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弔辞(下書き)

この度は、祖父○○の葬儀に際して、ここに謹んで追悼の辞を述べさせていただきます。

祖父のことを想う時、いつも脳裏に浮かぶのは、老眼鏡をかけ、炬燵に座り、広告の裏紙を使って、黙々と難しそうな数学の問題を解く姿と、ジャージを着て、朝と夕にジョギングに向かう後ろ姿です。

小学生の頃、月に一度は祖父母の家に泊まりに行っていた私は、そんな姿をよく不思議に思ったものでした。
もう学校に行かなくていいのに、どうしてお勉強しているの?おじいちゃんなのにどうして毎日走っているの?と。
しかし、それこそが祖父の健康の秘訣であり、人生を豊かにするものであると気付いたのは、私が大人になってしばらくしてからでした。祖父は真面目で勤勉で穏やかで、宮沢賢治の「アメニモマケズ」をそのまま体現したような人でありました。

足が弱っても、ジョギングをウォーキングに変え、雨の日も風の日も、身体が動くギリギリまで続けていました。祖父がその人生で走った総距離は、トータル地球2周分だというのだから驚きです。
大きな病気もせずに91歳という年齢を迎えられたことは、祖父のこの日課が健康を保ってくれていたのではないかと、私は思っています。
どうして毎日数学を学んでいるのかと、直接聞いたことはありませんでしたが、私は祖父のその姿から、学ぶということは、いくつになってからでも遅くはないということと、学びは心を豊かにするということを教えられたように思います。

祖父との思い出は上げればきりがありません。子供の頃は、△△のアスレチックや▲▲のローラー滑り台に遊びに行ったり、自衛隊の演習を見せに連れて行ってくれました。
高校生の時には、電車に乗りそびれて、遅刻しそうになる度、朝の7:30だというのに電話をかければ市外の高校まで車で快く送り届けてくれ、台風の時には迎えにも来てくれました。
よく猫を拾っては、自宅では飼えないからと、祖父母に世話を頼み、気づけばその数は最大5匹にもなり、車庫を猫専用部屋にしてしまったのも、当時を思い起こすと申し訳ない気持ちもありますが、引き取ってくれた祖父の心の広さに、本当に感謝しています。もう虹の橋を渡った猫たちも、命を救われ、長生き出来たことを喜んでいると思います。

私にとって、祖父の存在は救いであり、心置きなく甘えることの出来る、唯一の場所でした。

そして祖父は自身はとても質素な暮らしをしていながら、子や孫のためならば惜しみなく愛情を注ぎ支援をしてくれる人でした。
私がスキルアップのために転職を考えた時、美容師免許を持っていないことがネックになり、進みたい道に転職が出来ないと話したことを覚えていてくれて「支援するから美容師免許を取らないか」と、美容学校に入学させてくれました。無事美容師免許を取得し、今、プロのヘアメイクとして仕事をしていられるのも、祖父の支援があったからこそです。

祖父はヘアメイクのことはよく分からないなりにも、私がこの仕事を愛している理由をとてもよく理解してくれていました。人を綺麗にする仕事をしている香は立派だと、よく働いて頑張っていると、褒めてくれたものです。
祖父は学び続けることと勤勉であることを美徳としておりました。
そんな祖父に恥じないよう、生涯ヘアメイクとして働き続けたいという夢を、人生をかけて叶えていきたいと思います。

おじいちゃん、本当にありがとう。
おじいちゃんなくして、今の私はありません。
いつでも誰よりも私の理解者であり、味方でいてくれたおじいちゃん。
お祝い事にはいつも使い切りカメラを持ち歩いて、たくさん写真を撮ってくれたね。
成人の日に振袖を着て出かけていく私の写真が、アルバムから何枚も出てきた時は驚きました。
結婚式の時には、序盤でシャッターを押しすぎて、式の最初の方までしか写真撮れなかったって聞いて、みんなで笑ったけど、それくらい花嫁姿の私を喜んでくれたんだよね。
きちんと恩返しも出来ないまま、お別れになってしまったことが申し訳なく、悔しくてなりません。
おじいちゃん、私、これからもヘアメイクとして、たくさんの人を幸せにするから、どうか見守っていてください。
きっとそれが恩返しになると信じています。
たくさんの愛情と支援を本当にありがとう。
大らかで、穏やかで、優しく、いつも私の話を嬉しそうに笑顔で聞いてくれた姿が、今でも頭から離れません。

ご冥福をお祈りします。

これを以ってお別れの言葉と致します。

孫代表 ×× ××

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