テレビと距離をとる方法/子育てとテレビ/家庭内壮大テレビ遠隔化計画
前からずっと思っていた、
「テレビを何とかしたい」
断捨離やライフスタイルを試行する中で、やっぱりテレビは必要ない。だが、私以外は全員反対することがわかっているので、捨てられはしない。
しかし、
この度、テレビから距離を置くことができた!
もしもテレビを捨てるなんて言葉に出そうものなら、私はマークされ、抵抗勢力は強まることを知っている。だから、割と慎重に、丁寧に様子を見ながら実行された一連の家庭内壮大テレビ遠隔化計画(今考えた)を、シェアします。
ここにその記録を残しておきます。
きっと、同じような課題を持っている方の役に立つはず。
テレビの引力
テレビの力は強大です。
そこにあるだけで、ついつい、付けてしまう、見てしまう、そして時間が過ぎてしまう。
時間ドロボーとはよく言ったもので、
テレビは有益な情報を与えてくれるものでもあり、無益な時間を与えるものであり、CMは感覚を刺激し、その誘惑にあらがうのは人体レベルで困難なのです。
私の実家はテレビがBGM化しており、そんな環境で育ったせいもあってか、テレビがあることになんの違和感もなく当たり前。テレビが付いていることも特段何も思わない。
ただ、
テレビっていろいろ言われますよね。
テレビの弊害
ネガティブなニュースで不要にメンタルに影響を及ぼすから見ない方がいいとか、テレビに子守りをさせるなとか、2歳までは、テレビを付けないでとか。
実体感として思うのは、テレビは発信であり、見ているときは「受動」。あれこれとその場で内容について話をするとしても、やっぱり受動の自分がメイン。一人でいる時はなおさら。
あ、なんか空っぽだった、自分。
そう思った。
その時は確かに情報番組で知識を「得た」つもりになるのだけれど、振り返って冷静に考えてみて、あの時間は本当に自分の時間を使って得るに値する分量と内容だったか?と問うてみると、やっぱり天秤は平行にならない気がする。
1時間見たとして、番組以外のCMの部分は不要だったし、イントロもいらなかったし、早送りもできないから最適化されていない感がする。
そして、為にはなるが、はたしてその情報は生きる上で必要だったか?と聞かれると、さしてそれ程でもない。
あれ?
時間ドロボーとは確かにそうである。
しかも、盗まれたことに気づきにくい。そして、盗まれた時間は返ってはこない。
子育てとテレビ問題
テレビに子守りさせるなとはいえ、現代、お母さんが一人で赤ちゃんのお世話をしながら家事や他のことをするのは無理です。
あえて無理と言い切ってしまうのは、「できる」が当たり前ではないから。
「何とかなっている」は「できている」とは限らない。しないと全てが回らないから「している」のは「できる」とは違うのです。
実際、私は娘は赤ちゃんの頃はテレビは繋げておらず、テレビをモニターとしてdtvのアンパンマンを流していました。
アンパンマンがいなければ、何もできなかった。
当時テレビをつなげていなかったのは、接続するのが高かったから。(我が家にとって)
当時の家は山の中で、ネットもテレビもケーブルで。ネットとテレビは別契約で、テレビを繋ぐには初期費用3万円+月数千円(忘れた...)
しかしネットは高速+制限もなく、格安simでも比較にならないほどお得で快適でした。
だから、ネットで動画を流してテレビに飛ばし、モニターとして見ていたわけです。(賢いでしょ!自分で褒めとく)
日々のストレスを減らす選択
今の家に引っ越して、テレビはリビングに置かれることとなった。もちろん地上波が見れる。
テレビと共にある生活は、私にとってストレスであった。その理由は以下である
・娘がテレビを見て食が進まない
・娘がテレビに近づきすぎる
・見たい番組がそれぞれ違う
・番組選択の権利でもめる
特に子育て層にとって、あるあるであろう。
・子どもがテレビに近づきすぎる
・テレビを見て登園準備が進まない
・テレビに集中して食が進まない
・画面をたたく、なぞる、落書きする
「テレビに近づきすぎだよ」
「ごはん食べよっ、まだなのうーちゃんだけよ」
「画面が痛む!叩かないで」
これを毎日。それがストレス。
でもわかるのです。
あったらつけるし、つけたら見るし、気になるし見ちゃうし、ごはんを食べることとテレビを見ることは同時にできない(子どもには難しい)。気になる動くものを指でなぞってしまう気持ちもわかる。
かと言って、
手の届かない位置に固定する予算もとれず、ルールを設けたとしても、常に誘惑があり、上手いこといかないことがわかっている(引力‼︎)
無理よねぇ。誘惑と引力が常にそこにあるんだもの... 根性論ではどうにもならん。
テレビ、引っ越します
毎日娘に声かけするのが、もうどうにもストレス。きっと本人にもよろしくない。
ある日、夫に毎日毎日テレビのストレスがすごいんですと言ってみた。2階に持っていっていい?と。すると夫、「なら持ってけばいいやん」。
言ったな?言ったよね、いま言ったよね?
これで文句ないよねっ!ねっ!!
心の中でひっそりガッツポーズをし、2日後、作戦を決行する。
テレビ移動計画、決行
それは平日の誰もいない日、速やかに決行された。テレビを2階の和室へ移動したのである。
テレビとデッキ。配線を確認し、全てのコンセントを抜いて、持って、階段を登る。大きめのテレビは1人では重い。だが、えっさほいさと速やかに虎視眈々と、ついでに置物と化したローテーブルも移動させ、テレビ台として活用。
1階にはそれまでテレビが置かれていたテレビ台だけが残った。
反対派、攻略法/
周りを納得させるプロセス
テレビ、なんなら捨ててもいいとさえ思っている私。でも、私以外は反対することが分かっている。そこで「大丈夫ですよ〜安心してくださいね〜 敵じゃない敵じゃない。ちょっと試してみるだけですから。」このスタンスで、まずはテレビとの距離をとることをはかる。
❶ お試しの演出
そこで「ちょっと試してみるだけ」を演出するために、テレビ台を残しておいた。「いつでももどせますよ」アピール。
❷ 共通の問題を攻める
娘に「テレビに近づきすぎ」と注意するのも、ごはんが進まないのも、共通の問題点。お互いどうにかならないものかと思っている、そこを突く。
私がテレビをどうこうしたいのではないのです、娘のために、子育てにおいて、生活を円滑に回すために、テレビの扱いを変えることを、ちょっと「試してみる」。
案の定「やっぱテレビ戻さない?」と、1日目に夫が発言。「んー、うーちゃんテレビ見て全然ごはん食べへんから、もうちょっと様子みてみる」。そう、私ではなく皆、IではなくWe!私たちは共通の課題解決のために、行動しているのです!アピール。
「めんどくさい」を挟む
テレビとの距離感に「めんどくさい」を挟む。テレビを見るには2階に行かなければならないので、階段をのぼるのが『めんどくさい』。
これにより、テレビ視聴率は下がるのだ。
そしてそれは、娘にすぐバレた。
「階段登るのめんどくさいー!」
だがしかし、それは1日で終わった。
そこには効能があったからだ。
テレビをリビングから移動したことは、娘にも私にもよかった
子どもにとってよかったこと
娘にとっては、
・横から何も言われず、
見たいものを自由に見れる
・早く寝れて、早く起きられる
・朝の準備がスムーズになった(私にいろいろ言われなくていい)
・ごはんの時に、あれこれ言われなくてすむ
テレビを移動させたことで、娘はむしろ快適空間を手にした。しかし、テレビをみる時間は以前よりずっと減った。ながらではなく「見たい時に見る」ができている。必要な時だけ『見に行く』のだ。
意外な発見と効能
リビングにテレビがあった頃は、娘はテレビに近づきすぎることも多かったし、画面に触ることもあった。
しかし、
テレビを移動させて数日、
娘はそれまでのように近づきすぎることも、画面をさわることもない。
おや?
もしかして、
これはこういうことではないか。
リビングにあった頃は、他の音も、話し声も同居する。単純に聞こえにくかったこともあるだろう
見たい=近づく
他の刺激(音)が邪魔していた。
だから、見たいがために近づく。そして、近すぎるほど近づいてしまう。
もう一つは、”注目をしてほしい”
見て見て!これこれ!である。
これ見て!の”これ”を指さすのだ。
テレビを移動してテレビの部屋ができてからは、テレビはゆったり1人で自由に見ることもできる。他者がいない分、これこれ!と指す必要もない。
体感から推測される、仮説。
そして夜テレビを見る夫に引っ張られず、早く寝付くことができた。早く寝ると早く起きられる。朝の時間に余裕ができるのは全世界の親子がストレスフリーに近づく大きな一歩。
親(母)にとってよかったこと
私にとっては
・娘に注意しなくてすむ
・ガミガミ言わなくてすむ
・見たくないものを見なくていい(ゼンカイジャーの無限ループとか、私が興味の無いものに付き合わなくていい)
・雑音がなくなって静か
・食事時のストレス軽減
・早寝してくれて、自分の時間が増える
・朝早く起きられるようになった
そして実感するのは
静かに本を読む時間ができた
これも大きい。
毎日のテレビに対する注意をしなくて良くなったことが本当にストレス軽減!むしろ無いと言ってもいい!それ程ストレスだったのだ。だって、毎日だもの。そりゃそうよ。
距離をおくことで、それぞれがストレスなく過ごすことができている。素晴らしい。
「動」を求める人と、「静」を求める人の棲み分けができた。例えるなら、クラブで読本は無理だけど、図書館では集中できるかんじ。わいわいしたい人と、集中したい人のスペース分けができた感覚。
テレビのルール
自由、とはいえルールもあります。
❶ 離れて見る仕組み
娘には画面に近づき過ぎないように言っているが、和室は壁にもたれて見ると、ちょうどいい距離。だから、快適を求めると必然的にいい距離感になる。言って頭で理解するより、体が楽だと自然とそうなった。
❷ 窓は開けない
2階の窓は触らない(大人が開け閉めする)。不慮の落下防止のためと、私が心配にならない為に、暑い時はエアコンOKにしています。熱中症対策。
❸ 飲食持ち込み禁止、汚服立ち入り禁止
主に夫用である。大人はよくて、子どもはダメなんてない。示しがつかないから守ってと、子育て面から念押し。掃除の観点から、飲食・汚れた服での立ち入りは禁止です。
ダラダラ見したあげく、片づけないなんて許さんっ!
張り紙を書いていたら、娘が禁止マークを描いてくれました。飲食持ち込み禁止マークと、汚れた服はダメよのマーク。2つとも。笑
ありがとう娘、頼むよ。頼りにしています。
テレビとの距離感
テレビを移動して1日目、夫は戻そうと発言する。静かすぎて食事の会話が進まない(何をしゃべっていいかわからない)と言う。
だが、やんわりスルーするうちに言わなくなった。
そう、人は慣れる。
テレビが手近にない生活にも慣れるのだ。
そして、夫も夫で一人で自由にテレビ部屋でテレビを見れるから快適なのである。娘に邪魔されない。だから、むしろ今の方が自分にとってもいい面があることを発見している(よしよし)
実はこの、家庭内壮大テレビ遠隔化計画にはまだ続きがある。段階を経て、最終形に移行する途中。この続きはまた次のスタップに到達した時にお届けします(お楽しみにー!)