家の近くの話
ずっと下書きのまま忘れていた記事を見つけたのでアップする。
お盆は、娘と二人で実家でのんびりした。夫は仕事。置いていくのは少し申し訳ないけれど、夫の方から「実家でのんびりしてきたら」と言ってくれたのは本当に助かった。
花火をしたり、娘を親に預けておいしいものを食べたり、ゆっくり本や雑誌を読んだり、昔の机を片付けたり。親とものんびり過ごせて、久しぶりに手放しでだらけられた気がする。
娘が蚊に刺されまくってしまい、急に薬が入り用になったので、実家近所のドラッグストア「きのうた」に行った。
恐らくチェーン。路面店で、スーパーマーケットや小中学校の近くにあったため、昔はよく親に連れられて行っていた。奥の方には風船やプラバンなど子供のちょっとしたおもちゃもあって、妹と小銭を持って買いに行ったこともたる。入り口近くにレジがあり、奥に25mくらい。左右に広く、薬や日用品や化粧品が沢山並べてある印象だった。
一歩足を踏み入れると、驚きのあまり足が止まった。
棚の半分くらいが空だった。広告やPOPでうるさいくらいだった店内は、対角の壁まで見渡せてしまった。
骨と皮みたいな店員さんがいて、レジで「栄養剤飲まれますか?」と突然聞かれた。「はっ、はい」と無意識に返事すると、給湯器からジョボボボボと、湯気のたつ栄養剤を渡された。漢方のような、渋くて甘い味がした。
私が通っていた公立小学校はマンモス校で、一学年6クラス、200人。全校で1200人以上がいた。当時でさえ多い方だった。ケーキ屋さんもパン屋さんもあったし、子供が立ち寄る駄菓子屋もあった。スーパーも、たこ焼き屋もあった。コンビニが建っても、地元の悪い中学生が深夜に溜まって営業不振となり、すぐに潰れた。
私が高校生くらいから少し様子が変わりはじめ、大学生になって年に2回しか返ってこなくなったころ、スーパーもたこ焼き屋も駄菓子屋も潰れた。パン屋とコンビニだった建物はケアホームの事務所になり、ケーキ屋さんもシャッターを閉めたままだ。国道沿いまで出るとコンビニができた。
悲しいけど、町は歳をとっている。私の住む町も、いつか歳をとる。
お城やお寺や神社、散歩が気持ちいい道がある町に住みたくてこの町を選んだ。景気の影響を受けないものだから、きっと歳をとった町にも残っている。
南海トラフもあるけれど生きていれば、50年後もその姿を見られるかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?