紀州漆器について
紀州漆器の起源とは
紀州漆器の歴史は古く、今から四百年以上前、室町時代にまで遡ります。昔から紀州塗り、黒江塗りとも言われ、近江系木地師によって渋地椀が作られたのが始まりだと云われています。これに加えて、天正十三年秀吉の兵火に遭って四散した、現在の岩出市にある根来寺の僧徒から伝承し、僧侶達が寺用の膳・椀・盆・厨子などの什器を自ら作ったのも紀州漆器の起源の一つと云われています。
四百年の時が築き上げたもの
主に海南市の黒江地区で生産されていたのですが、「木材の入手が容易」「海辺にある南向きの温暖な土地」「漆の乾燥に適当な湿度を持った気候」が要因です。温暖で雨の多い気候が育てた質の高い紀州桧で、当時この地方に住みついた近江系の木地師によって木のお椀が作られました。そして柿渋を下地に施す“きゅう漆”の技が加わり、黒江は渋地椀を中心とする産地として広く知られるようになりました。その後江戸時代に入り、庶民の日用品としての需要が高まるにつれ、一大産業として大きな発展を遂げていったのです。戦前は黒江の人々のほとんど(約1500軒位)が漆器業を生業としていました。渕木屋、板屋、木地屋、絵の具屋、下地屋、うるし屋、春慶屋、堅地屋、塗師屋、絵屋、沈金屋、木箱屋、紙箱屋、取り売り屋、問屋、と全て分業になっていて、大量生産に適した生産基地でした。現在でもその形態は続いています。昭和53年には伝統的工芸品として通商産業省(現経済産業省)より指定を受けましたが、その一方でプラスチックの生地や化学塗料を積極的に取り入れるなど新しい漆器製造法を導入し、それまで高級品だった漆器に対し、誰もが気軽に楽しめる「大衆漆器」の分野を確立しました。
受け継がれる伝統と革新
「伝統を受け継ぎながら新しいものをつくりだす」紀州漆器は、時代が求めるものを敏感に察知し、真摯に応える努力を重ねています。今の生活様式に合わせた漆器のあり方や使いやすさを追求する中で可能性を模索するとともに、テーブルコーディネートの楽しさ、既成概念にとらわれない取り入れ方などを広くご提案し、さらに理解していただけるように魅力を発信しています!
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