1/5厄年の怨念

厄年って信じますか。

もちろん私は信じていなかった。
信じていなかったんだけれど、ここ2年辛いことがたくさん起きているから、あるんだろうなと思い始めた。

後戻りできないことが多々増えていく。

厄年には前厄・本厄・後厄の3年間あるとされている。
今年が最後、後厄だ。

前厄では残念な動物園を管理しきれず退職し、本厄では、後戻りできない選択を繰り返し、体はぼろぼろになり、お金は消えていった。
まぁまぁ辛い出来事なのでオブラートに包ませていただきます。
さて、後厄ではどんなことが起きるのか。

不安だけれど、底を見てみたい気持ちもある。
底を知れば、この先上しかない。
前向きになるために厄年はあるのか。
確かに、この2年間社会でもがいたことによって、社会の中で足掻こうとする抵抗力がついてきたような気もする。

厄年の怨念。
ホラー映画でよくある主人公や周りの人間を徐々に蝕む幽霊みたいだ。
主人公がなんとかしようと解決策を探している段階。今の状況を説明するとしたら、1番しっくりくる例えだ。

苦しいときにしか、苦しみに打ち勝つ術を見出せない。
この2年間で学んだことだ。

整った環境すぎると、それに甘えて努力をしない。どうやら私は自分で自分を追いこんだほうがいいタイプらしい。
ただ、他人から追い込まれると、潰れてしまうから塩梅が難しい。
まるで小説の中の主人公のようだ。

そして私は頑固らしく、まっすぐ歩いて痛い目を見ないと納得できない。
心から納得できたものは誰よりも上手に説明できる自信があるけれど、それ以外はそこまで上手に説明できるわけではない。口下手だ。

自己理解が深まってきたじゃないか。
厄年の幽霊は我が子を崖から突き落とすライオンなのかも知れない。

崖から突き落とされたくない人はお祓いに行こう。ライオンにお肉をあげて崖を回避するんだ。



PS.〜お祓いに行こう。を書いた後にオチを考えていたら、ライオンがちゅーるを食べるのか気になり、YouTubeで検索。ノースサファリサッポロさんの動画を見て、そっちかぁとなりました。よかったら見てください。

ここ2年間、自己理解が進んでいるからか好きなものと嫌いなものがわかるようになってきた。そして、好きなものをより知ろうという傾向が強くなってきた。
不幸だから幸せを感じやすくなったのかも知れないし、不幸だから人一倍幸せを見つけたいとアンテナを張り巡らせているのかも知れない。
それっていいことなんだと思います。
物語だったら、伏線。
これからいいことが始まる伏線。

俺たちの戦いはまだ始まったばっかりだ。
自分で辞めなきゃ打ち切りにならないのが人生だから、これは伏線にはならないけれど。

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