「アルツハイマー」と「当事者」と「覚悟」
私の祖母は私を覚えてはくれなかった。
私は小さい頃、父と母、3歳上の兄、父がたの祖父母計6人で暮らしていた。今年から兄が一人暮らしを始めため今は父と母と3人で暮らしている。3人で暮らすには広すぎる。使っていない部屋に雑に置かれた段ボール箱がそれを物語っていた。
この家で住んでいた祖母の話をしたいと思う。
私の祖母はアルツハイマー型認知症だった。
私は祖母が人と普通に会話しているところを一度も見たことがない。誰に対してもはじめましての顔をする。知っているはずの私の母のことは勿論、自分で産んだ私の父のことも、結婚相手の祖父のことさえ覚えてはいなかった。
そんな祖母の面倒は母がみていた。寝かしつけたり、オムツを替えたり。施設にも預けていたがよく祖母に会いに行っては笑顔で祖母に話しかけていた。私も話しかけてはいたけれどやはり話は通じない。施設には同じような人沢山がいた。ただこちらを見てくる人、急に話しかけてくる人、エレベーターに乗り込んできた人もいた。そんな独特な世界観をした施設が苦手だった。勿論、話が通じない祖母のことも。だから友達が「夏休みおばあちゃん家に行く!」と嬉しそうに言うたびに羨ましくなった。目の前にいる祖母に家という認識のものはなく、そもそも祖母の世界に私は存在していなかった。
亡くなる前、病院のベッドで久々に会った祖母は昔に比べて痩せ細った昔のようにはじめましての顔でこちらを見た。それが私の祖母の生きている最後の記憶である。
父は祖母の面倒をみていた母を凄いと言いう。たしかに母は嫌な顔を一度も見せず当たり前のように祖母に接していた。私も大きくなるに連れ祖母はアルツハイマー型認知症であったこと、介護の苦労を理解していく。小さかったとはいえ何も出来ず、祖母を理解すらしようとしなかった自分に徐々に気づいていった。
最近アルツハイマーを取り扱ったドラマを見た。若年性アルツハイマーになった主人公が恋人の名前を間違えるシーンがとても印象に残っている。そしてこのシーンを見た時に小さかった頃の私はただ祖母に覚えていてほしかっただけだと思った。私が物心ついた時にはアルツハイマー型認知症になっていた祖母が私の名前を覚えることなんてありえなかっただろう。そもそも私の名前を知らなかったかもしれない。人に忘れられるのはとても残酷なことだと思う。また当事者である祖母本人も物事を徐々に回復忘れていくことに苦しんだのだろうか。私には分からない。
私には覚悟がある。覚悟というには重過ぎるが、私自身や周りの人がアルツハイマーになってしまっても悲観しないと決めている。私が忘れてしまうのならばみんなに覚えておいてもらえるような人生を歩んでみせるし、周りの人が私を忘れてしまっても私は死ぬまでその人を記憶にきざみつける。当事者になったことはないけれど、何も知らない小さい頃の私ではないのだから笑いながら生きていける気がする。覚えているうちに忘れたくないことをノートに書き留めておこうか。残しておけるものはいくらでもあるのだから。
私の祖母は私を覚えてはくれなかった。そんな祖母を私は今でも覚えている
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