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カムカムエヴリバディのジョーに見る「ニーズを掴んでそれを生きる」生き方

NHKの連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』にハマっています。というか、すでに沼。とくに1月中旬以降は、朝見て、昼見て、NHKプラスで見直して……週末には予告編を何度も見て(泣いて笑って)、あげく普段あんまり見てないtwitterも追っかけて。

「なにしてんねん! なにしてんねん、お前は!」(トミー)

さて。

しかしながら、ちゃんと見つけていますよ、ドラマの中のNVC。ちょいちょい「お、ここは!」と思うやりとりがあるのですが、今回は、堂々たるダメ夫っぷりを見せているジョーこと大月錠一郎(オダギリジョー)の第64話のセリフに着目してみました。

ジョー「友だちに恵まれているんやなー、ひなたは。それがどれだけ幸せなことか、ぼくらはよう知っている。ひなたにとって、それより大事な夏休みの宿題はないよ」

あらすじを端折って説明すると。
岡山から出てきたるい(深津絵里)は大阪で天才トランペッターのジョーと出会い結ばれるものの、ジョーは原因不明の病気でトランペットが吹けなくなり、自死寸前まで追い込まれ、それをるいが救う。心機一転、京都に転居して回転焼き屋を開業し、るいのがんばりでなんとか生活を成り立たせ、二人の間に生まれた娘・ひなた(新津ちせ)が今10歳。夏休みの最終日、それまでほとんどやっていなかった宿題を友だちが来て手伝ってくれている……。

るいも、ジョーも、これまで、周りの人たちとのつながりによって孤独な子ども時代を生き抜いてきたこと、大人になってからも友だちや助けてくれる人とのつながりによって生かされてきたことが、”ぼくらはよう知っている”という言葉に込められています。

つながり。そして、そこから生まれる感謝。このニーズ(NVCでいうニーズ:そのときの大切なもの、命を動かすもの、命のエネルギーなどと表現されます)をーーもちろん、ニーズとは呼んでいないけれどもーージョーはよく知っているのです。掴んでいます。常に味わっています。

ジョーのあらゆる行動、発言は、この「感謝」に根ざしているのではないでしょうか。このシーンの少し前に「るいみたいな人がお嫁さんになってくれた。なんにも困ってへんよ」というセリフがあります。

64話では、娘のひなたのセリフとしても「うちのお父ちゃんは仕事していない」とありました。そう、稼いでいない。仕事もせずにブラブラ。回転焼きの準備もできない、店番もダメ、テレビ見て、娘や近所の子どもたちと遊んでばっかり。トランペットを思い出している様子もない。ふつう、困るだろ? 少しは反省するだろ? twitterのTLには「ジョー、働け!」とか「トランペットはどうした?」などの書き込みも溢れています。

いいや、皆さん、待て待て。
ジョーはいま、人生で一番大切なことをやっているんですよ。

それは、ニーズを掴んで、それを生きるということ。

自分が何も困っていないのは、つながりによって生かされているからだとジョーは知っています。そして、時間がたっぷりあるのにも助けられ、彼はつながりへの感謝を常に味わい、深くからだに染み込ませています。
「なんにも困ってへんよ」は、るいへの感謝の表現なのです。

受け取れるだけじゅうぶんに受け取ることが、相手へのプレゼントになる。NVCを学ぶとよく聞きますよね。

ジョーは、もちろん頭でそんなことは考えていません。でも、「じゅうぶんに受け取ることが相手へのプレゼントになること」を知っている”からだ”を持っているように見えます。ミュージシャンだったから? あるいは戦災孤児で一人ぼっちの中、人に助けられ、救われてきた経験から?

ともあれ、心とからだがねじれることなく、素直にニーズにつながっているから、自責感や情けなさも、何一つ感じることはない。彼の行動や発言はすべてストレートなニーズの顕れだから、ひょうひょうと、いや、軽々と生き、家族に、街に受け入れられているのではないでしょうか?

さて、ジョーのように、ニーズに満たされ、ニーズを生きると、何が起こってくるのでしょう?

意図せず、他者のニーズを満たしてしまうことがあります。その例も、この日の放送の中にありました。

友だちにからかわれて泣いて帰ってきたひなたを、ジョーが膝に載せて一緒にテレビの時代劇を見たというエピソード。これを聞いて、家庭の中で決まった仕事をせず時間をたっぷり持つジョーの存在が、幼いひなたの、とても重要で根源的なニーズを満たし続けてきたのだと確信しました。

それは「見てもらうこと」「気にかけてもらうこと」。英語のニーズ表現では、to matter です。人は人との間に生きるもの。誰かから見てもらう、気にかけてもらうことは、とくに言葉がまだ通じない赤ちゃんや、小さな人たちにとっては命の存続にも関わる重大なニーズなのです。

だから、このニーズが満たされないと、とくに子ども時代に満たされないと、大人になった後でも、いろいろとこじらせてしまうことが多々あるんですよね。

すくなくとも大月家のひなたは、このニーズに関してはたっぷりと満たされています。母であり妻である、るいも、たぶん(とくに結婚以降は)。ピントのずれたことを言って悪びれないジョーに、るいが本気で腹を立てることがないのも、だからなのでしょう。

ニーズを生きることは、ジョー自身を癒やすことにもつながっているように見えます。それが、今日(第65話)の一シーン、そう、あの五線譜のところ、音符を書いたあと、明らかに何かメロディを口ずさんでいた彼の様子に現れている……と思うのですが、どうでしょうか。癒やしの兆しが。

音楽がジョーの中に蘇りつつある! この先がますます楽しみで、しばらくカムカム沼から這い上がってこれなさそうな私です。

(カバー写真は、http://sibuya-deedee.jugem.jp/?eid=1906 こちらからお借りしています。)

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