恵まれているコンプレックス
あまり不自由なく生きてこれてしまった。
人間的に理不尽に扱われると感じたことのない人生である。不自由なく勉強やってスポーツやる環境があった。いい大学に入った。大企業に就職する予定である。見事なほどに前時代のレールを綺麗に走ってきた。あえて自分が居心地の悪い環境に脱線するようなチャレンジをしてこなかった人生だともいえる。だから、自分でレールを敷こうとしている人を見ると眩しくて仕方がない。
そのことで猛烈に悩むことがある。自分は近くで悩んでいる人に対して寄り添える人間でありたいと思ってはいるが、こんな恵まれている人間に対して誰が悩みを晒すのかとも思う。
だからといって、敢えて悩みに行くのも違う。
結局のところ、恵まれているから悩むこと自体がおこがましいのかな、と泥沼のような思考ループに入ることがある。悩みがないことで悩んで、それで悩むことがおこがましい。恵まれた人間は脳内お花畑で生きていくべきなのかな。
うーん
そんなこと無いんだよなぁ!これが!
私には私の地獄があるんだよ。
えっ、あなたの地獄の方が悲惨だって?
いや別に地獄比べをしたいわけではないんだけど。。まぁ私に話して楽になることだったら聞くよ。私とあなたは他人なので共感できるかはわからないけど理解しようと努めるから。
どうせ私にはわからない?
おっけ、じゃあ私は私のことで忙しいから帰るね。バイバイ。どうかお元気で。
一個気を付けてほしいのが、何も助けを求めずに周囲の人に「なんでやってくれないの」って嘆くのは違うから。
これは強者の理論か?でも今は"弱者代表のフリをした強者"が一番怖いから。旧時代的な価値観を批判する態度を取って味方に付けながら、旧時代の旨みだけ吸っている人がいるから。こっちも迂闊に近づけないんだ。ごめんね。