『ウェルビーイング』、それは一人ひとり違う状態だろう。未来への日本型ウェルビーイングのヒントが見えてくる。
この本は、ウェルビーイングの第一人者の石川善樹さんが、ニッポン放送のアナウンサー吉田尚記さんと語り合ったポッドキャスト番組をもとに加筆した書籍だ。二人の掛け合いだけでなく、医師である石川さんの父親も交えての鼎談「元気と病気とウェルビーイングの関係性」という鼎談もあり、偶然手に取ったのだが、サクサク読めたし、日本文化とウェルビーイングという切り口もおもしろく読めたので、備忘録に残してみた。
圧倒的にbe(いる)が足りていない社会
この本は、ポッドキャストの番組総集編ということもあり、次々に話題は展開されていくように感じられる。けれど、私にとって通底して感じ取れたメッセージは「be(いる)ことの価値」を享受できることこそウェルビーイングだということだった。今の世の中には、それが足りていないというわけだ。beが足りていない一方でdo(する)とかbecome(なる)に向かい過ぎている。
確かに、自分自身、自分の身の回りもdoだらけだ。do(する)というのは目的的だ。生産性、効率性、パフォーマンスを求めて生きる時代というのは、beだけでは価値じゃない。doあってこそ目的が成就される。価値になる。だから、”well-being”よりも”well-doing”を求められるし、誰もがそれに応えて評価を得ようとして生きている。
いまさらだけどwell-beingって?
さて、ここで一旦「ウェルビーイングとは何か?」に立ち戻ってみよう。「幸せに生きていること」、では「幸せに生きるとは?」こうなってくると、人それぞれに多様であって、一つの定義で言い切れなくなる。
一応、定義の歴史をたどってみよう。1948年にWHO(世界保健機関)は、その憲章前文で、健康を以下のように定義している。
少なくとも、英文においてwell-beingは76年前に世界に向けて国際機関が発しているのだ。そして現在は「ウェルビーイングとは人生全体に対する主観的な評価である『満足』と、日々の体験に基づく『幸福』の二項目によって測定できる」というところまで研究が進んできているということだ。
日本では、この単語の公式発表は2021年の政府の「成長戦略実行計画」における「国民がwell-beingを実感できる社会の実現」というステートメントなのかもしれない。日本では、まだ数年前からの言葉であり、日本語にうまく訳せていないのが実状だ。1948年の憲章前文の日本語訳では「良好な」という形容詞レベルだ。そこで、日本型ウェルビーイングが求められるのだ。
日本文化はbe価値の文化
本書では、日本の文化と風土を前提としたウェルビーイングを求めて、伝統的な文化や昔話を参考としつつ5つのポイントを抽出している。
1)上より奥の精神
日本の昔話では出世や上昇志向の物語よりも「元にもどる」物語が多く、ゼロリセットの精神性が大切にされてきた。
2)ハプニングを素直に受け入れてみる心
突拍子もない出来事がたくさん起こる昔話でも、登場人物たちは素直にそれらを受け入れている。楽観的にハプニングを捉えて解決に向かう。
3)人間は多面体であることが当然という認識に立ち戻る
唯一の自己ではなく、多重人格が当然、人間は多面的な顔、矛盾した性質を持っているのが自然なことだと捉えている。
4)自己肯定感の低さにとらわれすぎない
謙遜の精神が根付いているので、自己肯定感というものは、自己否定を重ねた先に、ようやく生まれる。デフォルトは低い自己肯定感の状態である。
5)他者の愚かさを許し、寛容に受け容れる
あるがままの人間、強さや弱さ、正しさや誤りを持ち合わせた人間という存在を許して、寛容に受け容れられる心性がある。
以上が、日本型のウェルビーイングを考えるためのポイントになるという。私は、自分が日本人であってよかったと、これらのウェルビーイングのポイントを見て思うのだ。
遊動生活こそウェルビーイングへの道
いろんな場所で遊んでいる人はウェルビーイングが高いという結果があるらしい。確かに新型コロナのパンデミックを経て、私たちは「移動できない」こと、「遊ぶ相手がいないこと」で自由を奪われ、孤独を味わった。移動できることの価値を思い知った。
また、人間らしさとは「遊ぶ」ことだという、ホイジンガーの「ホモ・ルーデンス」という人間観があるが、これもやはりウェルビーイングには大きいらしい。そりゃそうだろう。playfulこそ、これからの良好で健全で豊かな生き方であると私は疑わない。遊動生活がウェルビーイングを高めるのだ。
よきbeの時代へ
さて、SINIC理論では、いよいよ2025年から「自律社会」が、2033年からは「自然(じねん)社会」が始まると予測されている。そして、私は一昨年バージョンアップしたSINIC理論2.0において、Have(所有)欲求中心の工業社会から、情報化社会に入ってDo(行動・経験)欲求中心にシフトし、さらに、最適化社会から自律社会へとBe(存在・生命)欲求へのシフトが始まるという読み解きを行った。
この本のdoからbeへの日本型ウェルビーイング論とSINIC理論の未来観は、まさに符合するものだ。そもそも、私たちはHuman beingなのだ。それが、工業社会の下で最高パフォーマンスを追いかけていくうちに、いつの間にかHuman doingになってしまっていたのではなかろうか。
よりよい未来の創造に向けて、再度Human beingに立ち還ろう。まさに、日本文化から読み解くウェルビーイングの一番目に挙げたポイントのとおりなのだ。円環的な発展は、東洋、日本型の得意技なのだ。
ヒューマンルネッサンス研究所
エグゼクティブ・フェロー 中間 真一
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