保護命令申し立てから陳述書作成、審尋、発令まで
※リアルタイムで投稿していません。今後の調停等への影響を考慮して、時差投稿をしています。
保護命令の申し立てから約1ヶ月。保護命令が発令されました。
接近禁止1年、退去2ヶ月
妻の保護命令申し立てから約1ヶ月たち、保護命令が発令されました。
妻が申し立てた保護命令は、以下の4点です。
妻への接近禁止
子どもたちへの接近禁止
妻側親族への接近禁止
退去
そのうち、妻への接近禁止と退去が認容され、子どもたちへの接近禁止と妻側親族への接近禁止は却下されました。
接近禁止の期間は1年、退去の期間は2ヶ月です。
令和6年4月1日から接近禁止の期間が6ヶ月から1年に延長されています。
出典:改正配偶者暴力防止法の施行について|内閣府
保護命令違反は2年以下の拘禁刑または200万円以下の罰金
保護命令に違反すると、罰則があります。従前の罰則から厳罰化されています。
審尋は一度きり
妻の申し立てに対して、私が反論できる審尋の機会が設定されます。審尋期日は申し立てからおよそ一週間から10日後に設定されることが多いようです。私の場合は妻の申し立てから10日後でした。
審尋の機会は一度きりでした。
妻の申し立て⇛私の審尋(反論)⇛それに対する妻の反論で終わりです。私の二度目の反論の機会はありませんでした。
申し立てを受ける側は、一回の審尋にすべてを注ぐ必要があります。仕事をしながら、過去の出来事を思い出し、丁寧に組み立てて10日でまとめるのは骨が折れます。
それでも、準備をしなければ相手が申し立てた保護命令がすべて認められてしまう可能性が限りなく高いわけですから、人生のすべてを捧げて準備しても良いはずです。
可能であれば長期休暇を取得するなどして、集中して取り掛かることをおすすめします。
私はこの件で一ヶ月休みをもらいましたから、なんとか準備を進められました。
保護命令申立書の内容
基本的に、保護命令申立書の内容は、相手が訴えたい暴力や脅迫などです。私の場合は、妻ともみ合ったときにできたと主張したいのであろう引っかき傷やアザの写真、妻に対して叱責している音声が添付されていました。
なぜそのような言動に至ったのかは、別の記事で書こうと思います。私には反省点がありますが、妻が何も悪くないわけがありません。ずっと冷静に諭すように何年もかけて伝えるべきことを伝え続けてきました。それでも改善されず、子どもたちを守る必要があったわけです。いつか詳細に書きたいと思います。
妻が私の発言を録音している時期は連れ去り前約1ヶ月に集約されるのですが、この頃のことを思い返せば「疲れるな」「そろそろ限界だな」「でも手を抜いちゃいけないよな」と感じている日々でした。
妻の言動が全部録音ためだったのだと思うと、合点がいきます。
弁護士は「サンドバック状態」と受任を拒否
私は弁護士を探しましたが、妻の申し立ての内容を提示すると多くの弁護士に「受任できない」と断られました。
5人の弁護士に相談しましたが、「ここまで音声取られているのは珍しい」「お手上げ」「サンドバック状態」と言われました。もちろん、親権や監護権の争いにおいても諦めたほうが良いとも言われました。
さすがに私も現実を受け入れざるを得ず、このときは諦めました。
それまでの経緯は考えず、受け入れるしかないと。
答弁書、陳述書を作成
「受けるだけ受けても良い」という弁護士を知り合いの方が見つけてくださり、その弁護士さんにお願いすることにしました。
弁護士費用は遠方手当も含めて、25万円です。成功報酬の話はされませんでした。変わりに、「期待しないでください。サクッと保護命令って出ちゃうんで」と言われました。
正直、もう無理なら来てもらうだけ無駄だな、申し訳ないなと思って一度断ったのですが、「行きますよ」と言ってくれたので結局頼みました。結果的に、頼んで良かったと思います。
答弁書は自分では作れないと思う
申立に対する反論のため、私は自分で文書を書いていたのですが、弁護士が作ってくれた答弁書を見て「頼んで良かった」と思いました。
反論する答弁書には形式や書き方のようなものがあるようで、あの書き方は自分ではできません。また、その答弁書を読んで、この件において初めて強力な味方を得たような気がしました。「ちゃんと反論してくれてる」「おれの味方でいてくれてる」と感じ、涙が出ました。
証拠と主張で構成する
弁護士いわく、こういう反論は、証拠と主張で構成するらしいです。弁護士が作成する答弁書が証拠、私が書く陳述書が主張となります。
とはいえ、主張はできますが、「やってないことを証明する証拠」などありません。悪魔の証明です。
「やってません」と言うしかない。
ただ、「やってないこと」やそうするしかない家庭状況であったことを伝えるため、それまでの経緯や私が考えていたことを丁寧に陳述書に込めて書こうと思いました。
陳述書に書き記した妻の嘘や不倫、義母の暴言、子どもたちの様子、私の親としての思い
私の陳述書には、以下のようなことを書きました。
妻の不倫や嘘によって私は苦しみ続けていたこと
それでも子どもたちを育て家庭を維持するために我慢し続けたこと
義母や妻の暴言
教育的配慮に欠けた行動
妻が子どもたちにも嘘をつかせ続けたこと
私はそれでも努めて冷静に話をし続けたこと
子どもたちが荒れていたこと
妻が「どうすれば良いかわからない」と言い続けたこと
妻が子どもたちの教育を「無理」と放棄したこと
妻と子どもたちの言い合いが激化していたこと
妻の言動により子どもたちが傷ついていたこと
私が子どもたちを思っていること
私の言動により子どもたちを傷つけた可能性があり、それを深く反省していること
妻の申し立ての内容に対しては、その時の様子や経緯について詳細に記述しました。そうすることで、少しでもこちらの言い分の信憑性を高められるかもしれないと考えたためです。
信憑性が高まれば、私の主張を少しでも受け入れてくれるかもしれないと淡い期待を抱いていました。
陳述書の最後には、子どもたちを元いた学校に通わせてあげてほしい、長男を元の学校で卒業させてあげてほしい、友人関係や築いてきた立場や役割はすべて子どもたちの財産であり、それらをこれからも大切に育んでいってほしいと願っていると書いて締めました。
審尋は約20分
審尋は裁判官、書記官、私、私の代理人弁護士、合計4人で、裁判所の1室にあるラウンドテーブルを囲って行われました。
最初に裁判官から、「詳細に記述していただきありがとうございます」との言葉。事前の情報収集により、私の主張など読まれないかもしれないと思っていたため、とても意外な言葉でした。
それから相手の申し立てや私の陳述書に対する質問があり、最後に代理人弁護士に質問。
弁護士には、「私が自宅を出ても構わないから子どもたちを元の環境に戻してあげたい」と伝えていたため、弁護士はそれを裁判官に伝えてくれました。
審尋の時間は合計約20分で、とても短い時間で終わりました。
最後に、裁判官から「相手の反論を待って、結論をお伝えします。」と伝えられ、退出しました。
保護命令は即日、その場で言い渡されると聞いていたため、これも意外でした。
結論は審尋から約1ヶ月
保護命令の結論は、私の審尋から約1ヶ月経過してから伝えられました。相手の反論に対する私の再反論の機会は設けられませんでした。
一連のDV等支援措の理不尽さに慣れてしまい、私の再反論がないことも不思議と自然に受け入れてしまっている自分がいることに気づき、少々の気持ち悪さを感じたことを覚えています。
保護命令の結論は、代理人がいる場合は代理人に書面が送達され、代理人から伝え聞きます。
結果、子どもたちへの接近禁止は却下
結果、子どもたちへの接近禁止は却下されました。
私としては、相手が申し立てていた妻や妻側親族への接近禁止が発令されたとて、近づきたくもないし声も聞きたくないと思っていますので、構いません。
子どもたちへの接近禁止が却下されたのは、不幸中の幸いです。
ただ、今後の親権、監護権の争いにおいて俄然不利であることに変わりはありません。
保護命令発令後、警察署に呼ばれて説明を受ける
発令の報告を代理人弁護士から聞いた後、警察署の生活安全課から電話がありました。
それまでも、何度も生活安全課に電話して自分の行動の仕方について相談していたため、警察署に出向くことや警察の方と話すことに何ら不安や戸惑いはありませんでした。
保護命令の内容と違反行為について説明を受けましたが、私は保護命令が出る前から妻に近づこうとしていないわけで、今さら今後の手続きに不利になるようなことをするはずもありません。
退去のタイミングは代理人同士で相談
退去のタイミングは代理人同士で相談して決めます。私から希望のタイミングを伝えたところ、希望通りの日程でOKとのことでした。
保護命令は書類が送達された時点で効果が生まれるため、すでに保護命令期間中であり退去期間はスタートしているのですが、私はまだ自宅にいます。
仕事があったり、片付けがあったり、荷物をまとめる必要があったりしますから、すぐに出ていけということではないのですね。
次に向かう
ひとまず、保護命令の争いについてはこれで終わりました。これからが本番です。気を引き締めて準備します。