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メモは何よりも優先される。それはたとえゴミ箱が倒れたとしてもだ。
人間は完璧な生き物ではないということは、流石に全ての人間が理解していると思う。人間の不完全さを人間が理解しているのであれば、それはもう克服できているのではないだろうか。失敗を経験し、共有し、学習することで、より洗練されていく。これはその一助となる文章である。
この頃、物忘れが酷くなった気がする。学生の時にはそんなことする訳ないミスを、普通に2連続とかで犯したりしている。
とは言っても小さなミスだ。googleのアプリを開いたのに「あれ、何を調べようと思ったんだっけ?」とか、昨日朝食用に買ったパンの存在を忘れてまたパンを買ってきてしまうとか。
別に致命的なミスではないから、生活に支障が出る訳ではないけれど、そんな小さなミスを犯すたびに自分に情けなくなって、今後は今以上に年老いた自分を操縦しながら生きていかなくてはいけないことに絶望を感じる。
ただこの類のミスでも一つ、致命的なミスがある。
それは思いついたアイディアを忘れてしまうことだ。
noteに書くテーマや耳心地のいいツッコミフレーズが思いついた時「これが終わったらメモに残しておこう」と思って、今行っている作業を切りのいいところまで終わらせる。5分後にメモを開いた時に「あれさっきなんかいいアイディアを思いついたんだけどなんだったっけ?」となってしまうのが死にゆく状況だ。
「メモしなくても覚えていられるでしょ」とか思っていては凡人だ。メモしなくても覚えていられるアイディアなんて大したアイディアではない。誰でも思いつくようなアイディアだ。
奇跡とも言えるその一瞬の閃きから生まれたアイディアは、今後二度と出会えないだろうし、そのエンカウント率の低さがアイディアをさらに奇抜なものたらしめているのである。
だからアイディアが思いついた時には、可及的速やかにメモを取らなければならない。これの何がタチ悪いかって、アイディアはいつ思い付く時間を選んではくれない。
一番苦しい状況は、シャワーを浴びている時である。シャワーを浴びている時はこちらがメモを取れない無防備な状況な上に、何かとアイディアを思い付きやすいのが憎たらしい。
シャワーを浴びている時にアイディアを思いついた時は、とにかく新しいことを考えるのをやめ、ここからメモを取り終えるまで思いついたことを忘れないことだけに全てのリソースを使う。
シャンプーとボディーソープを間違えてしまうとか、ニキビできてるからそこは繊細に洗おうとかそんなことはもうどうでもいい。とにかく思いついたアイディアを復唱しながらシャワーを終えられる最低限のことをして浴室を出る。
風呂を出た後も体を拭くよりも先に携帯を手に取る。体についた水滴で部屋が濡れるとか、早く体を拭かないと風邪を引くとかはどうでもいい。一回風邪を引くことによって、今思いついたこのアイディアを決して消えることのない不揮発性のROMに保存できるのならば安いものだ。
この時部屋のゴミ箱を倒してしまい、鼻水を含んだ湿ったティッシュや、さっき切った鋭利な爪が部屋に散乱しても今は構ってられない。
俯瞰で見れば、ビシャビシャに濡れた床に倒れたゴミ箱と散乱したゴミ。さらにそれを今から片付ける使命を請け負った全裸にビシャビシャの私。
今この瞬間に、日本全国1億2000万人の人間を順位付けしていきますと言われれば、間違いなく最下層に位置付けられるであろう状況だが、私は幸福感に満ちている。素敵なアイディアを思いついたことと、それを決して忘れることなくメモすることができたことに。
そのアイディアがどこまで有用なものなのかは分からない。筆者は満足感に満ち溢れているようであるが、この世に無駄な徒労を産み落としただけなのかもしれない。
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