識別すること「部分と全体、構造」

識別とは、辞書によれば「見分けること、判別すること」とある。
識別は、霊的な実践でもとても重要視される。

ちなみに、インドの聖者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダとは、「識別する者」を意味する。

そこで、識別について、かなり抽象的にではあるが考えていきたい。

まず、識別でないものは、考察することだろう。
なぜなら、識別するためには複数のものを同時に見なければいけないから。
複数のものを同時に見て、それぞれ一つ一つを見分ける。
一つだけ見るならば(対象を観察すること)、見分けることはできない。
記憶して、考察して分析する(線形)。
それは識別(非線形)ではない。

つまり、識別のためには観照が伴い、考察には観察が伴う。
観察(部分)+考察 ≠ 観照(全体)+識別

それでは、識別はどのようにやるのか?

試しに、光の色を識別してみよう。

光の三原色に「赤、緑、青」がある。
それら全部合わせると「白」になる。
さらに、原色の2つ毎の組み合わせで、「黄、空色、赤紫」ができる。
この組み合わせの割合を変えれば、すべての色が表現できる。


まとめると、以下のようになる。
(部分)赤、緑、青
(中間)黄、空色、赤紫
(全体)白

そうして、7つの要素、3つの階層がある構造になっていることが分かる。

重要なことは、識別をするとき、全ての要素は知っていなければならない。

例えば、「青」「黄」と見るとき、部分要素「赤、緑、青」のすべては含まれるし、全体要素の「白」も表現できる。
しかし、「青」と「黄」は階層が異なる。
つまり、構造が見抜けていない(解像度が低い)ことになる。

識別するときには、モレなく、ダブりなくでなくてはいけない。
足りなければ、構造が安定しない(部分的な構造)。
だからといって、なんでもかんでも足していったら、構造は見抜けなくなってしまう。

そこで、要素を洗い出すときに行うことが、「観察+考察」となる。
部分をそれ以上に分割できないかよく観察して分析し、全体を網羅しているか並べて確かめていく。

きちんと識別できると、余計なものが無くなって、驚くほどシンプルに物事全体を捉えられるようになり、知識が必要なくなる。
直感的に見れることができ、推論で多くのことが分かるようになる。

考察には、知識が必要で、積み上げていく。
識別は、むしろ知識を削ぎ落としていく。

なぜ識別が重要なのか?

それは、識別をすることで、大要素の「色」を成り立たせている本質、基盤、根源を明らかにすることができるから。

プロセスとして見ると、
「観察+考察」→「観照+識別」→「本質(基盤)を見抜く」。

部分↔全体→全体性でもある。

霊的には、実在と非実在、真実と幻想を識別し、あるがままに見ることで、真実へ向かう。
これが「智慧の道」。

アリストテレスは「人間の最高の幸福は、テオーリア(観照)にある」と言う。

自己の識別とは、自己の全体を観照し、その本質を知ることである。

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綱川哲郎|瞑想と対話
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