電波のない世界② 情報社会からの断絶
前回から引き続いて電波のない暮らしで気づいたことについてです。今回はコロナにも関わる「情報社会」について。
私のいる山小屋は電波がなければスタッフ用のTVもないので(お客様用に談話室にはある)ニュースとはほぼ無縁の生活になります。タイトルの通り情報社会との断絶です。ニュースと無縁になると下界に降りてきたときに、「えっ、そんなことがあったの?」と驚くこともあります。
例えば2016年はポケモンgoやリオオリンピック、2019年は京アニの事件、
そして2020年はコロナ、
と大きな出来事が山にいる間に起きていました。
無縁といっても①で書いたように実際は電波をとりに行った時にヤフーニュースをちらっと見るので、何かあったことはわかるのですが、ネットサーフィンをしたりする時間もなく、TVも見ないのでその雰囲気は伝わってこないのです。知るのはその「出来事があった」という事実だけ。
ポケモンGoについては完全にブームに乗れませんでしたし、京アニの事件についても事件が起こった頃は雨が続いていて電波とりに行けなかったので、詳細を知ったのは下山したあと。きっとTVの特集で散々放送されたのでしょうが、私は全く知りませんでした。
そしてコロナに関しても「感染者〇人」という情報は入ってきましたが、それに付随する「Go toキャンペーンが...」「小池都知事が...」といった情報が入ってこないのでいまいち身近に感じません。
そしてそんな状況が実は非常に楽に感じられました。
下界にいたころは、TVをつければ連日コロナ報道、ネットニュースを見ればその報道に加え総理や知事の判断に対して良いだの悪いだのと記事やコメントが並んでいて、それを眺める毎日でした。
そして山小屋に入って、急にそのような情報から解放された時、ふと心が軽くなった感じがしました。それだけ連日のニュースが自分にとって負荷となっていたんだな、と気づいた瞬間でした。私だけに限らず他のスタッフも一様に「電波入らなくてよかった」と話していました。
その経験以降はなるべくTVのニュースもヤフーニュースのコメントも多くは見ないようにしていますし、見るにしても真に受けないように意識しています。
もちろん全ての情報が悪いわけではなくて、例えば医療現場の報道を知り、雰囲気を感じ取って、コロナに対してより一層注意を払おうとするのは大事なことなのですが、その暗いニュースに心を痛めて気持ちが沈んでしまうのは精神衛生上よくないな、とも思うのです。
そこのバランス感覚って難しいのですが、今の社会は余りにも情報にあふれているので断絶させる瞬間があってもよくて、
山に登るのも一つの手ですが、スマホの電源を落とす、TVを1日中見ない日をつくる、そういったこととだけでも随分違うのかなと思います。
緊急事態宣言が発せられ、今後一層厳しい情報が流れてくるかもしれませんが、心を落とすことなく過ごしていきたい今日この頃です。
つの
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