データから見える音楽の「再物質化」現象
【1万字を先に要約】
市場データによると、音楽配信のデジタル化が浸透している一方で、アナログレコード、CD、ライブといったフィジカルな音楽メディアの市場も拡大しています。
この現象は、デジタルが旧メディアを駆逐するという従来の法則とは異なり、両者が共栄関係にあることを示唆しているます。ストリーミングで手軽に音楽を聴ける時代だからこそ、ファンはフィジカルなメディアやグッズを通じて「好き」という感情を可視化し、所有欲やコミュニティへの帰属意識を満たそうとしていると考えられます。
レコード会社も「スーパーファンビジネス」として、これらの収益源を重視している状況。米国ではレコードの復活が見られ、日本ではタワーレコードが過去最高益を記録するなど、フィジカルメディアの復権やグッズ収益の期待は世界的な潮流となっていると言えるでしょう。
この「再物質化」は、ベンヤミンの言う「礼拝的価値」の再興とも解釈でき、デジタル化で失われた感情的な価値を取り戻す動きと捉えられます。
音楽の「再物質化」は、合理化が進む現代社会において、人が感情的なつながりや神秘性を求める「再魔術化」の現れとも言え、テクノロジーと人間の感性の調和を模索する新しい動きなのかもしれません。
市場データが示す、デジタルとフィジカルの共栄
徒然研究室では日本レコード協会さんの市場規模推移に、TuneCore Japanさん、日本コンサートプロモーターズ協会さんのデータを追加したグラフを作成しています。 異なる統計の積み上げという点に留意してご覧いただきたいですが、こうしてデジタル、フィジカル両面での動向を俯瞰して見ることで、ちょっと意外な潮流が浮かび上がってきます。
ご覧のように、アナログディスク(レコード)、CD、音楽ビデオ、そしてライブ市場といった、物理的なメディアや移動を要する市場が大なり小なりの拡大を見せているのです。
デジタルとフィジカルの成長率比較
少し詳しく、前年との%差を計算してデジタル(緑)とフィジカル(ピンク)の成長率を比較してみましょう。グレーの帯がマイナス領域、その上がプラスです。
ご覧のように、デジタルだけでなく、ディスクやライブといったフィジカルに関わる数値も近年プラスに振れるようになってきています。
つまり、従来考えられていたような「新しいメディアが旧いメディアを駆逐する」という法則は、現在の音楽の世界においては起きていない…むしろ逆に、共栄関係が成立しつつあるようなのです。
ネットとデジタルが生んだ「ストリーミング」や「サブスクリプション」という音楽視聴形態は、音楽をいつでもどこでも、所有せずに聴けることを可能にしましたし、わざわざ時間とお金と体力を使ってライブ会場まで行かなくとも、ヴァーチュアルに楽しめる情報環境も生まれています。
ところがそれらの技術が引き起こしているのは、ある意味で旧態である「レコード」「CD」「ライブ」の消滅ではなく、むしろそれらの価値の再発見であるようなのです。
米国でのフィジカルメディア:レコードの復活とCDの現状
次のグラフは、先ほど見た日本の音楽関連市場データの米国版のようなデータを当ラボで視覚化したものです。色を塗り分けた各カテゴリのエリアチャートは、年毎に市場規模が大きい順に上下を入れ替わるようにしています。上にあるほど金額が大きい、ということです。
デジタル系のカテゴリにハイライトしてみましょう。
ご覧のように2015年を境に、デジタルがCDなどのフィジカルなカテゴリと入れ替わりながら成長してきたことがわかります。ただ、ここ数年は踊り場のようです。
一方、CDやレコードなどの、フィジカルなカテゴリにハイライトしてみましょう。
ご覧のようにCD(ピンク)は日本ほどの復活を見せていないものの、レコード(グレー)については2010年代から復活してきたことがわかります。
世界的な潮流:フィジカルメディアの復権
米国だけでなく、世界の音楽市場を見ても、フィジカルメディアの収益は増加傾向を示しています。国際レコード産業連盟の2024年版レポートの当ラボによる抜粋の要約を下記に示します。
日本ではもちろん世界でも、音楽のデジタル化と並行して、フィジカルな音楽メディアの成長が同時に進行しているわけです。
レコード会社とスーパーファン戦略:新たな収益源
こうした市場構造の潮流を背景に、世界の二大レコード会社の事業計画にも特筆すべきメッセージが現れています。
例えば、ユニバーサルミュージックさんのCapital Markets Day2024での公開資料を見てみると、次のようなスライドがあるのを確認できます。
「好き」を可視化する:フィジカルとグッズの価値
つまり「ある曲をもの凄く好きなファン」も「ライトなリスナー」も、Spotifyなどのストリーミングサービスに支払っている金額は同じ月額料金(日本だと980円)なので、「好き」という気持ちの強度が金銭的な支出に反映されにくい構造があるというわけです。
ところが、限定盤CDや、アーティストグッズなど、物理的な商品がアーティスト側から提供されていれば、ファンがそれらを購入することで、「好き」の強度が金銭的な支出に反映されやすくなるわけです。
米国など英語圏の音楽業界では、こうした売り上げをもたらしてくれるファンのことを「スーパーファン」と呼んで、そうした顧客を対象にフィジカルなメディアやアーティストグッズを販売する事業を、利益の成長を牽引してくれる「スーパファンビジネス」として位置付けているわけです。
(少なくとも投資家向けにはそのようにプレゼンテーションしているわけです。)
経産省レポートが示すスーパーファンの消費行動
当ラボもデータを提供している経済産業省「音楽産業の新たな時代に即したビジネスモデルの在り方に関する報告書」にも、スーパーファンに関するページが存在し、次のようなデータが紹介されています。
このような「スーパーファン」の存在を想定した事業の選択と集中の傾向は、ソニーグループさんの投資家向け事業説明会の資料からもうかがい知ることができます。
ぴあ総研さん出典データを引用して、ライブチケット売上はコロナ禍前と同水準のに留まる一方で、SMEJ所属アーティストによる大規模公演の増加と、それに伴う「興行物販」の売り上げが28.4%増大しているというデータが示されています。
つまり、ライブ市場の拡大の裏側に、グッズという物質的な商品の販売/購入機会の増大があることがうかがえるわけです。
こうしたデータや事業計画を受けて、音楽制作の現場でも、アーティストグッズも、タオルやTシャツ、トートバックといった比較的廉価なものの制作・販売に加えて、高単価な限定グッズや、比較的高単価かつある程度効率的に量産可能なグッズが増えていくのかもしれません。
テイラー・スイフトさんら米国のポップ・レジェンドはもちろんのこと、例えばユニバーサル・ミュージックに所属する藤井風さんは、日産スタジアムでのコンサート(当ラボも参加)を動画撮影OK、YouTubeで無料同時配信&アーカイブ配信する一方で、アジアツアーでの衣装制作を担ったブランドさんとコラボレーションしたツアー衣装のセットアップの受注販売を発表しています。ジャケットが42,900円、ボンパンツが39,600円なので、セットアップで買うと82,500円となります。
エンタメ領域における「物質」の重要性
また、音楽に限らず、映画やアニメーション、漫画といったエンタテイメントの領域でも、同様の傾向が観察できます。
例えば一般社団法人MANGA総合研究所さんの調査によると、日本コンテンツの各市場の中で「グッズ」は国内外の合計が最大の1兆を超える規模と算出され、さらに拡大するものと予測されています。当ラボがグラフ化したものがこちらです。特に海外ではグッズ(水色)の市場規模が最大であることがわかります。
つまり、Spotifyのような音楽ストリーミングや、Netfixのような動画配信、少年ジャンプ+のような電子コミックなど、エンタテイメントのコンテンツがどんどんデジタル配信にシフトされる情報環境の変化の一方で、そうしたコンテンツを「物質」として購入し、所有したり身につけたりするといった行動が増加していて、ビジネスの成長ドライバーとしても期待されるようになっているわけです。
このような現象は、国内外問わず多くの人が予想しなかった未来ではないでしょうか。本稿後半では、産業側だけではなく「ファン」「リスナー」の側からこの現象を捉え返してみたいと思います。
タワーレコードの復活:デジタル時代における「聖地」
例えば「タワーレコード」は米国で音楽小売業として長い歴史を持つ企業で、特に1970年代から1990年代にかけて世界的に影響力を持っていましたが、1990年代後半から2000年代にかけてインターネットとデジタル音楽の登場、CD販売の低迷などを経て、2006年に破産申請を行うことになり、一旦米国内のほとんどの店舗が閉鎖される結末を迎えます。
新しいデジタルメディアが旧来のフィジカルなメディアを駆逐していく象徴のような歴史であり、ある時点からは確度高く予想できた結末です。
ところが日本のタワーレコードは2002年に国際チェーンから独立しており、日本がCDが比較的売れている国であったこともあって、米国での破産申請後も、店舗の営業を続けることになります。
そんな日本でも米国の後を追いかけるような形で、音楽ストリーミングの普及が進むわけですが、では米国と同じように悲しい末路を辿ったかというと、むしろ「逆の未来」が現れたのです。
2024年現在、日本のタワーレコードは過去最高益を記録していると報道されています。
その要因には、CDやレコードの需要の復活、限定商品やコラボレーションアイテムの販売、インストアライブの取り組み、グッズ販売やカフェ運営の成功が挙げられています。
このような日本のタワーレコードの生き残りの結果、その店舗は、ファンや訪日外国人観光客が、フィジカルなメディアやグッズ、記念撮影などを求めて集う、ある種の「聖地巡礼」の対象のような空間になっています。
「音楽に関わる多種多様な物質が一堂に介している」タワーレコードという空間は、都心に住む日本人にとっては昔からある当たり前のものかもしれませんが、創業の地である米国ですら一旦無くなってしまった状況では、海外の人にとっては必ずしも当たり前ではない、貴重なものになっていると見られます。
実際のところ、タワーレコードでは海外からの観光客が増加しているといいいます。
本国ですら消滅してしまった文化が、不思議なことにほぼ日本でだけ生き残っている…という状況は、東洋文化研究者のアレックス・カー氏が『もうひとつの京都』の中で行っている次のような指摘を想起させます。
そんなタワーレコードを訪れると、ストリーミング時代に多種多様な形で「物質化」された音楽と、そこに集う人々の姿を目にすることができます。
中でも1Fにある「タワレコ 推し活グッズ」のコーナーはとりわけ興味深いものです。
メンバーカラーに対応できる色とりどりのうちわに、
そのうちわを持ち運ぶためのケースや、
これも色とりどりの「推し活お守り」、
そして9色用意された「いきなり銀テケース」などです。
「いきなり銀テケース」とは、2019年に発売された商品で、公式によると「ライブやコンサートでゲットした銀テープをその場で収納できるケース。キーホルダーパーツが取れるので、スタッキングしてそのままで飾ることも可能。アクセサリーなどの小物入れとしても使えます」とあります。
京都の祇園祭の綾傘鉾で披露される「棒振ばやし」では、踊り手が踊りのクライマックスで手から「清めの糸」と呼ばれる、先端に小さな鉛の付いた蜘蛛の糸のようなテープを放ちます。この鉛は縁起物であり、3つ集めて財布に入れておくと金運向上の御利益があるとされています。ちなみに当ラボも1つゲットしたことがあり、財布に入れていました。
「ライブでステージから放たれる銀テープをその場で収納して、家でディスプレイしたり、携帯したりする」という現代の推し活の行動は、こうした古来から続くアニミズム的な習俗を想起させます。
ストリーミング時代の「感情のアンカリング」
現代において私たちに音楽や映像を届ける「ストリーミング」という仕組みは、ダウンロード形式とは異なりデータをリアルタイムで送信するものです。音楽や映像ファイルがインターネットを通じて一時的に受信され、私たちのデバイス上で再生されますが、そのデータ自体はデバイスには永久には保存されないことがほとんどです。
つまりそれらは、リアルタイムで送られてきては、私たちが知覚したそばから消えていく、電子的な信号の流れに過ぎないと言えます(元々、音楽自体が空気の振動による生ずる刹那的なものです)。
一方で、そうした形態となった音楽や映像を、CDやレコード、グッズという形でもう一度「物質化」することで、私たちは、アーティストへの「好き」という気持ちや、ライブでブチ上がったときの高揚感など、本来は原理的に触ることができない一過性の感情を日常の中に再現し、反芻できるようになります。
いわば私たちは、CDやレコード、グッズを通じて、感情を物質にアンカリングしている(emotional anchoring)とも言えそうです。つまりフィジカルなモノたちが、感情の記憶装置として機能しているわけです。
しかもそうした物質を所有し、愛でたり携帯することは、「ファンという共同体」に所属しているシンボルともなります。
それは心理的には、離れて存在するファン同士やアーティストとの仲間意識や帰属意識を形成するのに寄与しそうですし、ライブ会場へ向かう交通機関の中では、互いを仲間であると識別するサインにもなります。
礼拝的価値の復権と「再物質化」
ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)は、芸術作品には「礼拝的価値」と「展示的価値」存在すると述べました。
礼拝的価値…芸術作品が神聖な儀式の一部として存在する価値
展示的価値…芸術作品が一般公開され、多くの人々に鑑賞されることを可能にする価値
ベンヤミンは、これら二つの価値が芸術作品における重要な要素であり、そのバランスが芸術の歴史とともに変化してきたと指摘しています。特に、写真のような機械的複製技術の登場により、芸術作品の「一回性(アウラ)」が失われ、大量に複製されることが可能になった時代には、芸術作品の「展示的価値」が増大し、「礼拝的価値」が相対的に減少したと述べています。この変化はベンヤミンが「アウラの凋落」と呼んだ現象の一部です。
一方ここまで見てきましたように現代で起きているのは、ストリーミングによって音楽や映像が展示的性格を強めていく趨勢に対して、私たちがそれらをフィジカルなメディアやグッズという形で「再物質化」(Re-Materialization)し、礼拝的価値を取り戻しているかのような現象です。
音楽と映像の「再物質化」が示す未来
音楽や映像が、まるで電子の奔流のように世界各地へ瞬時に伝播し、ファンベースが拡大すればするほど、私たちはそれらを、より個人的で、触れることのできるモノに「再物質化」して保有したいという衝動に駆られるのではないでしょうか。それは単なる消費行動やノスタルジーを超えた、感情の記憶装置であり、ファンコミュニティへの帰属意識の象徴であり、そして何よりも、アーティストへの深い愛情の表現となってきているように思えます。
ストリーミングによって、誰もが手軽に音楽や映像にアクセスできるようになった現代だからこそ、フィジカルメディアは、単なる過去の遺物ではなく、新たな価値を持つものとして再評価されています。それは、デジタルデータでは決して得られない、所有する喜び、触れる感触、そして何よりも、その「モノ」に宿る魂のようなものなのかもしれません。
音楽の「再物質化」とウェーバー社会学の「再魔術化」
マックス・ウェーバー(1864–1920)という、近代社会における合理化の進展を分析したドイツの社会学者がいます。彼は、科学や合理性の台頭により、世界が魔術的・宗教的な解釈を失い「脱魔術化」(Entzauberung)が進むと指摘しました。
一方で、現代社会では再び神秘性や感情的なつながりを求める動きが見られることがあり、これを「再魔術化」(Re-Entzauberung)として論じる研究者もいます。
音楽や映像の「再物質化」の意味は、ウェーバー理論でいう「脱魔術化」と、派生して出現した「再魔術化」を照らし合わせることでも理解できるかもしれません。
デジタル化された音楽は合理的で利便性が高い一方で、その過程で、愛好する対象に触れる喜びや、所有して一体になる喜びといった感情的な価値が弱まったかもしれません。これが、アナログレコードや限定版CD、グッズの価値の再発見を促しているわけです。
ストリーミング時代における「再物質化」は、脱魔術化した世界が失いつつあるかもしれない感情や神秘性を私たちが取り戻す、あるいは新たに手にする再魔術化のプロセスの一部としても捉えることができそうです。
物質を介して浮かび上がる「私」「世界」
限定盤のCDを開封する時の高揚感、レコードの針を落とす瞬間の期待感、ライブ会場で手に入れたグッズを眺めたり携帯する時の満ち足りた気持ち…そしてそうした物質を眺めることで見えてくる「私」という存在、そして「私が愛してるこの世界」の姿。
これらは、スマホのスピーカーやスクリーン上を行き交う信号だけからは味わえない、「物質」を媒介するからこそ感じられる、ある種の魔術的な体験なのかもしれません。
なおユニバーサル ミュージックさんの公式noteには、原宿にあるUNIVERSAL MUSIC STORE HARAJUKU関する興味深い記述が掲載されています。
音楽の「再物質化」のある側面では、日本が先頭を走っているのかもしれませんね。
ちろんレコードやグッズの生産は地球資源の消費を必要としますし、「スーパーファン」が購入に使えるリソースも有限であるので、サステナビリティの観点からも無限に拡大が続くのではなく、どこかのタイミングで均衡点が見出されてると考えられます。
そううした正負のバランスも含め、この「再物質化」の先に、私たちはデジタル時代における人間の感性や幸福感と、テクノロジーとの新しい調和の形を見出すのかもしれません。
今回当ラボが提起した音楽や映像の「再物質化」というアイデアはまだまだ生煮えではありますので、引き続きデータとフィールドの往復から探っていきたいと思います…!
まとめ
音楽配信のデジタル化が浸透しているにも関わらず、CD、レコード、音楽ビデオ、ライブといったフィジカルメディアの市場が活況。
この一見逆説的な現象は、ファンがストリーミングという電気信号の流れを「物質」に固定したいという欲求の表れのように見える。
デジタルとフィジカルの共存関係は、従来の「新メディアが旧メディアを駆逐する」という法則を覆している。
レコード会社は、フィジカルメディアやグッズ販売を「スーパーファンビジネス」と位置づけ、新たな収益源として重視している。
ファンにとってフィジカルメディアやグッズは、「好き」という感情の強度を可視化する手段であり、ファンコミュニティへの帰属意識の象徴となっている。
日本のタワーレコードの復活は、デジタル時代におけるフィジカルメディアの復権を象徴する出来事である。
音楽の「再物質化」は、ベンヤミンが提唱した「礼拝的価値」の再興を示唆しており、デジタル時代における人間の感性とテクノロジーの新たな調和の形を提示しているのかもしれない。
以上、徒然研究室でした。Xでもオープンデータとプログラミングで関心あることを分析してポストしています。どうぞご贔屓に🙏