【日本・旧暦】節分であり大晦日であるという事
現在の日本で使用している暦は、「グレゴリオ暦」を使用しており「太陽暦」と呼ばれます。そして太陽暦が使用される前は「太陰太陽暦」が使用されておりました。これを「天保暦」「旧暦」と呼んだりします。
調べればわかる事ですが(分からなかったらなんでもググりましょう)簡単に言うと、太陽歴は太陽の動きをもとに作られている暦。太陰太陽暦は、月の満ち欠けをもとに季節をあらわす太陽の動きも加味して作られた暦です。
そしてその旧暦は、1872年(明治5年)まで使用されておりました。
本題に戻ります。
節分とはなんでしょう?豆まきする日とか、恵方巻を食べる日と言う答えでしょうか。
本来節分とは、季節の分かれ目という事です。そして暦では年に4回の季節の変わり目の前日を
立春・立夏・立秋・立冬
を指します。
旧暦では「立春正月」と云われ立春が新しい年の始まりで「正月」となるのです。そしてその正月の前日大晦日にあたる昨日になる訳です。その年の変わり目である「立春」の「前日」の節分だけが特別扱いされていたという流れから現代の「節分」として定着された様です。
そしてその現在節分の「豆まき」というのは諸説あるようですが、平安時代の宮中行事で季節の分かれ目である節分には邪気が入りやすいという事で「追儺」(おにやらいと読みます。儺←この一字でもおにやらいと読みます)という行事を開催したのが始まりと言われています。この「追儺」も江戸時代頃には終わって行ったそうです。
この行事を庶民が行いやすい様にアレンジして豆もまいて鬼を払い無病息災を祈る行事として全国に広まったと言われています。
では、豆をまくのかって所ですがこれも諸説あります。
・魔の目を滅ぼす「摩滅」からの摩滅まき
・魔の目を射る→煎る→豆を煎る→煎った豆を撒く(散らす)→魔の目を散らすから豆まきとなったとか
・豆には霊力がありまく事でその場が清まるからとか
様々な云われがありますが、私的には邪鬼を払う「摩滅」まきの豆まきが好きですね(中二病か(笑))
そして、間違ってならないのは「豆まき」は日本の文化として庶民が宮中行事をアレンジして始まった文化であり宮中行事から生まれた物。なので元々日本にあった行事なのです。
しかし、恵方巻を食べると言うのは大正時代初期に巻き寿司を食べ「縁起を担いだ」と主に花街で行われており庶民には定着しなかったのではないかとされています。花街で行われていたと言えば大体想像が付きますよね。
そして2月は年末年始に売り上げが上がった寿司屋が売り上げが落ち込むので集客したかったとか
大阪で行われた海苔祭りのイベントの一つに太巻きの早食いがあったとか
その大阪で巻きずしを食べる文化を復活させたいと言う所からとか
様々あるようですが、土用の丑の鰻の蒲焼に対抗する為の販促手段だったそうです。
その先駆けがファミリーマートで1983年に節分に巻き寿司を販売したのがスタートで、その後広島県のセブンイレブンで1989年に恵方巻として販売したのが始まりです。上手い手法で上手いキャッチですよね。天才ですね。今では全国に知れ渡り元々ない行事にしっかりと溶け込ませています。
という様に恵方巻を食べる行事・文化は元々あった物ではないという事です。皆さん騙されてますよね(笑)
こういった元々ない物を生み出し文化にして行くと言う所は他にも沢山あります。
先ほど出した「土用の丑の日」「バレンタインデー」「クリスマス」「ゴールデンウイーク」などなどもの物凄く沢山あります。そして知らず知らずに選んでいる事もそう言った作り上げた人が権力を握っているんです。そんなのが世界中にある訳です。
と言った様に、事実と真実をはき違えない様に「理解する」という事が大事なのではないでしょうか?
正直私は、ホントなのかウソなのかはどちらでも良いと思います。ただ知るという事と何故?って疑問は常に持っておきたい。そして、元々ある日本の行事や文化・言葉や思考などをもっと大事にするべきではないかなと思います。
単純に皆がやっているからとかの何も考えない「脳死」状態が本当にマズイという事。早くそこに氣が付き柔軟に行動する事が大事だと考えます。
それでまた~