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行間を訓む vol.2 ~角巻わため 「My Song」編 (2)~
訓みはじめに =御礼を兼ねて=
わための見つめる先には何が待っているのか…完全筆者主観!勝手に行間を訓(よ)むシリーズ2回目は、前回に引き続きわためぇの「My Song」の歌詞の海へと潜っていきましょう…。
と、その前に少しだけ。vol.1の記事を大変多くの方に読んで頂けたようで、正直筆者は大変に驚いております。共感頂いたという意見が多く、温かいコメントと拡散を賜りました。本当にありがとうございます。そして…
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ミツカッチャッ…タァ…(こぼれ落ちる涙
(;°д°)彡 < ファッ!? (跳ねる心臓)
なんとわためぇご本人の目にも留まってしまったらしいです。YA☆BE. いったいなにが起こった…。未だかつて無い衝撃&うれしさで過呼吸レベルなんだが。私の記事が「丁寧」!?…そうなのかなぁ。軽い気持ちで折った紙飛行機を部屋の窓からネットの海にぽいっと投げたら拾い上げられて展示されて人だかりができているのを遠目にキョどりながら見ているこの感じ。人生何が起こるかわからんです。
しかも推しを泣かせてしまいました。これは謝罪会見ものですねぇ…。(できんけど)でも、つななは、悪くないよn(ry 取り上げてくれたわためぇにも心からの感謝を。ありがとうございます!!!🙇🙇🙇
さて、今回が初めての方は、前回の記事をお読み頂いてからの方がよりわかりやすいと思いますので是非こちらをどうぞ。 ▼
※ご注意※
例によって歌詞のセクション分けは独自のものであること、ご了承下さい。今回は最後まで訓みますので、長編となります。一気に読もうとすると疲れる可能性がありますし、沢山の情報でお腹を下してしまう可能性もあるので、お時間のあるときにゆっくりとお茶でも飲みながらご覧頂ければと思います。また、表現やイメージもあくまで筆者主観の為、人によっては解釈が会わない場合もありますこと、ご承知置きください。
歌詞訓み(§2)
前回の小節(§1)から、自分が挑戦し続ける理由が見つかったかもしれない(Maybe=多分 であって断定・確定は出来ていない段階であり掴みかけ)、さてここから一歩踏み出そう(歩み始めよう)というところで次の小節へ移り変わる。
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砂は掴みにくいので、今わためぇは「何かを掴みかけている」状態にとれる。
「そうなのかも」しれない。
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MV内では、夜の工場夜景のシーンから、夜が明けてもう一度朝に変換。雨はやんだらしく、都会の雑踏。交差点にある横断歩道の人々の足元にカメラはある。
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わためぇは人々に入り交じって奥から手前側へ渡ってくる。
大勢に混じってしまえば彼女も皆と同じ、ごく普通の一般人。
自分の成すべきことに焦点(ピント)が合い始める
焦り上がる心拍数に嘘つくように
自分を落ち着ける 皮肉は要らない
先のパートで、自分の活動し続ける原動力のカケラに気がついた自分は、いざ行動に移そうとしてつい焦ってしまい、心や体を変に動かしたからか、緊張から来ているのかわからないが、思いもよらず心拍数が上がってドキドキしている。実はこの妙な胸の高鳴りの正体はおおよそ見当が付いている(後の歌詞で登場する)が、先走ると躓いて転んで怪我をしてしまうかもしれないし、一旦嘘をつくような形で落ち着けて知らないふりをして(取り繕って)おこう。変に不要な皮肉(骨身にこたえるような意地悪な非難)が入ってくるかもしれないので備えながら。
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ブランコ=揺れるもの=揺れ動く心の比喩ともとれそう。
しかし今は止まったブランコをベンチ代わりにして考え込んでいる。
落ち着いて考えることも大事だが下を向きすぎてしまうのも考え物かもしれない。
それを高揚感に置き換えたらさ
今日もまた挑むべきハードルがほら見えただろう?
「それ=焦り上がった謎の心拍数」を「高揚感=気持ちが非情に興奮した感覚=精神や気分などが高まる/高める」という言葉で置換(補填)することによって今日(When)自分(Who)が向き合い・挑んで乗り越えるべき(=乗り越えることが出来る)障害(What)がどれで、どこ(Where)にあってどんな方法(How)で乗り越えれば良いのか、目的・目標に対しての自分のパフォーマンスやコンディションはどうあるべきか、乗り越えられないのであればなぜ・どうしてそれを行うのか(Why)が自然と見えてくるはず、今の自分(=あなた)なら見える・見えているはずでしょう?
ハードル=「高さが変えられる障害物の典型」であり、飛び越える・乗り越えるものとして比喩されがちな名詞だが、自分を整理するための5W1Hを引き出すのにとてもわかりやすく親しみやすいワードチョイスだと思う。
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「わぁ、何だろう!?」と言わんばかりに目を大きく見開き、その目を輝かせる。
やっと自分の希望(宝物)を見つけ出せた様な反応。思わず子供のようにワクワク。
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扉が厚く、冷たく重いものに見て取れる。重たい扉を開けて、多くの扉(関門)をくぐって。
自分が挑むべきハードルを捜して。
諦めずに悩み・苦しみ抜いた末に生み出される
葛藤の隙間で錆びない声明をひねり出せるか
作品や物を生み出すのに、人は誰しも悩んで苦しんで葛藤(試行錯誤)し続けている。なんなら葛藤8~9.5割まであるわけだが、その合間合間の僅かな隙間にひねり出し・生み出された断片的でほんのごく僅かなカケラや結晶を一生懸命探して、かき集め、如何にして形に出来るかどうかが肝になる。
「錆びない声明」=いかなる場所にあっても風化しない(酸化して錆び、朽ちてゆくことのない)意見や意志=ここでは「作品」とも言い換えられるだろう。
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一度力(血液)を行き渡らせるかのごとく手を開くカットが入る。
意志を持って固く握った拳は簡単に解けない。
「ひねり出せるか」 ⇒ スポンジと水に喩えて
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自分の脳をスポンジと例え、井戸や泉・水道等から湧き流れ出て来る水を知識や智恵に置き換えてみることとする。スポンジは水に浸して初めて水を吸収して持ち運べる。脳は取り入れた知識を溜め込んで、必要な時に取り出すことができる為、スポンジと水の関係に似ていると言える。しかしながらスポンジ=脳のキャパ(容量)の大きさによって含むことができる水の量が異なる。たくさんの水=知識を取り入れる為には吸水力のある大きなスポンジorキメの細かいスポンジが必要となるだろう。「ひねりだせるか」の箇所は容量に因らない自分の頭の水=知恵を一生懸命絞って・ひねって取り出すことができるかというイメージ。
出ないのならとっくに諦めてるよ
なぜこんな一見して無意味に見えるようなことを続けるのか?コスパが悪くないか?自分だってそう思った事もあった(何度も挫折した)けど、もう自分の中からアイデアや知恵が出てこないと見限ったり決めつけりした(自ら自分の芯を折ってしまう)のであれば、とっくにこんなことは辞めているし、諦めているだろう。
人間は生き、考え続ける限り何かしらのアイデアや知恵、それにまつわるヒントを吸収・蓄積して取り出し続けることが出来るのだから、それを辞めなければ何も出てこないなんてことはないだろうし、挑戦(≒投資)をすることは全く愚行ではない。
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かもめが飛び去った後に吹く風はやさしく吹いて絡みつく。
その目は下を見やることは無く、空の上をしっかりと見つめている。
非情にも立ちはだかる「現実」
渾身の信念で歌ったって届くわけじゃない
素晴らしいくらい僕らの現実は残酷だ
いくら自分が全身の力を振り絞った上でこれが正しいと思って発信(=歌うこと)をしたところで、自分が作り上げた作品・物は世界万人の人々に等しく同じように届くわけでは無い。(受け取り手によって三者三様・十人十色だから)自分の信念が悪いのか、はたまた発信の方法や時間(タイミング)が良くないのか、言語の問題なのか、戦略が良くないのか。それは誰も知る由も無いし、推定できても完全には断定・特定し得ることができない。
頑張ってもがいているのに現実(リアル)というやつはここまで残酷なものなのか、どうしてまったく自分の思い通りにならない。イライラするし、呆れて寧ろ逆に「素晴らしいくらい」という比喩がお似合いだ、そうやってまた立ちはだかって何が楽しい?そうなるともう自分はどうしようもないし、ただそこに存在し続けているというだけなのに、あざ笑っているようにも見える。でも抗おうにも受け入れるしかない。
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「素晴らしいくらい~」の箇所でビルを映している。
そびえ立つ大きく高いビル(摩天楼)は「現実」の比喩ともとれる。
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そこには先程見つけた光の玉。ここはいったいどこなのか。
曖昧を削り取って尖らせてまた歌って
諦める理由なら過去に捨ててきた
だが私は立ちはだかる現実から逃げずに闘う。泥臭く土臭く脳内にある地面の草の根をかき分けて捜し、自分が一生懸命ひねりだした(捜し出した)曖昧で不安定で脆い素材かもしれないが、それを集めて・練り上げて形にして。
葛藤の隙間で生み出された少なくて小さなものの中から、さらに不要な物を削り取って誰かの心に届く・響く・刺さる・留めてもらう為に尖らせた(選別し磨き上げた)上で歌って(投げかけ・訴えかけて)ということを何度も繰り返していく。その結果失敗や挫折が待っていようとも、何度でも立ち上がるし、できる(誰かの心を動かす)までやめずに打ち込み続ける。なぜなら諦める(逃げ出す・投げ出す)理由はとうの昔に自分の中から追い出してしまったから、今や自分の心の中に影を落とすことも、干渉されることも無い。
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曖昧という大きくざっくばらんな素材をノミとトンカチで叩いて小さくして削り取る。
そして深く刺さるように尖らせて羽や持ち手を付けて遠くに飛(跳)ぶ様に加工をする。
出来上がったものはもう「曖昧」ではなく別物の「作品」として我々視聴者(リスナー)に向けて提供さ(あるいは刺さ)れる。
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浜辺を走り、ビルの森を走り、立ち止まって上を見て捜す様子。
一生懸命自分で足を運んで捜し出す。目線は依然上方に。
歌詞訓み(§3)
愈々物語も佳境。音楽も終盤に向けて歌詞の内容に同調してリズムの高鳴りを益々上げていく。
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自分を愛して大切にすることも必要
愛してたいよ 愛してたいよ
立ち止まる度に 進みたがる足を
まだ行こう もっと行こう
愛してたいよ(1回目)⇒ 過去(いままで)の自分
愛してたいよ(2回目)⇒ 現在~未来に向かっていく自分
現在・過去両方とも自分であることに変わりは無く、変えようとするならこれからしかできないし、変えられるのは今からだし、そんな過去の青臭かった(前項迄の歌詞のような)自分を見て見ぬふりして捨ててしまわず、全てをありのままの自分として受け入れて・抱きしめて・愛し続けて行きたい。立ち止まる度に足が早まって勝手に進みたがろうとするような姿ですら愛おしい。それが自分なのだから。
まだ道半ばだ、まだ先がある。終わりなど無い。もっと先へ、もっと高みへ行ける、行ってみよう。私と一緒に行こうではないか…。(手を差し伸べられているイメージ)
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よくよく観察をしてみれば私服姿のわためぇには人間の耳がある。
恐らく我々が今まで視ていたのは平行世界のわためぇで、森のシーンの辺りからは
平行世界のわためぇが見ている夢の世界と仮定すると、街中のシーンと区別が付けやすい。
浜辺に座って、海の向こうを見つめる。まだ見ぬ世界を思い描きながら。
目を拭う。もうその目に浮かぶ涙は無い。
立ち上がって「やってやるぞ!」と言わんばかりに吠え・叫ぶ。
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唯一この2枚はMV本編では無いカット。
ペディキュアという一見気付きにくい箇所にも化粧をして、ついに電車に乗った。
荒削りだけどこれが自分だ、聴いてくれ!
小さくて頼りなくて不安定な歩幅が
繋がって歌になる 僕を聴いてくれ!
自分の歩みは他の人に比べて小さくて頼りなくて不安定かもしれない、だがしかしこれが他でもない唯一無二で確かに私の歩調なのだ。この歩みが繋がって歌(自分の作品)になる。さあ、どうか聴いて欲しい、ありのままの私を見(視)て・聴いてもらおう。僕(私)自身を。
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一見バラバラで規則性も無い(小さくて頼りなくて不安定な歩幅)が、自分が歩んできた"足跡"
として残り、五線譜で繋がって楽譜(スコア)となって歌に成っていく様子。
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二人の描写がすごく丁寧だし、吸い込まれそうな目の描き方が聞き手の高揚感を誘う。
お気づきになられましたか?
1回10回100回1000回挑戦を続けるよ
まだ足りないって思ってる やまない雨の中
ずっと考えて考えて考えて見つけ出せ
ここは前のサビと一緒の箇所が繰り返しになっている。あえて歌詞を変えずに二度目の登場。….そう、「わたしは何度も繰り返すことで聞き手であるあなたに届くように試行錯誤し挑戦を続けています、他でもないあなたへ向けて…。たとえこの作品があなたのもとに届かなかったとしても、待っていて欲しい。いつかあなたを振り返らせるようなものを考えて見つけ出して作って(提供して)みせるから。」と意訳ではあるが私はそう受け取った。
聞き手の心を動かそうとあなたの心の扉をノックしているわためぇが見えたそこのあなたは、もう既に角巻わための魅力で射貫かれているはず。ようこそ、いらっしゃい。(?)
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浜辺で夢の世界にもあった光と戯れるわためぇ。
普段から自分の周りにも存在はすれど、それを発見できるかは自分次第。
見つけられた喜びはひとしお。顔には曇りが無く心から愉しんでいる。
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心の中でも曇り無き笑顔をたたえてどんどん上へ上へ、遙か彼方へ。
自分が捜し求め、世界に知らしめたいのは…
僕だけの栄光路を証明したいんだよな
注目したいのは、§1で表現した「滑走路」ではなく「栄光路」と言い換えられている箇所。同じ「路」でも格好が違う。「栄光路」は造語の為辞書には存在しない。なぜ滑走路に二重線を引いてまで言い換えているのか。「栄光」と「路」に分けて辞書を引いてみると…
①「栄光」=幸いを表わす光。輝かしい誉れ。光栄。瑞気。(ずいき=めでたい雲のわき出るたたずまい。めでたく神々しい雰囲気。)
②「路」=目的の場所に至る経路や、その途中。途上。
以上を踏まえて『栄光路=栄光への道標(みちしるべ)』と私は仮定し、「滑走路」という言葉から「栄光路」に言い換えることでただの旅路としての「滑走路」ではなく自分の心の中でいつか辿り着くであろう「幸せ」までの「路(道)」という形で昇華されているのではないかと推測する。
「~よな」→滑走路のくだりでも使用されたが、意思表明と断定の「だ」で終わらず、「よな」で念を押し、相手に確かめる(確認する)ことによって自分や聞き手に言い聞かせるイメージとなっている。
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行き着いた暁に
もし辿り着いたなら 誇っていいかな
もし(=If)滑走路もとい栄光路に自分の力で辿り着くことができたのであれば、自分や世界のみんなに誇って胸を張ることができるだろうか、いや、やっぱりその時は胸を張って自慢させて欲しいな、いいかなぁ。(ここで頬を掻きながら照れ、はにかむ様子を妄想)
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A. わためいと「いいよ!!!!!いいに決まってる!!!!!そんなわためぇが好きだぞ!!!!!(くそでか大声)」(突然割り込むヲタク)
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堅く冷たい印象から夜景を映し出す煌びやかで美しい物に変化。
物も喩えようだし、ただのビルでも見方によって様々な解釈がある。
現実側のわためぇの表情も晴れやかで、「イイ顔」をしている。
「また明日からも頑張ろう」という心の声が聞こえてきそう。
エピローグ
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物語における起承転結
これだけのメッセージ(あくまで筆者主観)を訓んだ上で、最後に改めて曲のタイトルである「My Song」に注目したい。前回の記事で触れたが、わためぇの音楽活動における心の内側のお話(Story)が詰め込まれており、お話という観点から見ると、「起承転結」がハッキリしていることもあってわかりやすく、聞きやすく、理解しやすいのではないかと思っている。筆者自身もこのようなNoteや物を書くときに大事にしている要素である。
私はどのように捉えて受け取ったのか
ここで私自身の「My Song」との出会いについて若干触れておくと、完全初見でMVを視たときは、わためぇを推しとしておぼろげに好きだなぁと認知しはじめた頃ということもあり、お恥ずかしながらも実を言うとここまで熱量を持って良さを語ることが出来るレベルでは自分の心に響いてこなかった。(えっ?)
自分の受け取り手としての状態を言葉にすると「スルメイカ噛み噛み型」なのである。要するにどんなものでも他の人に比べてかみ砕いて飲み込むのに時間をかけがちだけど、良さがわかると急にむしゃむしゃと顎が痛くなるのもかまわず貪り続けるようなタイプなのである。汚い表現かもしれないが、1回口に入れて(つばをつけて)みるけど、ぺっと出してしまう。けどある日突然、自分にとってとてつもなく輝きを増しておいしそうに見えてくるタイミングがあって、目を輝かせながら頬張るといった具合である。(こいつめんどくさいな)
記事内、「渾身の信念で~」の箇所で触れているが、インターネットの普及に伴って現代では発信の方法は様々あり、どう使役するかという点において戦略が問われる時代である。いかに素晴らしい作品でも、伝わらなければ風化してしまうのは早いだろう。しかし一方で、手紙や郵便・電報など昔ながらの手段や方法は変わらず今でも使われ続けているし、形を変えて残していくパターンも存在する。
例え話だが、街を行き交う人々にどうやってニュースや出来事をまんべんなく伝達するのかという大目的があったときに、新聞・TV・スピーカー・マイク・ラジオなどのメディアが思いつくだろう。
では、「My Song」がどのように私に伝わったのかというと、それは「鐘の音」のイメージが最もしっくりくる。「鐘」というとロンドンのビッグベンに代表されるような洋風の建物や教会・学校などにあるものを想像して頂きたい。「鐘」というと時を知らせるものの象徴として捉えられがちだが、考えてみて欲しい。鐘の音のすごいところは「音を感知できる者はどこに居ても音の大小あれど等しい音の形で聴くことが出来る」という点である。和風(日本の場合)に置き換えるのであれば、寺にある「梵鐘」やそれを大晦日に突く「除夜の鐘」もこの部類に入ると思う。鐘はその形状から、360度・上下左右・東西南北と立体的に響き渡る為、どこにいて何をしていてもあちこちを縫うように反射・反響して、街に暮らし・行き交う人々の耳に入ってくる。たとえ高い塔が無くてもそこに鐘が存在してそこに鳴らす人が居れば十分成り立つ。
また、音は「振動」となって空間に響き渡り、その振動が耳の鼓膜に入って震える(鼓動→呼応)ことによってはじめて音や音楽として伝わり、さらに心が震えると人によってそれは「感動」となる。「My song」はまさに鐘の音のごとく四方八方へ響き渡り、人々を振り向かせ、鐘の音が発されている方向に目線を向けさせることに成功しているといえる。再生数がそれを物語っている。そして人によっては感動の先に、自身を鐘の音のする方向に向かわせ(鐘の音の正体を知りたいと思わせ)たり、それができなくても自分の行動を変化させ(鐘の音を合図に勉強や仕事を始め)たり、何かしらの方法で聴いた人の心のどこかに火を付け・エンジンをかけ、「行動」を起こさせる。人によっては「突き動かされる印象」or「そっと背中を押される印象」と分かれるかもしれないが、行動を起こさせる魔法である事に変わりは無い。そんな力のこもったすごい曲であると私は思う。だって、現に私にここまでの考察文まで書かせてしまったのだから…
総括 ~「My Song」とはなにか~
人々の心を動かす力強さと起承転結たっぷりなストーリーを内包した歌、「My Song」=「わたしのうた」(あえてひらがな表記=聞き手によって「私」や「僕」と一人称を漢字に替えたり、ジェンダーを識別できる形にしたり、「たち(達)」と複数形にしたり、「歌」を「詩・唄」と替えることもでき、ひらがなであれば小さな子供や日本語を学びたての外国の人々でも伝わるし、万人に平たく伝わりやすい形で、自由自在に形を変えて世代や人種・ジェンダーを超えて愛されることが出来る)なのではないかと推測し、この歌の魅力と共に再定義することとしたい。
訓み終えて ~編集後記~
行間を訓む~角巻わため 「My Song」編~はここまでとなります。ここまでお読み頂きありがとうございます。お疲れ様です。やっぱりわためぇは感情をそのままに乗せる歌が上手いですよね…。いやぁ、刺さったなぁ。
しかし正直「ヲタクとしてやらかてしまったかなぁ…」が最初の自分としての感想です。こんなん誰が読むん?よくもここまで肉付けできるな…。(他人事) 執筆にあたって何度(1回10回(ry )も「My Song」を聞き直し、MVに寄せられているコメントを見たり、意味を調べたりと、それこそ私自身が「読み手である皆様に伝わりやすいのはどの言葉や表現が適当か」という「葛藤」をしていた訳ですが、不思議と楽しかったのは否めません。なぜなら「推し事」だから。ひとまずここまで書き切れて一安心です。
何より、お読み頂いた方々からのリアクションと推しであるわためぇご本人の観測ツイートによる後押しがあったからここまで出来たと思います。改めて皆様に感謝を贈ります。
「行間を訓む」企画自体はマイペースにではありますが続けていきたいと思っておりますので、私「つなな」のツイッターをご覧・フォロー頂くと投稿されればわかると思います。▶ https://twitter.com/Tsunana_s
※ツイートは少なめです。またフォローバックは私の独断と偏見に基づきますので、100%のフォロバを補償する物ではありません、ご了承下さい。
また、このシリーズを始める前に「自分の推し事」について稚拙ながら「推し」に出会うまでとその後をまとめたNote「私と推し事(全3回)」もございますのでよろしければそちらもどうぞ。▼(急な宣伝)
まとまったかどうかわかりませんが最後に一言。
わためはいいぞ!
こんばんドドド!
角巻わため公式Twitter:https://twitter.com/tsunomakiwatame
長~いご拝読、誠にありがとうございました。
2022.05.10 つなな
おまけのCパート
~ 宣伝です ~
私と同じくVtuberがお好きなそこのあなた!
Vtuber関連技術勉強のDiscordサーバー「S.E.A.Tech(シーテック)」で推し事のあれこれ、みんなで情報交換して勉強しませんか?
![](https://assets.st-note.com/img/1652183917498-6Vvf2FT1qL.png?width=1200)
「ファンアートが描きたい…」「おすすめのデバイスは?」「推し語りがしたい!」なんでもござれ!プロ・アマ問わずみんなで勉強中!
「面白いことがしたいけどそれには勉強が必要だよね」というところで分野は様々ですが、情報交換したいなぁと集まってできたVtuber・推し事総合サーバーでございます。(※元々はんなま系Vtuber「ナギナミちゃんねる」の推し事サーバーとして設立されましたが、今月からVtuber好きの皆様との交流に向けて広く開放させて頂くこととなりました。)
つななが一問一答!
Q:「そもそもPCのこともよくわからないんですが…
素人過ぎる内容でも質問してもいいんでしょうか?」
A:「どうぞ気軽に質問して下さい!恥ずかしいことではありません!
ちなみに私もパソコンド素人です!w」
Q:「そもそもDiscordのことがよくわからないんですが」
A:「無料のボイスチャットアプリのことです。
PC・スマホ・タブレットなどからアクセスできます!」
Q:「おすすめVtuberや絵師さんを紹介してもいいですか?」
A:「どうぞどうぞ!その為のサーバーですから!
専用のチャンネルがありますので、是非そこで教えて下さい!」
Q:「会費などはありますか?」
A:「ありません!そもそも無料アプリなんで!
有料コンテンツもありません!TakeFreeです!」
この機会にご興味のある方は是非下記招待用URLからお入り下さい!
ご不明点ありましたらツイッター等にて質問を寄せて頂いてOKです!
肩肘張らず、お気軽にご参加ください!お待ちしております!▼🙇