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標高2600mの仲居の原点①登山始め
今回は私がなぜ標高2600mで仕事をするようになったのか。
①は登山を始めたきっかけについて書こうと思います。
まず端的に言うと大学の部活がきっかけです。
子どもの頃から登山をしていたわけではなく、
高校まではずっと水泳、毎日6〜8kmくらいの距離を週5〜6日、他のスポーツは冬に両親にスキーに連れて行ってもらっていた以外は全くしていません。
「海か山か」と聞かれたら間髪入れずに「海!」と答えていました。
ただ高校3年、最後の夏に挫折を味わい、大学でもう4年間頑張るのは無理だな、と思ったので別の部活に入ることにしました。
どこにしようかな、と考えた時、
「体育会ハイキング部」という、
体育会所属の部活なのにずいぶんと優しい名前の部活を見つけたのです。
後から知ったことですが、「ハイキング」という名前は数十年前に名付けられており、
今のユルい意味合いではなく、
最近多い「ワンダーフォーゲル部」と同じくらいの意味を持っていたようです。
実情は20〜30kgの荷物を背負い7〜8時間山を登る、夏の合宿は8泊9日でテント泊、その間風呂は入れない、と
登山事情を知らない私には耳を疑うような内容ばかりの活動内容でした。
そんな事情はつゆ知らず、
高校を卒業する前に父親と高尾山に登って楽しかったということを思い出したのと、
新入生歓迎会の飲み会にお邪魔して、
先輩達も激しく飲んでおらず和気あいあいとしていたため、入部することに決めたのです。
最初の登山は尾瀬でした。
尾瀬沼の大清水から入山し、尾瀬ヶ原の鳩待峠へと抜けました。
多少のアップダウンはあるものの、大部分は木道で歩きやすい。おまけにテント場もトイレもきれい。景色もよかったため程良い充実感で最初の合宿を終えました。
次の登山は北アルプスの穂高岳、北穂高岳から奥穂高岳への縦走です。
今考えると恐ろしいですが、
上記のコースは一般登山道の中では難路にあたり、毎夏滑落者が出ているコースです。
未だにこのコースと同等かそれ以上の難易度のコースは1〜2回しか経験していません。
ビギナーズラックなのでしょうか、その時は多少の怖さは感じつつも初めての3000mの稜線歩きに感動しきりで、今思い返しても楽しい登山だったという記憶しかありません。
そして3度目の登山が前述の8泊9日の夏合宿。
荷物は重いし、1週間以上シャワーも風呂も入れない環境。しかもプライベートが一切無いテント生活。「嫌だなー」という気持ちを持ちつつも合宿先の南アルプスへ向かいました。
結果としては思っていたよりも悪くはなかったのですが、やはり1週間同じ人と寝食を共にしたり、風呂に入れないのは厳しく、「もうしばらく登山はいいや」
そんな印象で1年目の夏を終えました。
ここまでが私の登山黎明期といったところでしょうか。
正直この頃は登山に対して良い印象は持っておらず、部活を4年間続けられる自信はなかったと記憶しています。
その感覚が変わってきたのは大学2年の時の出来事。この続きは「標高2600mの仲居の原点②」にてまた。
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