見出し画像

エポックメイキングな活躍を続ける宮本佳林さん

ここ最近、「宮本佳林」という唯一無二のアイドルアーティストを再考しております。
思い返してみると、佳林ちゃんと出会って15年もの歳月が流れていました。
 
彼女がハロプロエッグとして活動を始めたのは2008年です。
当時のハロープロジェクトは世間的にはウケが今ひとつになっていたものの、まだまだモーニング娘。一強でした。
ソロでは松浦亜弥さんが活躍し、ハロプロエッグから送り出した℃-uteやBerryz工房が世に知られ始めた頃でもあり、ハロープロジェクトにとってひとつの転換期であったようにも思えます。
 
ボクは2004年からモーニングの現場に通うようになりましたが、2006年くらいから参戦回数が上昇してゆき、2008~2010年にピークを迎えていました。
すなわち一番アツ~くモーニングを追っていた頃に佳林ちゃんが現れたわけです。
最初に出会った時の佳林ちゃんは9歳!
それでもエッグの中では際立っていて、ヲタ仲間では「佳林ちゃんはいずれモーニングに入るだろう」と話していました。

あの時代のハローってモーニング一強から脱却を図っていたのは明らかなのですが、後発のユニット等はどうしてもモーニングと同列に見られないというか、言葉は悪いですがメジャーリーグとマイナーリーグくらいの差があったんです。
あくまでも頂点はモーニングであり、「メジャーデビュー=モーニング娘。加入」というイメージは払拭できなかったんですよねぇ…
なのでエッグの優等生は当然のことながらモーニングに入る。
そんな考えが常識だったんですよね~
それが徐々に変わり始めたのがスマイレージの結成、℃-uteとBerryz工房の成長と活躍でしょう。
さらにJuice=Juiceのデビューと成長が加わり、ハロープロジェクトの図式は大きく変わってゆきました。


エッグ時代


 
佳林ちゃんはモーニング、スマのオーディションがあれば受験していたもののことごとく落選。
エッグの後輩が先にメジャーデビューするという屈辱も味わいました。
10歳やそこらの子供にとって、この仕打ちと期間は相当な試練だったと容易に想像がつきます。
しかし、この苦節こそがこの後の革命につながっていたのです。
 
2013年、研修生選抜メンバーとソロ活動をしていた宮崎由加さんによってJuice=Juiceが結成されました。
ハロプロエッグから「ハロプロ研修生」と名を変えて以降、初めての選抜メンバーデビューです。
当時のプロデューサーはつんく♂さんで、「Juice=Juiceは宮本佳林を中心として組んだ」と言われています。
デビュー後のJuice=Juiceがたどった道のりは規格外でした。
全国225公演ツアー、10か国を巡ったワールドツアー、ドラマの役と並行して目指した武道館公演の成功などなど、輝かしい経歴は語りつくせません。


Juice=Juice 台北公演


拡大期のはじまり


Juice=Juice 卒業の日


エッグで苦労した末に自分を中心としたグループが結成され、波乱万丈はあったものの成功への道のりを昇りつめた佳林ちゃん…
現在のハローには7つのグループがあり、主に研修生から昇格したメンバーによって構成されていますよね。
たとえ研修生時代に如何なる苦労があったとしても、実を結べば成功者になり得るという心情が浸透していると思うのです。
これは紛れもなく宮本佳林が成し遂げた事実によって裏付けられていることであり、研修生たちが高みを目指す大きなパワーにもなっているはずです。
 
宮本佳林とはJuice=Juiceの創成期から成長、安定、拡大へと導いた旗手であり、ハロープロジェクトの発展にも大きく加担し、同時に後継者の育成にも長けている並外れた才能の持ち主です。
そして後輩たちにとっては良きお手本であり、目標の先輩なのでしょう。
苦節を経た成功者ですから、その存在感には説得力がありますね。
まさに現代のハロープロジェクトを形成したエポックメイキングであると断言できます。


2023年初頭のツアーには研修生4名が帯同
その中のひとりがJuice後輩になりました…💜💖


 
いつからかは存じ上げませんが、佳林ちゃんはハロプロ研修生たちと交換日記をしているそうです。
また佳林ちゃんはJuice=Juice卒業後のソロライブ、音楽劇などには積極的に研修生を登用し、それなりの活躍場所を与えています。
これはラジオで聴いた記憶ですが、佳林ちゃんは研修生に対して「先輩に遠慮しないで!」や、「先輩を追い越すくらいの勢いがなくっちゃ!」などと発言していました。
本気で研修生を育てていますね…
実質的にハロプロ研修生の監督でしょうか…
事務所は特別手当をプラスしてあげてください(笑)
 

ここのところ佳林ちゃんを掘り下げてアレコレ考えていたんですが、先日の川嶋美楓さんバースデーイベントで衝撃の事実が明らかになりました。
12月13日、美楓ちゃんの誕生日当日に横浜LANDMARKHOOLにて行われた「Juice=Juice 川嶋美楓バースデーイベント2024」の1公演目。
その最終場面です。
 
次の曲が最後となるとき、みふは
 
「憧れの先輩」

「休んでいる時にたくさん助けてもらった」

 
…と前置きし、佳林ちゃんの「夜明けまでのララバイ」を歌いあげました。
辛い時期に佳林ちゃんが支えていたんだなぁ~
と、感激していたんですが…
 
次なる2公演目では同じ場面で思いを綴った文章を読んだそうです。
ボクは1公演目だけを観覧して帰りましたので、この内容を知ったのは翌日のこと。
終演後からSNSを賑わせていたようです。
 
その内容を要約すると次の通りです…
 
みふが休養期間に入り、佳林ちゃんとは毎日のように電話で話していた。
ある時、症状が回復しないことに悩んだみふが「もう辞めようと思います」と伝えたところ、佳林ちゃんは「話そう!」と言って新幹線に乗って京都へ向かい、みふの実家に赴いたとのこと。

「みふちゃんはJuice=Juiceに必要な人」
「Juice=Juiceの真ん中で輝いてもらいたい」
「もう一度頑張って、もしダメでも私たちは友達だから…」

との説得に応じ、みふは復帰を目指して療養した…
 
…というものです。
あまりにも衝撃的な内容ですし、「盛ってる?」感もありましたので2公演目に参加していたヲタ仲間に確認したところ、概ね「その通り」とのことでした。
 
この文章を聴いた後の「夜明けまでのララバイ」は涙モンだったでしょうね…
本当に感動的なエピソードです。
 
佳林ちゃんは「並外れた才能の持ち主」と前述しましたが、心が折れそうなメンバーのメンタルケアまでしてくれました。
もうJuice=Juiceの終身名誉顧問になってください!
一生ついてゆきます💜(笑)


💖みふを助けてくれてありがとうございました💜


 

2013年2月、つんく♂さんからの手紙によって新グループの結成が告げられた日、当時14歳の佳林ちゃんは…
 

研修生なのに一生懸命応援してくれた皆さんに恩返しをしたい

今はアイドル戦国時代といわれているので革命を起こしたい

この後により多くの研修生がデビューできるような先駆者になりたい

皆さんが与えてくれたものに対して自分が成長して返してゆきたい

 

…などと言っていました。

既にすべて実現していますね。
なのにまだ更新し続けています。
 

現段階での佳林ちゃんにはまだまだ計り知れない可能性があり、その展望は全く予想できず「把握できない」という結論しか出せません。
近年の女性アイドルは大半がグループで、ソロで活動している方はほんの僅かです。
是非とも佳林ちゃんにはソロアイドルのトップに立ってほしい!
それに見合うスキルとルックス、類稀なキャラクターを兼ね備えているのですから、売り出し方次第でイケるはずです。
期待していますよ~💜
 
最後に…
佳林ちゃんのお宅には、かつてジャスミンという名の猫が居ました。
もうお星さまになってしまったんですが、ウチに居るスティックという子と「兄弟じゃない?!」と思うくらい似ているんです!
ちょっとした自己満足話でした~

兄弟?w


💜=^_^=


ご覧くださり、ありがとうございました。
 

いいなと思ったら応援しよう!