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Day5 昔はどんな子どもだったのか

「書く習慣」1ヶ月チャレンジ!実行中です。

どんな子どもだったのか、幼少期のころの話をすると、大抵そんなふうに見えないと必ず言われる。

ちいさいころの記憶って実は結構ある。
まず、浮かんでくるのは

人見知り
ひとりあそびがすき
いつも観察している
おとなしい子

大人からはとっても褒められた 
いわゆる「いい子」。

おとなしくて、ものわかりがよくて、ずっとそばで話を聞いていれるような手のかからない良い子ちゃん。

自分から喋ることってあまりなくて、どこにいてもじーっとひとりでなにかをしていたり、声をかけてくれたり、仲良くなっていくとやっと自分のことが話せるみたいな感じ。だから、お兄さんやお姉さんなど年上のひとがかまってくれるのがすごく心地良かった感覚。

あれこれ人の話とか表情とかいつもみていて、
あ、こういうふうにしとけばいいんだな、、、とか、こうすれば喜ばれるんだなとか、ある意味空気読んで、合わせることが得意なちょっと冷めた子どもだったと思う。

なんでも割と1人でできたり、駄々をこねるなんてしたことないので、この子は大丈夫、しっかりしてるという感じのイメージになり、反面ほんとのことやわがままを言えなかったりするから、なんだか満たされないような…もんもんとしてたのも覚えてる。

褒めてもらいたかった、かまって欲しかったけどそれが言えないから、いつも周りの視線や空気を読んで自分の振る舞いを変えていたような感じで、いつも気を張ってたんだと思う。

自分が自分らしく、安心できる場は、本の中の世界や漫画の中の世界で、物語に没頭しているときは自分だけの世界でいられた。

塗り絵とか着せ替え、人形あそびも、誰かとやるより1人でやってる方が好きという…感じ。

覚えているのは小さなころから両親にいつも連れていかれる信仰の場(天理教との関わりがありました)他の子どもたちは外で遊んでいたけど、わたしはひとり中で、雅楽を聞くのが好きだった。

安心感というと、本堂の隅でいつもおばあさんが火鉢の前にいて、そこにいくとお茶をたててくれる。なにを話すでもなくじーっと火鉢の前に座ってすごす。その時間がとても好きで…いつもひとりでそこに行くのが楽しみだった。

こどもらしくないこども


こどもの部分は本や漫画や空想、自由で想像する世界の中へと放出してたのかもしれない。そうすることでなんとか外向きの良い子と実はまだまだ子どもの自分を保っていたのだと思う。

今思うと
「自分の世界を守ってた。」そんな気がするのです。小さいころの自分は今もいつもここにいて、たくさんのことを教えてくれる。


書く習慣1ヶ月チャレンジ続く⭐︎

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