覚ブラ散歩その1ー参道の謎
はじめまして。名古屋に来て早16年、覚王山を拠点に建築設計事務所を主宰している吉村真基です。(吉村真基建築計画事務所|MYAO)
今でこそ住みたい街ナンバーワン、縁日あり雑貨ありスイーツありと何かと賑わう覚王山。特にここ数年の覚王山の躍進は住人の目から見ても目を見張るものがあり、カワイイお店が一気に増えて、今年に入ってからはほぼ毎月新しいお店がオープン、連日どこかで行列ができています。
ちなみに地元小学校も児童が増えに増えてパンパン。
…ですが、今から20年ほど前の参道は今よりかなり鄙びて空き店舗が目立つ商店街だったようです。
2000年前後から20年超にわたり、商店会を中心に地道な空き店舗対策、街づくりへの取り組みがあり、それが近年やっと実を結んだ…覚王山はいわば街づくりの成功例なんです。
街づくりの成功例という意味では名古屋市内に大きい事例がもう一つあります。それは大須。
大須の街おこしはさらに歴史を遡り、1970年代半ばに始まります。60年代にシャッター街化していた大須は大学のまちづくりアクションをきっかけに商店主たちが盛り上がり電気街に発展、からのサブカルの街へと、現在の独特の街の形成につながっています。
大須でもバブル後の衰退期=1990年代後半から2000年前後の街づくりが現在につながるキーになっています。
近年は円頓寺商店街もシャッター街からの復活例として知名度が上がっていますね。
人々の注目度が高まって上昇サイクルに乗りはじめると、新規出店が増えてきたな…と思う間もなく、加速的にディベロッパーが集中し路線価が上がる、この末期的な加速感は何となく今っぽいですが、確かに成功ではあります。
成功すると見えなくなるのが街づくり。でも存在感を放つエリアは例外なく、住人が街づくりに地道に取り組んでいるんですね…!
覚王山といえば日泰寺。日泰寺からは商店が両側に立ち並ぶ参道が伸びています。広小路から参道に入る角には「日泰寺」の石碑もありますから、ここからが広い意味でお寺のエリア。お寺との位置関係から見ても、参道両側の商店街は一応「仲見世」という位置付けになるかと思います。毎月21日は縁日もあり、そうでなくてもスイーツストリートとして連日賑わう参道。が…実は私、前からこの参道ちょっと変わってるな、と思ってるんです。
○不思議その1 大福または羊羹屋がない。
大福屋とは老舗のいわゆる高級和菓子屋を指します。茶席で用いるような和菓子ですね。由緒あるお寺の門前町には、概ねその街を代表する和菓子屋さんがあります。覚王山には鬼まんじゅうや団子といった大衆向け和菓子、ちょっと前までは駄菓子屋さんもありましたが、意外なことに高級和菓子店の老舗はないのです。今年になって万年堂がやってきましたが、今年だもんね。
とはいえ衰退して現存しないことはよくあるので、もしかしたら昔はあったのかも?
○不思議その2 畳店、表具店、電気、設備…建築関係が多い?
お寺が近いので石屋さんはわかるとして、妙に建築、内装関係の事業所が多いような。参道からは外れますが、ガラス屋さんもいくつかあります。
さらにこちら。…多いだけあって建設工事が絶えないのね!
じゃなくて、酒井屋旅館さん。
現在建て替え中なので、業態が変わるのかもしれませんが…元は建設現場等で働く方々のための長期滞在用の宿なんです。
1932年(昭和7年)創業。時系列大事。
○不思議その3 皆さん、法事はどちらで?
参道のすぐ西を参道と並行して走る道沿いに松楓閣があります。法事も慶事もバッチリな名古屋屈指の老舗料亭。でも庶民にはちょっと敷居が高い…これだけのお寺があれば、普通は参道の並びにもう一軒くらい庶民の法事に使える大きめのお店があっても良さそうなものです。よくあるのは、うなぎ、会席、寿司、すき焼き、天ぷら、かに、など。ちょっと前は確か仕出し屋さんがあったかも?うなぎは新しいお店がありますが…。
これも昔はあったのかもしれませんね!
ちなみに古地図を紐解くと参道のすぐ西の道はお寺ができる前からあったようで、こちらが旧道。逆に言うと、参道はわざわざ旧道の10数メートル東側に旧道に並行して新たに築造されたんですね。
○不思議その4 謎の空白地帯
これが一番の謎…日泰寺参道の商店街は日泰寺から3ブロック手前でパタリと途絶えています。そこから先、日泰寺までは地割が一気に大きくなり閑静な住宅街になるのです。つまり仲見世が寺の門前まではつながっていない…。
もとはここまでお寺の土地だった?あるいは元は商店があったけど時代の流れで衰退した…?
というわけで、これから数回に渡り、日泰寺参道の来歴をちょっと深掘りしていこうと思います。昔こんなだったよ、という情報、持っている方がいらしたら是非お教えくださいませ。
しかし覚王山は建築的にはネタの宝庫!日泰寺も揚輝荘も一回には収まらない横綱級の面白さです。
最後に…
2000年あたりからの地道な活動がここ数年で一気に花開いた覚王山。
大須でも2000年前後の商店街組合の街おこしが今につながるキーになったと書きましたが、その方法とは、高齢化した店主と店を持ちたい若者を直接つなげること、でした。つまりあくまでも個人と個人をつなげること…大手やチェーン店を入れないスタンスです。
結果として他にない店が集まり、独自の存在感を放つエリアに成長していったのです。
覚王山もある意味うまくいったエリアだからこそ、学べる点が大いにあるのでは、と考えています。
吉村真基
☆いつもはこんな仕事をしています!⬇︎