行間を訓む vol.13 ~ I'm alive 編 ~
プロローグ
ザブーン!!🌊というわけで来る11月8日の「#飛鮫ナミ生誕祭」まで約1ヶ月(正確には34日程)となりました!さてナギナ民諸兄皆様、何とは申しませんが(既に申している)進捗はいかがでございましょうか!?(いきなり全体攻撃)推し事は正義!私も頑張って動いておりますが、進捗についてはみなまで言うな、チョットナニイッテルカワカンネッス。
今回は誠に勝手ながら"飛鮫ナミ生誕祭前哨戦"と位置づけてナギナミの青い方、鮫のナミちゃんにフォーカスの当たっている楽曲についての"行間訓み"を敢行していきます!
今回の歌詞訓み曲であるI'm aliveは2020.08.15.~16. の日程で開催されたUSAGI Productionプレゼンツ VirtuaREAL.02 リリース記念DJ&LIVEイベント DAY2(twitchにてリアル配信された)にて初披露されたナギナミ2人で歌うナミちゃんメインの楽曲です。以前"行間を訓むvol.7"で取り上げたオリジナル曲「クロスエメラルド」に加え、ナギちゃんメインの「夕凪Resolution」・「Dreamin' Summer Girl」と共に世に送り出されたナギナミのオリジナル楽曲のひとつです。
曲の特徴としては、アップテンポで疾走感ある曲調と部分部分で挿入されている流れるようなピアノのリズム・ナミちゃんの低音かつ延びのあるボイスとキレのあるダンスが挙げられます。
推しの良さを語る上でもちろんトークは大事ですが、先ずは聴いて貰うことが大事でしょう。もし初見の方がいらっしゃいましたら下記リンクから是非一度ご試聴下さい▼
―――いかがだったでしょうか。まさに"かわいい"2人に"かっこいい"が加わって無事に語彙力の喪失を迎えるのも無理はないでしょう。(謎の後方腕組み)ナミちゃんの特技であるキレッキレのダンスが全面に出ていることもあり、曲に箔を付けております。
ナギナミは息の合った"ふたりでひとつ"="ニコイチ"という言葉が似合う、それこそ"てぇてぇ"コンビなのですが、2人での歌唱楽曲に加えてそれぞれ1人づつのソロ曲として栄える曲を制作するのではなく、この曲や"夕凪"のように片方1人が"メイン"の位置づけとして据えられて、それを2人で歌い上げるような楽曲を創り上げていることが特徴的かと思います。
さらにはバースデーの時にはお互いがお互いに曲をプレゼントするというクロスオーバーっぷりを見せており、『尊すぎて、夏』といった具合にナギナ民をしんどく(もちろん良い意味で)させてくれます。
早速ですが以下より曲のタイトル「 I'm alive 」の意味や歌詞に込められた行間について順を追って見ていきたいと思います。
注)セクション分けや歌詞の内容の考察ついてはあくまで筆者の個人的主観です。私自身は専門家でも何でもありません。もしかすると表現や言葉使い等に間違いもあるかもしれませんし、解釈違いが起こることは否めませんので万一の場合はご容赦ください。
歌詞訓み【§1】
ピアノの軽快なリズムと2人のダンスが開幕を告げ、歌詞へ ―――
一生懸命になるのが滑稽に思えてしまい、「時間が足りない」とわかっているのに、子供のようにおどけて「馬鹿みたい」って笑い合って邪魔をしてばかり。でも今更になってそんな無駄に思えた時間(浪費済み)が今では大事だったことに気付かされる。
やりたいこと・やるべき事は沢山あれど、どの道も手段や方法がバラバラで優先して進むべき道が「迷い」によって靄がかかってしまう。そもそも追い求めている「自分らしさ」とは何だったのかすら的を絞れない。どれも自分の信念に基づく道なのだから、嘘のつきようがない以上、唯一の道がない故に選択できない。なんとか形を保つためのバランスを調整することがアイデンティティを保つ正義として今日も君臨している。
青い母なる海原から吹き抜ける通り風が私の心に「怖がらなくてもいいんじゃない」と優しく囁く。風と海流の流れによって時々によって違うリズムで寄り添う白い波は、繰り返し浜辺にその表情を変化させ打ち返す。「常に一定のものはない」と訴えるように。「自分が決める私」があるのと同時に「自分でない誰かが造り上げた私」もまた生きて活動している。
歌詞訓み【§2】
誤解されるリスクに怯え、自分を無下にして「そんな些末なことはどうでもよい」と片付けて無理をしてばかり。
そんな私だって可愛げで花も恥じらう女の子。いろいろな物事を試して経験し、女子力に磨きをかける。
我が道を行くと「空気を読む」ことがフェードアウトしてしまう。あれこれ突拍子もないようなことかどうかも関係なくアイデアを言っているが、答えはもう出ているのかもしれない。こうなりゃどれも正解なんだからどれでもいいから選択してみよう。選択による前進が唯一の正義なのだから。
摩訶不思議なことに、少し先を行く明日の方角から吹く風が「強がらなくてもいいんじゃない」と心に囁く。波の如く音が打ち寄せる度に溶け込み響いていくだけで時は流れていく。自分が選択をしているようで、一方で誰かが選択し決めている私も生きている。
夢中になれることや夢中にさせることは揺れる波のように触れる度に変化するけど、イメージを膨らませて想像することで自分がする「今」を自由に選べば、案外それが正解だったりするものだ。
※§1の終わりの小節に同じだが改めて ―
怖がらなくてもいいんだ、自分が選択して進む道なのだから未来を恐れて尻込みするより前進あるのみ。寄り添ってくれる人達もいるのだから。私の「生き様」を見て貰おう。
エピローグ
ナミちゃんらしさが歌詞にも盛り込まれ、葛藤しながら本人なりの努力で前進していくひたむきさも垣間見えるような一曲でした。
さて、なぜこのタイミングでこの選曲をしたのか、ということについて触れながら振り返って参ります。曲のタイトル「I′m alive」は直訳で「私は生きている」という意味になることは容易に理解できると思います。ナギナミが活動を休止して約半年が経過する今、この曲を聴きつつ間もなく誕生日となる推しとそのオリ曲を前に、ナギナ民である私はふと思ったのです。英題を直訳された「私は」「生きている」という2つの語句の間にこの記事で言うところの「行間」が見えてしまうような気がする、と。
ここからはV推しとしては考えることもつらい部分かもしれませんがお付き合いください。Vtuberの活動としてそれを長く続けることは身体的・精神的にも負担は大きいことであろうと思います。私が知る中でも10年まで続いているライバーは恐らく居ないにしても、5年も続けばすごい方とも言えるかもしれません。メタいことを言えばライバーも人間ですから、不眠不休で活動することはできない為「休養」する為の「休止」であればまだ希望は持てるにしても、Vtuberにおける「引退」「卒業」「休止」を宣言するということは種別は様々あれど事実上動かなくなるという意味で広義では「停止」ということになるでしょう。
ではここで、「停止=無=死を意味するのか?」という問い(疑問)が出てきます。これは様々捉えようがある為、正直難しい部分でしょう。似通った部分で言えばVtuberの始祖とも言える存在、キズナアイちゃんの「長期スリープ」も「休止」の部類に入ると思います。先程触れたように、Vtuberだって一人格を持つという時点で人であると言えます。その分身とも言える言わば「魂の入れ物=3DやLive2D等」側が動かなくなったという点では確かに「停止=無=死」となるでしょう。人間で言えば魂と肉体の関係になぞらえることが出来ます。
さて、じゃあ人はなぜ死した抜け殻である「魂の入れ物」に敬意を払い、弔い、顕彰するのでしょうか。一般的に「死後の世界」は様々言われており、真偽は定かではありませんし、その目で見たことのある人はいないでしょう。しかし「生きている」側の我々は「生きた証」を語り継ぐことによって心に彼の人を思い出し、呼び起こし、心の支えとすることができます。これは私の持論ですが、確かに肉体的には死を迎えたとしても、その人が存在していたことを思い出し、継承していくことは生きている人々の「心に『生き』続ける」ということになるのではないでしょうか。
ここで曲のタイトルの話に戻ります。ナギナミのお二人は「活動休止」を選択しましたが、「I’m alive」…そう、当たり前のことですが「お休み」であって、ナギナミは出身であるS.E.A.はもちろん、我々の心に確かに生きて活動している。ナギナミからすれば「We're alive」・ファンである我々からすれば「They're alive」というわけでございまして。忘れなければ、語り継げばいつまでも生き続け、インターネットを通じて会いに行くことが出来、我々を愉しませてくれます。まわりくどくそれっぽいことを申し上げましたが私は推しの生誕祭を前に私はそう感じておるところなのです。さて、推し事に取りかからねば。
ナギナミちゃんねるのリンク・2人のTwitterは下記です!よろしければ!▼
海月ナギ ちゃん Twitter:https://twitter.com/NxN_NAGI
飛鮫ナミ ちゃん Twitter:https://twitter.com/NxN_NAMI
また次回もとい、「飛鮫ナミ生誕祭」でお会い致しましょう👋
2022.10.5. つなな