかく私はお腹が空いてきた。
痺れを切らして、再びギップさんを探しにいくことにした。
レックは何か食べたいものはある?と聞いてみると、何でもいいとのこと。
私は念の為、今回できたら習いたいタイ料理の材料(多分ギップさんの冷蔵庫にはなさそうなもの)は用意してきた。レックも私達と同じメニューで構わないそうだ。
きっとレックも私のパートナーとふたりだけで話したいこともあるだろう。
席を外した。
広い敷地内にはイベント用の大きなテントにプラスチックの簡易椅子が山積みになっていた。そこで数人の大人がなにやら準備、または後片付けをしてる様子だった。
まずは食堂に入ると見知らぬ女性が働いていた。
ギップさんは?と尋ねると、ギップさんは食堂の奥〜の方で忙しそうに料理をしていた。
「あぁ!すぐに会えなくってごめんね〜。めちゃ忙しくて。
明日300人の小学生が来るんで、その食事の準備してた。今は、子供達のための会場づくりに来ている先生達のお昼ご飯作っているからそのあとでいい?今日は何食べたい?何作りたい?」
ギップさんの敷地内には、水牛、牛、豚、鶏、アヒル、犬、山羊、魚がいて、つい前日に山羊の赤ちゃんが4匹生まれたのだ。
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ヤギが欲しくなった。
コミュニティー内のギップさんの友人が小学校の先生をしており、そこの子供達が明日は動物達のことを学びに来るのだそう。
やっぱり今日でよかった。
今回伝授してもらったタイ料理は酢鶏。
パイナップルが入った甘酸っぱいソースと鶏肉とたっぷりの野菜炒めだ。
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最終的に私が仕上げの味付けを決めたのだけれど、
少々甘すぎになってしまった。
具材の甘みと炒めソースの甘さの絡みを予測できなかたった結果だった。
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食堂で働いていた女性にレックとパートナーの分の酢鶏を運んでもらうことにして、
私はしばらくギップさんと酢鶏を食べながら時間を過ごすことにした。
ギップさんはビール缶を開けて嬉しそうだ。
1時間半ほどしてレックとパートナーのところに戻り、
さっきの酢鶏どうだった?甘すぎたよね、ごめんね。
というと、
二人とも「すごく美味しかった!」と言ってくれた。
酢鶏は甘くて酸っぱいのが美味しいから甘くなくちゃ、と。
その後、たわいもない会話を3人でして帰路についた。
ロマンス詐欺事件については、
結果的にはレックがギリギリ最後に気がつき、
愛称名と携帯電話番号しかお互いに知らなかったために
逃げたそう。
愛称名なんて何度でも変えられるし、
携帯番号も同じく。
レックもこの事件以降、携帯番号を変えた。
金額的被害は受けなかったが、
彼にとってはとても苦い経験だ。
当時、遠距離恋愛中の彼女がいたにも関わらず、
このオンライン上で知り合った女性(詐欺師)に一瞬でもうつつを抜かしてしまったこと、そしてそれで恐喝沙汰(詐欺の手口)となり、
元カノからは縁を切られてしまった。
その後は、元職場に戻り、同じ部署だが新しい同僚達とその中心となって一生懸命に働いている。
まだまだ若い彼が家を購入するためにローンを組むのは大変なこと。
その家は母親のための家だ。
何軒も銀行を回り、懸命に説得をし、高校中退後真面目にずっと働いてきた記録を提示し、身分証明もしっかりとでき、最終的に担保なしに無理のないローンを組めたのだそう。
実は、私たちが再会した前日にその新しい家に引っ越しできたのだそう。
「なんだ!引っ越し作業で大変でしょ?言ってくれれば別の日にしたのに。というか、手伝うのに!」というと、
レックは、私たちに会いたくて、会いたくて、
私のパートナーがこの日会う誘いをしてくれたのが嬉しくて、嬉しくて、
話したくて、話したくて、
絶対にこのチャンスを逃すものか!と飛んできてくれたのだ。
新しい家の台所にはガスも家具も調理器具もほとんどなく、
今はまだ人を呼べる状態ではないので、
整ったらぜひ私たちを呼んで、一緒にご飯を食べたいと。
そして、釣り道具をもっと揃えるので、次回は釣りに連れて行って欲しい、と言ってくれた。
今、レックの母親には恋人がいる。
レックの母親と同い年の私のパートナー。
以前、”父親になってくれたらいいのに”と私のパートナーに言ったレックだが、今は”兄”のような存在が嬉しいという。
二人が楽しそうに話している姿を見て、
なんだか甘酸っぱい気持ちになった。
この3年間にいろいろな経験をしたんだな。
若者の成長は早いなぁと感心してしまった。
それから二日後。
私のパートナーにレックからメッセージが届いた。
「酢鶏、本当に美味しかったです。僕が味の保証します!すごいっす!母親にもどれだけあの酢鶏が美味しかったか話しました。今度また一緒にご飯を食べてください。」
嬉しいながらも、食べ物はどんな状況で、誰と、どんな気持ちで食したかで味が受け取られるものだなぁと改めて思った。
本当に美味しかったんだろうな。私も嬉しい。
今度はやっぱりもう少し甘さ控えめで作ろう。