健常者だって完璧人間じゃない
こんにちは。
私、発達障害を持った大人であります。
先々日、noteに「健常者を心の底から羨ましいと思った」ときの話を書きました。
とはいえ、健常者をひとくくりにして羨んでばかりいるのも視野が狭いよなあ…と思うので、今回は「健常者だって完璧人間じゃない」をテーマに思うことを書いていきます。
発達障害の人って、苦手なことや出来ないことが多い分、どうしても健常者と比較して落ち込むこともあると思うんですけど、健常者だって完璧人間じゃないんですよね。
「健常者だって完璧人間じゃない」という当たり前のことを、目先の障害にとらわれているとつい忘れそうになることがあります。
自分に言い聞かせるためにも、ここに書いておきたいと思います。
* * *
当たり前ですが、ひとくくりに「健常者」と言っても色んな人がいますよね。
器用な人。不器用な人。
運動が得意な人。運動が苦手な人。
早起きが得意な人。夜型な人。
積極的な人。控えめな人。
キッチリした人。おおらかな人。
頭の回転が早い人。じっくり考えるタイプの人。
初対面の人とパッと打ち解けられる人。時間をかけてゆっくり関係を築いていく人。
バリバリ働くのが向いている人。ぼちぼちのペースでまったり働くのが向いている人。
みんなそれぞれ、長所・短所、得意・不得意といった個性を持っていますよね。
発達障害の人だってそれは同じです。
私たちは発達障害である前に人間です。
障害特性とは別の人間の部分において、それぞれが長所・短所、得意・不得意といった個性を持っているはずです。
発達障害という不便を抱え、健常者と同じ土台に立つため、障害特性に必死に対処しながら生きていると、何もしなくてもそこに立っている健常者がまぶしくて羨ましくてどうしようもない感情にとらわれる日もあるけれど...
私たちと同様、健常者だって完璧人間じゃない。
障害特性とは別の人間の部分において、私が持っていないものを誰かが持っていることもあれば、誰かが持っていないものを私が持っていることもある。
私が夜の世界の住人だったころの話です。
私は性風俗の「性感マッサージ」という業種で働いていました。
露出度の高いコスチュームを身にまとい、男性客に密着して性的なマッサージを施し、最終的にフィニッシュまで導いて差し上げるお仕事です。
偏見を持たれる仕事かもしれませんが、私はその世界で上を目指して一生懸命やっていました。
同僚の女の子から言われた言葉で、今も覚えているものがあります。
「◯◯ちゃん(当時の私の源氏名)は営業用キャラが定まっているなあって思う。エロエロでSっ気のあるオーラが板についていて、ぶれていない。私はぶれぶれだからすごく羨ましい。」
私は驚きました。一般社会で器用に生きられず、劣等感まみれでたどり着いた夜の世界で、誰かから「羨ましい」と言われるなんて、全く思ってなかったからです。
最近の職場での出来事です。
私はいつも昼休憩にコンビニに昼食を買いにいくのですが、そこでよく顔を合わせる職場の専門職の男性から、軽い世間話の流れでこんなことを言われました。
「◯◯さん(私の苗字)って、いつも何買うか決めるの一瞬だよね。僕は決めることが仕事だというのに、決めることが苦手で時間がかかるんだ。◯◯さんのスパスパ決められるところを分けてほしい。」
私からすれば、ポストを得るために熾烈な競争を勝ち抜いてきて、毎日責任の重い仕事をバリバリこなしておられるその男性こそが、自分とは別世界の人間…というか雲の上のような存在…という認識だったので、その人から私の即決即断な性格を分けてほしいと言われるなんて、軽い世間話の流れとはいえ驚きでした。
私が健常者をひとくくりにして羨んでいる一方で、私を羨んでくれる人もいたのです。
目先の障害特性に対処するのに一生懸命だと、つい忘れがちな「健常者だって完璧人間じゃない」という当たり前のこと。
健常者だとか障害者だとかは置いといて、人間の部分において、私たちは一人一人が長所・短所、得意・不得意といった個性を持った存在であることは忘れずにいたいなと思っております。
おしまい。