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人生おもしろがれ

文章を書くことにおける兄のような人に、文体が変わっていて言われなければ分からなかった、と言われた。兄というには烏滸がましいくらいの人だけれど、親愛の情をこめて兄と思っているのでゆるしてくださいな。

16歳から就職するまで、ずっとブログを書いていた。他にも当時のブログを知る人がここを読んでくれたので、変えてきたな〜と思われているかもしれない。書いている内容もテンションも文体も違うのは自分でもわかっていたが、人に言われるとまたちょっと違う。なにが私を変えたんだろう・・・と考えを巡らせた。

理由は大きく二つあると考えた。
原因論でいうと、環境変化と、それによって読む本が変わったから。
目的論でいうと、noteという場所の特性上、ちょっと知的にみられたいのかも?なんてね。

書いていて楽しいのは前者なので、前者を掘り下げてみよう。
スタミナがおちたので24時間はしゃぎまわれないし、自分のことだけに全力投球はできない。多少なりとも大人として危険予測ができるようになったので、あの頃のように月一で何かに激突したり自転車で空を飛んだりチョコレートを爆発させたり、キムチ鍋を投げてしまったりしない。ちょっと懐かしくもあるな。
でも、事件は起きるのを待つのではなく、起こすものだとも思う。敢えて奇行をしたり激辛ラーメンをつくってみたり、そういう意味ではなくて、注目するかどうか、面白がるかどうかだということだ。

芸人さんは遊びに誘われた時、「何か面白い事件があるかもしれない」というスタンスで行くそうだ。そして、キレたら事件発生、ラッキー!すべらない話では、高めの確率でキレている。今パッと思い出せたのは、キム兄の、ホテルにうんこがある話(私はうんこがすきだ)。まっちゃん、キム兄、小藪一豊さんあたりは割と高確率でキレている。
つまり、誰かにこれを伝える時、ただキレていては唯の愚痴だが、ちゃんと組み立てれば面白いのだ。キレても儲けもんだ。得しか無い。
振り返ると、事件が多いからブログを書いてみる、というより「ブログを書き出したら事件が増えた(認識するようになった)」という方が確からしい。

会社の先輩方や友人にはやたらと面白い人が多い。
大をして水を流した瞬間、バックルが壊れて便器に落ち出張先のトイレを詰まらせただとか、インド風俗で上司の名前でメンバーカードを作っただとか、インドで中毒になりスーツケース用の台車に載せられて関西空港を運搬されただとか・・・みんな面白がる能力が高いんだなと尊敬するし、そんな人たちと働けるのは素直にうれしい。

樹木希林さんの遺言の本でも、人生を面白がれ、と書いてあった。
日常に発生する出来事を、面白がる目で見ていきたいなぁと思う。ちょっとずつ、目のリハビリをしよう。そしてここに吐き出して行くので、どうぞよしなに。
面白きこともなき世を面白く。すみなしものは心なりけり。

追記
数ヶ月前だが、友達の家へ遊びに行く途中にあったラブホテルの名前


強っっ!!!

わからないんだけど、それが強い?強固?であることは魅力なのか? ・・・ツッコミなので誰も答えなくていいです。

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