ラグジュアリーブランドのものづくりを語る。 -エルメス ケリーバッグ-
ラグジュアリーブランドが生み出すバッグは、なぜ美しくて魅力的なのでしょうか。
革製品の元職人でバッグデザイナーである私は、人を惹きつけるバッグについて日々研究していますが、知れば知るほどその作りや美しさに魅了されます。
本記事は、高級バッグの魅力について作り手の視点から語り尽くすシリーズの第2回目として、HERMES(エルメス)の”ケリーバッグ”について書いていきます。
人を惹きつける条件
まず、私が思う”魅力的なバッグの条件”について整理しておきます。
1.ひと目見て直感的に「かわいい!」「綺麗...」「格好良い」と感じる
2.ブランドの哲学や歴史、またはデザイナーの意図が使い手にとって魅力を感じるデザインとして具現化されている
3.使うたびに気分が高まり、使い手の生活が豊かになる
4.製品のデザインに適した素材を用いた上で、腕の良い職人が丁寧に仕上げている
5.製品のフォルムや細かいパーツが全体的にふっくらと丸みを帯びており、不自然に凹んでいるところが無い
抽象的な内容もあるため人によっては理解しがたいかも知れませんが、ファッション製品において論理では無く感性に訴えてくる魅力があるかどうかは非常に重要です。
栄養満点で素早く摂取できる食べ物があってもそれが美味しく無ければ魅力を感じないように、いくら機能が優れていても感性に訴えてくる魅力が無ければ人を惹きつけるバッグにはなりません。
革新的な物で無い限り、機能性のみ追求したバッグに心を揺さぶられることは少ないのです。
感性に訴えてくる魅力というのは、どんな要素で構成されているのでしょうか。
今回は”ケリーバッグ 内縫いタイプ”について解説しながら、少しずつ私の考えをお伝えしていきます。
ケリーバッグとは?
ハンドルが1本だけ縫い付けられ、開口部分をベルトで包み込むデザインが特徴的なハンドバッグの名品です。
内縫いタイプと外縫いタイプがあり、内縫いタイプはフォーマルな雰囲気がありながら日常生活でも使いやすい柔らかな印象を受けるフォルムで、外縫いタイプは格式の高い場で使うのに適したフォーマルな印象を強く受けるフォルムで仕上げられています。
1930年代に"サック・ア・クロア"という名称で発売され、1950年代の人気女優であり、のちにモナコ王妃になるグレース・ケリーが所有していたことをきっかけに"ケリー"と改名されたこのバッグは、発売から90年近く経った今でも憧れのバッグとして不動の人気を誇ります。
最大の魅力は「世代を超えて愛される上品な佇まいと最高の品質を携えている」こと。
このえも言われぬ上品さと孫の代まで受け継ぐことができる品質はどのように成り立っているのでしょうか。
今回は”ケリー”にまつわる歴史を織り交ぜながら「構造」と「仕立て」の2つに絞って解説していきます。
構造について
製品構造を理解すると「上品な印象を受ける理由」を知ることができます。
下の画像をご覧ください。
ケリーの分解図
まず簡単に全体構造を説明すると、独立した2つのマチ(バッグの側面)をバッグ胴体部分が包み込むように組み立てられており、その胴体のフォルムに沿う形でつくられたカブセ(バッグの蓋)がバッグの開口部分を覆っています。
"ケリー"はこの構造を利用することで、バッグ上部から下部に向かってふくらみを帯びたフォルムになるよう設計されており、このフォルムを質感がしなやかな最高級レザーを使って表現することで独特の高級感が醸し出されています。
人を惹きつけるバッグの条件の1つに「全体的にふっくらと丸みを帯びている」という条件を挙げていますが、"ケリー"はそれが顕著に見られるバッグの1つ。
胴体のフォルム以外にも至るところに上品なふくらみが見られますが、これは「手縫い」で縫製することでより美しくなります。
「クウジュ・セリエ」と呼ばれるエルメスの手縫いは、1本の糸と2本の針を使って縛るように縫い上げるため糸が革に食い込み、ふくらみが自然に生まれるのです。
「ミシン縫い」でこの食い込みは生まれません。
わずかな違いですが、こうしたふくらみがバッグ全体に散りばめられていることで、ケリー独特の上品さが醸し出されています。
次にバッグ側面の鋭角なカーブ(画像赤線)に注目してみましょう。
実はこのカーブも手縫いで作られているからこそ実現できる形状で、このように鋭角なカーブになっていることでバッグのフォルムがシャープになり、洗練された印象を与えます。
もし画像青線のように緩やかなカーブを描いたフォルムだったとしたら、バッグ全体が丸みを帯び、必要以上にカジュアルな印象を受けるバッグになってしまうでしょう。
バッグ背面にも注目してみます。
実は、パリでいち早くバッグにファスナーを採用したのはエルメスであることをご存知でしょうか。
ファスナーの取り付け方がわからなかったココ・シャネルが、エルメスにファスナーの取り付け作業を委託していたという話も残っているほど、エルメスはファスナーを積極的に製品に採用しており、"ケリー"を発売する前にもファスナー付きバッグが製品化されていたはずなのですが、ケリーでは内装ポケットにしか使われていません。
外装背面にファスナーポケットを配置すればより使いやすいバッグになることを知っていたにも関わらず、あえてやらなかったのはバッグの洗練された見た目と美しいフォルムを保つために配慮された結果だと考えられます。
仮にバッグ背面にポケットが配置されていたとしたら、上の画像のような1枚革の洗練された見た目は失われ、ポケットの中に入れた荷物がバッグ全体の美しいフォルムを崩してしまうでしょう。
エルメスの歴史やフォルムの美しさについて知らなければ、ただシンプルにつくられたとしか思えない背面部分ですが、実は"ケリー"の上品な佇まいを守るために考え抜いて行き着いたデザインなのです。
※ケリーの特殊なモデルには外装にファスナーが付いている物も存在します。
バッグ上部に1本だけ縫い付けられたハンドルも重要なパーツです。
"ケリー"と肩を並べる人気バッグ"バーキン"と比較してみましょう。
"ケリー"と"バーキン"はハンドルの本数が違います。"ケリー"は1本で、"バーキン"は2本。
この2つのバッグでは、おそらく意識した利用シーンや使い手が異なります。
バーキンの原型となるバッグは、収納力があって荷物の出し入れがしやすい機能的な物だったため、馬具や旅行時の荷物を持ち運ぶ際に利用するなど比較的カジュアルな使い方をしていたそうです。
バーキン誕生のきっかけを作ったジェーン・バーキンのように、白Tシャツにデニムパンツを合わせるカジュアルファッションを好み、仕事や旅行で多くの荷物を放り込んで使うバッグとしては最適なデザインだったのでしょう。
現代の女性が"ケリー"よりも"バーキン"を生活の中で使う傾向にあるのは、この使い勝手の良さが理由の1つです。
一方、"ケリー"はエルメスの昔からの顧客である貴婦人たちに向けて作られたものであり、格式の高い場で使うことを想定されたバッグなので、機能よりも美しさを優先されていると考えられます。
ハンドルを最小限の1本にすることでバッグ自体の見た目を洗練させ、どんな時でも使い手が美しい持ち姿になるよう配慮されたバッグが"ケリー"なのです。
グレースケリーが"ケリーバッグ"を持っている貴重な写真を見てみましょう。
手袋をはめた上で3本の指に引っ掛けるようにして持ち歩いていますが、手の形が三角形になっていてとても美しいですね。
もう1枚見てみましょう。
先ほどの写真よりもしっかり握られていますが、親指はハンドルに添えられ、こちらもバッグを持つ手の形が三角形になっています。
ハンドルが2本あるバッグは、手のひらからハンドルが滑り落ちないように拳を作って持つことになるので、このような手の形にはなりにくいです。
手の形を意識しながら持ち歩けばハンドルが2本あっても同様の持ち方ができるかもしれませんが、使い手が意識せずとも美しくなるようにデザインされているのがケリーの素晴らしさだなと私は思います。
仕立てについて
エルメスといえば「手縫い」というイメージを持たれてる方もいるくらい、エルメスの品質を語る上で「手縫い」は重要なのですが、それはあくまでも最高品質を支える1つの要素でしかありません。
エルメスのバッグは、バッグ全体の高級感を高めるために重要な箇所や使用時に大きな負荷がかかる箇所は必ず「手縫い」で縫製されています。
他方で負荷はほとんどかからないが目立つ箇所にステッチが入る場合は「ミシン縫い」を施されることもあります。
「手縫い」をしていないからと言って手抜きをしているわけではなく、むしろ製品の耐久性を最高レベルに高めつつ、美しい見た目を追求するために「手縫い」と「ミシン縫い」を正しく使い分けたプロの仕事であると私は考えています。
個人的には、施されているステッチが「手縫い」かどうかよりも、糸がほつれてこないようにステッチを2重にしている部分にエルメスのこだわりがあることを知っていただきたいです。
下の画像の赤矢印部分をご覧ください。
綺麗に縫製されているステッチをよく見ると、3目ほど丁寧に重ねられている部分が確認できますでしょうか。
これはいわゆる「返しミシン」「返しステッチ」と呼ばれる縫製で、糸がほつれることを防止するために施されるのですが、エルメスの場合「手縫い」であろうと「ミシン縫い」であろうと必ず3目入れられています。
おそらくエルメスの職人がバッグを作るときに必ず守らなければならないルールの1つだと思われますが、縫製箇所すべての返しミシンを丁寧に3目入れているバッグというのは、ハイブランドの中でも多くはありません。
最高品質を追求するエルメスだからこそ、遵守しているこだわりなのだと考えられます。
次にハンドルの仕立てについて。
ケリーのハンドルは、職人が手作業で丹念に作り上げた彫刻のような仕上がりで、個人的にはこのハンドルこそケリーの顔だと思っています。
"ケリー"のハンドルは独特な立体感を出すために複雑な構造で組み立てられているかつ、芯材に至るまですべて革でつくられているため、審美性が非常に高い上に使い続けるほど手に馴染みます。
職人が1本1本手縫いでつくり上げていくこのハンドルを見ると、世代を超えて愛される美しさと最高の品質が何たるかを思い知らされます。
いつまでも美しく堅牢なハンドルは、人の手作業でしか生み出せない芸術品の域に達しており、"ケリー"より美しいハンドルを私は見たことがありません。
ハンドルを含む"ケリー"の製作過程が見られる動画を添付しておきますのでこちらもぜひご覧ください。
最後に、美しい金具を取り付けるために欠かせないパール仕上げについて。
公式サイトの説明を引用すると、
パール仕上げとは、本来はひとつしかない鋲の頭をふたつにする技術をいう。より正確に言うなら、鋲の尖ったほうの先端にも丸みをもたせる―そう、まさに真珠のような丸みを与える―技術のこと。
ここで言う鋲(びょう)と言うのは、下の画像のような釘だと思ってもらえれば間違いありません。
"ケリー"のベルトや胴体に取り付けられているプレートは、ネジのように緩んで脱落する部品は使わず、一度取り付けたら決して外れないように1箇所ずつ丁寧に打ち付けられています。
下の動画の1分45秒のところを再生してもらえればどのように打ち付けられているか理解できるのではないでしょうか。
1箇所1箇所、職人の手で真珠のような美しい丸みを帯びさせていく加工を"ケリー"には16箇所も施されています。
実は私もエルメスに憧れて手縫いやパール加工を勉強していたことがあるのですが、このパール加工は大変な労力が必要です。
エルメスほど美しい仕上がりにするとなると、1箇所加工するだけで疲れてしまうほどに集中力が必要なので、1つのバッグに16箇所も施されている"ケリー"を見ると、同じ作り手として頭が下がります。
エルメスの矜持
エルメスのロゴには、馬車と従者(主人の供をする者)のみが描かれ、主人は不在です。
「エルメスは、最高の品物を用意しますが、それを卸すのはお客様自身です」というメッセージが隠されているのですが、改めてこの言葉の重みを知りました。
"ケリー"の凄さを言葉にするためにじっくりと観察をしましたが、エルメスのこだわりは普段使用してるだけでは決して見えない部分にも詰め込まれており、そんなところにすら「手縫い」が施されていたりします。
馬具をルーツとするエルメスが180年以上磨き上げてきた技術と情熱を製品に詰め込んでいながら、使い手にはそれを感じさせようとしないのです。
「最高の技術は、あくまでも使い手のためのものである」というエルメスの矜持が、使い手にとって最高の製品を生み出すのだと改めて感じさせられました。
あまりにも偉大な存在ですが、私も自分ができる範囲で使い手の生活が豊かになるような製品をつくっていきます。
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