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私と推し事(Ⅲ)

―――――― 僕らは きっと待ってる
―――――― 君とまた 会える日々を
  
                     【さくら(独唱)歌詞より】

 数々の出会いと別れを繰り返し、巡り行く季節の中でV推しである私は今何を思うのか。これほどに上記の歌詞が刺さる日が来ようとは思いも寄りません。(前回も似たようなことを言っていた気がするが)
 今回も私の推し事の遍歴について客観的かつ勝手に整理し書き連ねていく所存でございます。お時間ある方、よろしければどうぞお付き合い下さい。3月・4月は季節柄多いんですってね...あえてなにがとは言いませんし、これについても推し事を通じて知ったことです。
 前回のあらすじッ!固唾を呑んで配信を見守るナギナ民に告げられた事実とは... ―――運命の瞬間の少し前である前回はこちらを参照ください▼
(※今回は語りが多めです。)

突きつけられる現実

 2022年1月20日 20時。 ナギナミちゃんねるでの「大切なお知らせ」配信。ナギナミの二人から告げられたのはナギナミちゃんねるの「活動休止」に関する一連の告知であった。

 ついに恐れていた事が現実となってしまったのである。自分の最推しであり、生き甲斐であり、心の支えからの「休止宣言」。前回若干触れてはいたが、「得るものが大きい普遍的価値をもったものは失った時の悲しみが大きい」現象が愈々発現し、障害となって自分の目の前に立ちはだかったということになる。しかしながら「休止」という言葉に若干の安堵を覚える人も少なくは無い。なぜなら業界を去る「引退」や所属等を離れる「卒業」というワードではなかったからである。
 実はというと、少なからずナギナ民にはある程度この予感がしていた部分があった。では、それはなぜかなのか自分視点での考察を次項にて。

推しが休止となった要因は一体何だったのか?

 先程述べた「予感」があったということは、そう思わせるような兆候や傾向・なにかしらの影響がファンからしても見て取れる動向があったということになる。ここでは個人の主観で3つ程に分けてその要因を挙げていくことにする。(※私は専門家ではありません故、あくまで個人の見解となりますので悪しからずです。)

(1)新型コロナウイルス蔓延による自粛ムーブ
 まず、我々の住むリアル世界に飛び出してロケ企画を行うことが売りであったナギナミにとって、コロナに因るあらゆるイベント中止や渡航・移動の自粛は活動の大きな足枷となってしまった。
 2019年7月10日から活動を開始し、コロナが日本に上陸し猛威を振い始めたのは2020年1月頃。はんなま系Vtuberとして誕生して約半年でリアルでの活動が制限されてしまった。これは致し方の無い部分ではあるが、ロケが命であるナギナミにとってこの影響が大きかったことは言うまでも無い。

(2)「はんなま」コンセプトへのこだわりと制約
 企業所属(ナギナミの場合はSANYO=三洋物産)のVtuberである以上、個人が趣味で行う物では無い故に収益や成長計画等の数値が活動の大きな柱となる。プロデュースする側(運営)においてもそのこだわりに自信を持って打ち出し誕生したプロジェクトであれば、打ち出したコンセプトや方向性をいきなり大きく方針転換するわけには行かないだろう。
 完全に個人主観ではあるが、もしかすると情勢のことも相まって、視聴者の求めるもの(いつでも自宅で楽しめる=配信頻度やリアルタイムで視聴が出来る時間帯・回数)と運営側が求める成長曲線(コンセプトに対するこだわり)に乖離が生まれ、さらにコロナによりやりたいことを実現出来ない現実が壁となってしまったことも要因の一つでは無いかと考える。
 Vtuberが好きなファンは少なからずネットの情報を頼りに配信を探し、絶えず「面白い配信が無いか」を探す開拓を行っている部分があると思うが、そんなファンが空いた時間に開拓をしている時間帯に刺さらなかった可能性がある。ナギナミ=はんなまであるが故にスタジオ収録がほぼ必須。配信時間が長引けば帰る時間も遅くなる=時間無制限で好きなときに好きなだけ行うことが出来ないし、定期・定時配信を行おうにもナギナミ2人だけではなくスタジオや運営とのスケジュールの擦り合わせによって時間帯の制約が出来るのは明らかなため、夜の配信が多くなる。
 加えて、コラボ相手のVtuberに「はんなま=手が出せる」要素を理解し取り入れてもらえるかどうか、それをコラボ相手のファンがどこまで理解してくれるかということも壁として存在するのではないだろうか。コラボ配信や動画を投稿することによって相互のファンの流入や新規ファンの獲得を行えることがコラボ自体の強みであるが、ナギナミが提供する企画はゲームや歌以外の日常では手と手元を映して活動している為に、そのコンセプトのないVtuberとのコラボはどこまでが許容範囲なのかを探る必要も出てくるだろう。Vtuberとして新しい方法であった「はんなま」が若干の制約となってしまった部分もあるかもしれない。
 しかし現に朝ノ姉妹さんとの初コラボや北陸旅コラボ・とっくんさんとの料理関係コラボで登録者数が伸びている部分があり、成功している部分があるので、これが全てというわけではなく、部分的要因の一つとして並べる程度に留める。

(3)チャンネル登録者数の伸び悩み
 
配信者たるもの、チャンネル登録者やファンの多さはステータスであり支援者の多さ=収益の一端を担う大事な指標。ナギナミはチャンネル創設当初から目標を「目指せ10万人登録」と位置づけ活動を行ってきた。
 コラボなどでじわじわと登録者を伸ばしてきたが、3万人を超えたあたりから上への推移がゆっくりとなってしまい、新規ナギナ民の獲得に苦慮した時期というのが、外部とのコラボを積極的に行っていた時期とも重なる。
 固定のファンはついていたが私含めほぼいつものメンバーといった顔ぶれで、若干身内感が漂っていた部分も否めない。
 「はんなま」を業界に先駆けて導入し一石を投じた最初期の勢いをそのままに次のステップ(様々な場所でのロケ企画やチャレンジ)に進めていこうとしていた矢先での伸び悩みは、活動にブレーキをかけてしまった要因のひとつと捉えられるだろう。

一人のナギナ民として

 ファンとして、ナギナ民として、推しの休止の発表自体は悲しいし、聞きたくなかったし、目を背けたくなるような現実ではあった。自分自身はファンネーム決定前後位の創生期から追い始めたこともあり、輝ける推しの活動を応援し見守ってこられたことはかけがえのない出来事だったと思うし、ナギナミに出会えたことに心から感謝したい。ナギナミは私の人生を彩ってくれたまさに青春といっても過言では無い。

「盲亀浮木(もうきふぼく)の喩え」に準えて

 ここでひとつ小話を。皆さんは「盲亀浮木の喩え」をご存じだろうか。似たような意味の言葉に「一期一会」という言葉があるが、「一生に一度しかない出会い」や「一生に一度かぎりであること」を指す言葉でもある。では「盲亀浮木の喩え」とは何か。
 これは仏教におけるお話で、お釈迦様が弟子に説いた喩え話。大海中に棲む目の見えなくなった老海亀が百年に一度、波間に息継ぎをしに浮き上がってくる際に、同じ大海に漂っている流木の穴からこの亀が顔をだすことがあるかどうかと問いかけることから始まる。弟子の阿難尊者は「そんなことは、ほとんど不可能で考えられません」と答える。そこでお釈迦様は「誰もが、あり得ないと思うだろう。しかし、全くないとは言い切れない。人間に生まれるということは、この例えよりも更にあり得ない。とても有難いことなのだ」と、人間として生まれたありがたさや、出会ったり、物事が実現したりすることがきわめて難しいことの喩えとしてこれを話されたのだそう。
 今やVtuber業界は2万人以上を数える大きな市場へと発展した。今日もどこかでまだ見ぬVtuberが誕生し、また去って行く。その中で「推し」と呼べる存在にどれだけ出会って、「推し事」をすることができるだろうか。

結 ~これから~

 冒頭、森山直太朗さんの「さくら(独唱)」の歌詞からなんとなく私の心情をお察し頂けていることと存じますが、ナギナミの休止は決まったことである以上ファンがどうこうすることは出来ません。どうあれその決断を受け入れ、背中を押すのが一ファンとして、ナギナ民としてできることの精一杯なのかもしれません。その後の歌詞はこう続きます。

―――――― どんなに苦しいときも 君は笑っているから
―――――― 挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ

 推しが笑い、輝いている姿に元気づけられ、支えられて今の私があるということまでこのままこの歌詞で表現が出来てしまいます。卒業シーズンによく耳にする歌ですが、いかに多くの人の心に響き、長く愛されて歌い継がれているかがわかります。

―――――― 移りゆく街はまるで 僕らを急かすように

 先日電車に乗って移動中、過ぎ去っていく見慣れたはずの景色が様変わりしている様子を目の当たりにし、「変わることは知ってたけどいつの間にここまで変わったんだろう」と思わされた事がありました。
 季節は巡り行き、街は移ろい行き、変わっていないのはもしかしたら自分だけなのかもしれない、置いて行かれるかもしれないという焦燥感を表現しているように私は受け取れます。
 時化てはぐ海の様子。浜辺に押しては返すの様子。潮の満ち引きや月の満ち欠けのように、常に一定というわけではなく、自分が見ていても見ていなくても毎日絶えず変化をし続ける物はたくさんあります。Vtuber業界もそのひとつでしょう。
 ナギナミ以外にも個人的に追っていた推しの方々が去年末から休止の発表が断続的に続いてしまっていた(この件は時間があれば別途記しますが)だけに、なんとも心の整理が付けにくい今日この頃。
 一旦「さらば」ではありますが、願わくば「またこの場所で会おう」いえ、会えることを信じ待ち続ける所存です。私は生きている限りナギナ民だし、それは私の中で不変の物であり続けるでしょうから ―――

ナギナミはいいぞ!

 2022.4.23 21:00~活動休止前最後のDIVEALIVE(全編無料ライブ)の配信がありますのでコレを機にナギナミを知って下さったという方も是非視にいらしてください。(配信リンクとyoutubeチャンネルは下記▼)

 「私と推し事」ナギナミ編は一旦ここまでとなります。稚拙ながらなんとかまとめられました。お付き合い下さった方、ありがとうございます。なんだかんだV界隈にはおりますので、また推し事関係等で書き連ねたいことがあれば筆を取りますのでよろしくお願い致します。


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