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つねの「自己曖ラジオ」

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読む深夜ラジオです。もしも自分の深夜ラジオがあるとしたら、話したであろうことを書き殴っています。
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2020年7月の記事一覧

noteのきっかけとラジオ(曲紹介#1)

私は深夜ラジオが好きだ。 それはパーソナリティの考えが、この世のメディアの中で最も無加工に近い形でリスナーに届けられるからだ。加工のプロセスはパーソナリティの脳から言葉に変換されるときと、言葉を聞いたリスナーが解釈するとき、そしてラジオでの発言を書き起こして記事にするときだ。 この最も無加工に近い深夜ラジオでは、公共性と閉鎖性を保つという、とても際どいことをやってのけている。公共の電波に乗せながら、一見公共には無益な話をする。誰もが聞ける状態にありがながら、毎週聞いていな

人生の燃料が見当たらない

「自分にはこの先60年の人生を走り切るだけの燃料を積んでいないな」 就活を終えた私の感想である。 就活の軸が定まっていなかった。考えていた条件としては 1.国立理系大学院にまで進学して勉強してきた内容が少しは活かせること 2.食いっぱぐれないこと 3.人が不幸になることで稼がないこと 4.イケイケ社員ばかりの社風ではないこと などである。 条件はほかにもあるんだけど、こんな感じで消去法に近い企業選びをしていた。 上のような就活の軸を持っている人間の欠点は 「強いモチベ

傷つき方も笑い方も人それぞれ

「傷つかない笑い」っていいよね。見てて不快にならない上に面白い。 あれ、でも「傷つかない」とか「面白い」とかってみんなで同じラベルを貼っていいんだっけ? ラベルを貼ってみんなで「この笑いは傷つかない!これがいいお笑いだ!」っていう風潮の行き着く先は、多分先頭切ってあなたが嫌いな、あなたが言うところの「傷つける笑い」ですよ。 「傷つける笑い」の良くないところはツッコミと称して、世間の「普通」と離れた部分を、散々おもちゃにして、「変だ」と決めつける価値観の押し付けにあると思

恵まれているコンプレックス

あまり不自由なく生きてこれてしまった。 人間的に理不尽に扱われると感じたことのない人生である。不自由なく勉強やってスポーツやる環境があった。いい大学に入った。大企業に就職する予定である。見事なほどに前時代のレールを綺麗に走ってきた。あえて自分が居心地の悪い環境に脱線するようなチャレンジをしてこなかった人生だともいえる。だから、自分でレールを敷こうとしている人を見ると眩しくて仕方がない。 そのことで猛烈に悩むことがある。自分は近くで悩んでいる人に対して寄り添える人間でありた