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自己紹介:徒然に書いたら超長文💦
初めまして。つのみち獏と申します。獏と書いて『ばく』と読みます。
マレーバクとか実在する種としてではなくて幻獣のほう、夢を食うとか言われるアレのイメージでいます。どちらにせよ角(ツノ)はないだろうけどw
・三十路以上、四十路以下
・東京下町に生息
・漢字検定2級、日本語検定(語検)2級合格者
前者は『160点以上で合格』のところ166点で、後者は『得点率80%程度以上』のところ79.3%で滑り込みセーフ
【大学】
・4年制大学に現役で入るも、5年で卒業した人。3年次の前期終了時には、一留が確定していた。
・文学部日本文学科の日本文学専攻。中学で古文に出会ってからぞっこん。高2で連歌という文芸を知り、卒論のテーマにしたいと決めた。そのようないきさつで古典文学を扱っていたが、連歌にしか興味を抱けないまま。
「俳諧のことも書くなら連歌で書いてもよい」と言われた卒論では、9割方を連歌で埋め尽く荒業。
語り尽くさないと気が済まない性分なので、たかが自己紹介で5,700文字超ですwww
目次を挿れたので、お好きなところをお読みくださいm(_ _)m💦
筆号について
室町時代に栄えた連歌という文芸があるのですが、その別名である『筑波の道』のアナグラムで作ったペンネームです。
連歌については高校2年に邂逅して以来、関心を寄せ続けています。連歌をテーマに卒論を書く悲願を果たした数年後、その簡略バージョンの【連句】を一人で作ったこともあります。
連歌と連句が何者なのかは、後半で簡単に触れます。
ちなみに、数日前に表記を変えました。当初は【角道バク】でした。
カドミチって読まれそうだし、名前に相当する部分がカタカナ表記だとbugと読まれそうだなぁと思って。
やる気スイッチを始めその他諸々のセンサーが常々bugってるので、当たらずとも遠からず……むしろ当たっているのですが。『つのみちbug』になる日も遠からず、かも😂
アイコンは作成中。個人名義での執筆に挑戦するのは、実に十数年ぶりwww せっかくなら憧れの″うちの子″イラストを描いてみたいと思ったのです。
とはいえ、イラストは門外漢ですので相当な時間を要するかと。ゲームや漫画のスクショを参考にしつつ、不足箇所は描きたいポージングや手の形の自撮りという恥ずかしい資料を見ながら、ちまちまやってますwww しばらくアイコン無しです。
今後投稿していきたい記事
メイン投稿 小説
タイトル『大嘘つきの大槻くん』
ある日、『大嘘つきの大槻くん』というフレーズが浮かび、これをタイトルにして一本書きたいと思っていたのが、最近作品という器を持ちました。
1か月くらい前に書き始めたばかりで、まだ2,000文字そこそこ。
学力は平均的な私立の栄翔大学。ただ、ここの演劇部に関しては、国民的人気を誇る数多の名優を排出してきたことで名を轟かせている。
役者の道を捨てきれず、通称『栄劇』の一員として大学7年生をしている主人公の大槻壮(おおつき そう)と高望勝郎(たかもち かちろう)の昔なじみが主要人物です。
まだほんの少ししか書いてないのに、名付けから今後の妄想まで含め、色々と2人への親バカが発動してます😂
テーマである嘘をエピソードの節々に散りばめ、汚いやり口で成り上がる展開を予定しています。コメディやほのぼの系のエピソード・ワンシーンも箸休めに入れたいところ。
記念すべき第一作目、ってやつです(笑)
ときどき投稿予定
①俳句
投稿するときは俳号の『橋詰彪(あや)』も併記するつもりです。現時点では過去作がメインになりますが、これを機に句作の再開を検討中。
②連句を意識した独吟歌仙のようなもの
連歌は長いからせめて連句を、いつか実作してみたい。⸺卒論でそう綴ってから数年後。
当時Twitterで人を募ったり、自分からその輪に飛び込んだりしたものの完成を見なかったので、半ばヤケクソで″一人連想ゲーム″を繰り広げた自己満作品。でも、獏には大切な作品。
③日本語の語彙にまつわるアレコレ
類義語のニュアンス(例:タイムテーブルとタイムスケジュールの違い)だったり、雑感吐露(例:今まで誤用してたことに気づいた言葉に対する雑感)、あるいは面白い・不思議と感じた語彙メモ日記。気が向いたときに投稿していけたら。
創作と私 中学・高校時代
ここからは創作の話、ちょっとしよっか。
その扉に手をかけたきっかけ
時期は中学校に上がる年。きっかけは、ある日ふと思い立ったから。(そうだ、小説書いてみよう)と。『そうだ、京都に行こう』のノリです。深い感銘や大きなきっかけなんてモノはありません。ただ、昔から日本語の語彙に興味はあって、同年代の中では成績も良かったくらいで。
兄が読んでいた『ひぐらしの鳴く頃に』を拝借して、二次創作的な断片を書いてみたに過ぎません。断片ですからルーズリーフに数枚書いたものの頓挫し、そのまま和室のゴミ箱行きにしてしまいました。
捨てる紙あらば拾う神あり
その数枚の紙は、誰の目に触れることなく焼却炉へ⸺となっていたら、たぶん今の私はいないでしょう。
ある週末のこと。父がいつものように、二階建てのマイホームの各部屋にあるゴミ箱からゴミを取り出しては、別の大袋にまとめていました。当然、和室にも巡回してきました。
手紙か何かだと思ったのかもしれません、私がご丁寧にぐしゃぐしゃに丸めたソレをわざわざ広げて読んだのです。黙読で良かった……(;´∀`)
「兄が書いたのかと思った。オマエ、文才あるんじゃね?」と親バカが発動!!
そのおかげで⬇の書籍と巡り合うことができました。
父から贈られたこの書籍は、マンガということもあり解りやすかったです。ただ、このときは読了こそすれど創作の手が動くことはありませんでした。
充実の日々は暗雲も連れて……
中学2年になって、小説もイラストもかける同級生と親しくなりました。これを機に創作活動が始まります。
リレー小説をやったり、台本風の物を書いては帰り道に読み合いっこしたり……と、なかなか充実した日々でありました。
家でも、父のお古のパソコンを借りて今や懐かしのフロッピーディスク💾(後にUSBメモリへ)にアレコレ書いてはいたのです。
プロットなしの見切り発車がゆえに
元より、空想が苦手であります。インスピレーションを得るために読書や映画やドラマを見るといった行動を起こす発想にはなれないのです。
多読や乱読を無意味とは思いませんし、むしろ必要だと思っています。しかし、興味の湧かないことには見向きもして来なかった自分には苦痛でしかない。dutyにするほど、癇癪を起こすくらいです。
それでも、中学2年生に進級したばかりの頃は(こんなセリフを使いたい)とか(こんな場面を書きたい)と、アイデアは浮かんできていました。
ただ、数日置くと(このあとどう展開させるつもりだったんだっけ?)とポケモンのコダックよろしく、頭を抱える始末。
記憶媒体には、書き散らかしが掃き溜めのごとく……。
それもそのはず。誰が何をしてどうなるのか。そんな簡潔なプロットさえ作らないまま、書き始めるのですから。目的地はおろか、途中駅も見えない。獣道をかき分けているに過ぎず。
父から贈られた小説入門書でプロットや箱書きなどという用語を知ったものの、その重要性までは理解していませんでした。
改善点に気づいて努力していれば違ったかもしれません。中学2年の冬頃には、ふとした閃きすらも浮かばず、創作はただ苦しいだけのものという意識になっていました。
それでも高校では文芸部を選びました。小説を書くことから逃げながらも、しがみつきたかった。道化のような話ですが、私自身は本気でした。
脂が乗っていたのは、中学・高校のわずか6年間。その期間に完結できた掌編は三本指……多めに見積もっても片手で足りてしまいます。
その掌編は、ほとんど痛ポエムばかり書いていた高校時代に作った物です。
創作と私 大学卒業後
なんとか大学を卒業して数年。今度は韻文に着目しました。
まずは短歌の扉を叩いて投稿サイトに出詠、しかし2か月ほどで下火に。5・7・5は浮かぶけど下の句ができないとか、その逆とか………。あらかじめ提示されるお題(兼題)とにらめっこして、期限いっぱいまで粘ったり、早々に諦めたり。
次第にそうした閃きすらも浮かばなくなり、とんとご無沙汰。
それからまた幾年か経って、こちらは当時はまだ改称前のTwitterにて。#kigoを付けた俳句が目に留まる機会が増え、2023年11/22『小雪(しょうせつ)』から、見よう見まねの俳句ライフがスタート。
短歌と俳句の間に、連句を一人で巻く試みをした時期があります。歳時記はそのときに使った以下のものを持っていました。
短歌の投稿サイトと同じように、X(旧Twitter)でも俳句の兼題を提示してくださるアカウント様がいくつかあります。
夏井いつき組長の『世界一わかりやすい俳句の授業』を買ってみたり、組長も選者として携わる投句サイト『俳句ポスト365』・『俳句生活』にもそれぞれ何度か投稿したことがあります。投稿用を除いた個人詠としては、半年は続いたかな。ただ、こちらも現在は長らくお休み中というありさまです。
つのみち獏=面倒くさいイキモノ
書き上げたという経験値もろくにないので字書きとは到底呼べないし、現役学生の頃は大好きで熱を注いできたはずの古文知識も今や見る影もなし。それでも、俳句・小説執筆は好きでいたい。古文・連歌のことも。
「他に興味の持てるもの・好きだと言えるものが無い」という相対的評価が前面に出ているのは確かです。それでも字書きを名乗りたい……。ここまで来ると、わがままかな?
しかし、好きなものを好きだと言うのに、誰の許可が要るでしょう。また、その度合いが(他者や世間一般と比べて)限りなく薄かったとして誰に責められましょうか。
そのことも頭の片隅にありつつ、(ましてや職業にしてるわけでもない。所詮は趣味だろ?)という問答も発生してはいるので、いっそう悶々とする。そんなことがよくあります。
頭でっかち・大風呂敷を広げる(広げるだけで畳めない)ので、悪い意味での口八丁です。口だけ立派、行動が伴わない。現在は少しでも行動に移せるよう、高すぎる理想をスモールステップにして改善中🏗
出会えたことに感謝してる作品
中学校の必修科目として古文と出会ったおかげで、古文に関心を寄せ続けています。
そして高校2年に図書委員を務めたことでご縁をいただいた司書教諭の方とのお話を通して、連歌と内田百閒先生の存在を知ることができました。
特に、高校時代の出会いは私の人生を切り拓いてくれたと言っても過言ではありません。
最後に、在学当時の司書教諭の方から薦められた作品をメインにいくつかご紹介いたします。
①朗読 幻想文学名作選〜文豪の怪談〜(CD)
2年ほど前まではAmazonで20,000円くらいであったはず。今調べてみたら、再入荷の目処がないようです。
楽天さん、50,000円近くで売り出してる。恐ろしい……:( ;´꒳`;):
・10枚組の朗読CD
・市原悦子さんや蟹江敬三さんなどが朗読
・芥川龍之介の『蜘蛛の糸』、夏目漱石『夢十夜』など、各文豪の幻想文学短編が2、3作品収録。
萩原朔太郎『死なない蛸』という作品も印象深かったです
ちなみに、内田百閒先生のCDには『冥途』『短夜』『件』の3作品が収録、朗読は蟹江敬三さんであります。
百閒先生は漱石の弟子の一人で、芥川とも交流があった人です。殊に随筆は軽妙洒脱で、私は随筆家としての先生の顔が好きです。中でも『百鬼園随筆』がイチオシです。
先生の関連ワードだけ置いておきます。
・イヤダカラ、イヤダ
・錬金術
・日没閉門
・世の中に人の来るこそ嬉しけれとは言ふもののお前ではなし
・木蓮忌
この表紙、芥川龍之介が描いたと言われています。表紙絵にまつわるエピソード等は、このnoteにて他のクリエイター様が取り上げていらっしゃるようなので、ご興味ある方は検索を!
② 連歌集 / 島津 忠夫 / 新潮社 [単行本]
こちらは、「和歌が好きなら読んでご覧」と薦めてくださった一冊でした。作品は流し読みにしてしまいましたが、それでも季節や切り取られる場面がコロコロ変わる様は面白く、(日本には、かつてこんな文芸もあったんだ!)と新発見。
解説文は熟読しました。「連歌は今や顧みられなくなってしまった文芸」という一文で、我が手で連歌を蘇らせむ!と大層意気込み、(卒論は連歌で書く!)と決めた瞬間でありました。大学でも頻回に貸し出し手続きをした図書であります。
室町期に隆盛した連歌は、和歌(短歌)を上の句と下の句で半分にしたような文芸です。5・7・5の句と7・7の句を交互にそれぞれ50句、計100句続けていくので、百韻と称されることもあります。
参加人数は3~5人が一般的な印象。前の句から連想して自分が句を詠み、自分の句に別の人が連想して詠む……小洒落た連想ゲームです。
その長さも然ることながら、集まった人たちが会席にて即興で詠む『即詠』が基本なので、終わる頃には夕餉時。一日がかりで巻き終えた後は、集まったメンツ(連衆 - れんじゅ)での宴会までがセットだったとか。巻物にしたためられ、後日神社仏閣に奉納していたようです。
1日がかりの、とにかくたいそう長い連想ゲームです。ゆえに輪廻(りんね)といって、同じ単語や類想(似たイメージ)が繰り返されることを嫌います。同じ単語や類想も、一巻の中で何回まで使えるか決まっていますし、一度使ったら何句空けなきゃならないという点まで規定されていました。ゲームに例えるなら、クールタイムみたいなものです。
平安期の貴族の文芸の血を継いでいた連歌。まだ大衆文芸ではなかった。
それが江戸時代、松尾芭蕉のあたりから連句(俳諧の連歌・歌仙)と呼ばれ、5・7・5と7・7の句を各18句ずつ計36句までに縮まりました。滑稽さなども入り、煩雑なルールも簡略化された形で、庶民にも親しまれる大衆文芸となりました。
もうすこし時代が下ると、正岡子規が登場します。彼は「連俳(連歌と俳諧の連歌)は文学に非ず」と断じ、連歌の第一句目の五・七・五だけを切り離して俳句を生み出した。基本的にはやはり顧みられなくなってしまった文芸なんだなと😭
高校の古典でも、連歌のことはサラッと流されましたからね。
でも、連句は今も生きてます✨
こちらの日本連句協会さんでは、連句の歴史とか作り方も解説しているので、 ぜひご一読ください。
終わりに
日本語の語彙にまつわる日記とか、過去作の投稿は別件ですが、
基本的にはアイデアが浮かばない・書けないので、コンスタントな更新は期待しないでください(;´∀`) おまけに、プロット作らないままの見切り発車もよくやらかすので改変も多々あるかと💦(諸々、意識付けはしますが)
で、書き出したあとの話です。
【獏の悪癖まとめ】
・視点の書き分け? ナニそれおいしいの?
・作中でイベントが起こせないので、不毛なやり取りで冗長になるのが常。(イベント起きないので、もはや物語と呼べない希ガス)
・ときどき、書きたい要素を詰め込みすぎた″過積載″が発生。突如いろんな人物が湧き出し、饒舌に。情報過多で、やはり冗長に。
それでもお付き合いいただけるのであらば、恐悦至極です。書く癖を付けるリハビリと、表現力の研鑽のため……! よろしくお願いしますm(_ _)m