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ロールパンナちゃんとサンとわたし

数多くの幼児を虜にしてやまない国民的アニメ、「アンパンマン」。かくいう私も例に漏れず、小さい頃によくみていた記憶がある。
当時私が通っていた保育園では、園服にひとつ、ワッペンをつけていいというルールがあった。(おそらく、取り違えを防ぐため)
2歳年下の妹はアンパンマンのワッペンが欲しいといい、お目当てのそれは街の小さな手芸屋さんの一角でもすぐに見つかった。当然だろう。だってアンパンマンだ。泣く子も黙るアンパンマンさまなのだ。
対して私が欲しがったのは「ロールパンナちゃん」。善の心を持つメロンパンナちゃんのお姉さんであり、バイキンマンによって悪の心を植え付けられてしまったアンパンマンの敵でもあるという、複雑なキャラクターだ。勧善懲悪がわかりやすく作られていた当時の幼児アニメにおいては、割と異色のキャラクターだったのではないだろうか。そんなロールパンナちゃんに、幼児の私は夢中だった。
けれどやはり異色だったのであろう、すぐに見つかったアンパンマンのワッペンに比べ、ロールパンナちゃんはなかなか見つからなかった。2軒目のお店でもみつからず、「あんたもアンパンマンにしたら?」と言われたのを覚えている。そして首を縦に振らなかったことも。だって、どうしてもロールパンナちゃんがよかったのだ。颯爽と戦う姿がカッコ良くて、強くて、悪の心があってもほんとは優しい、ロールパンナちゃんがよかったのだ。それから何軒か回ってやっと見つけたロールパンナちゃんのワッペン。ほんとうに、本当に嬉しかったことを今でも覚えている。

次に夢中になったのは、もののけ姫のサンだった。もうめちゃくちゃに夢中だった。当時家にあったVHSは擦り切れるほど繰り返しみて、セリフも全て覚えていたほどだった。洗濯物のタオルを勝手に切り刻んでサンの衣装(白い毛皮をタオルで作ろうとした)を自作(笑)して怒られたこともあれば、両親がおつまみとして買ったビーフジャーキーを勝手に持ち出して干し肉に見立てて食べて怒られたこともある。それくらいサンになりたかったし、サンが大好きだった。今でももののけ姫は一番好きなジブリ作品だ。
私にとってのお姫さまは、山犬に乗って山を、谷を駆け巡る。槍や刀をもって戦うし、大切なものを守るために声を荒げる。泣きたいときは泣くし、怒りたい時には怒る。それが私の最初に知った姫、もののけ姫だった。

ロールパンナちゃんとサン。不人気ではないけれど、いわゆる「正統派ヒロイン」ではないふたりに惹かれた私。それからもたくさん、素敵な物語の女の子たちに出会ったけれど、いわゆる「真ん中にいるピンクの主人公」にはあまり惹かれなかった。セーラームーンはウラヌスが好きだったし、ぴちぴちピッチはノエルが好きだった。東京ミュウミュウはざくろお姉さまとプリンちゃんが好きだったし、おジャ魔女どれみはももこちゃんとおんぷちゃんが好きだった。(頷いてくださる皆さん、同世代ですね)

そう、みんな「真ん中にいるピンクの子」じゃなかった。もっといえば、「真ん中で、ピンクや赤がイメージカラーで、髪がロングでいつもスカートを履いている子」じゃなかった。少しずつ、「定番」「王道」とずれているヒロインたち。
彼女たちが存在してくれていたことの大きさを、今この年になって、改めて大きく感じる。

ピンクよりも青が好きで、可愛いも好きだったけど、かっこいいも好きだった私。そんな私の好きな色を纏って、青色のドレスをきてくれるお姫さまや、ショートカットで戦うヒロインがいてくれた物語の数々。おかげで、青が好きな女の子でいられたし、大人しくない女の子でいられた(親は苦労しただろうけど)。何よりも、女の子のまま、わたしはわたしのまま、好きなものを肯定して生きてこられた。それは、あの時ロールパンナちゃんのワッペンが見つかったときの気持ちととても似ている。うまくことばにできないけれど。

アンパンマンじゃなくても。
王道じゃなくても、多数派じゃなくても。
好きなものを好きと言えること。
自分のままで、いられること。そしてそれを受け入れてもらえること。

あの時ロールパンナちゃんのワッペンが見つかったように。
多くを敵に回しても、自分の大切なものを守るためにサンが立ち向かったように。
そして、たくさんの「彼女たち」がいてくれたように。


どの女の子たちが何を、誰を好きで、どんな色を選んでも。
何を求めて、誰を大切にしても。
ひとりじゃないと思える、そんな世界を願って。
そんな当たり前の思いが、
この世界のどんな場所でも叶えられる世界を作る大人でありたいと
決意を込めて。



国際ガールズデーに寄せて


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#feminism #フェミニズム



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