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ゼネコンの現場第一主義について想うこと

ゼネコン文系社員だった私が感じたゼネコンの現場第一主義についてです。

会社によっても違いはあると思いますが、技術屋さん目線とはまたちょっと違った現場第一主義について考えてみたいと思います。

昔ながらの現場第一主義

本来、現場第一主義とは現場を会社全体で支えることであって、現場にすべての権限を与えることではないと考えています。

しかし時代時代で現場第一主義に対する考え方も違います。

例えば、わたしが働いていたゼネコンには足場などの仮設材を現場に貸し出すための機材センターがありました。

社内の機材センターから足場を借りるか、社外の仮設材リース会社から足場をリースするかの判断は現場に権限があります。

現場は機材センターの社内損料と社外の仮設材リース会社のリース代を比較して、リース代のほうが安ければ現場の判断で社外からリースができます。

しかしいくら安くてもリース代は社外に出ていくコストであり、逆に高くても損料は社内に留保される計算上の費用です。

機材センターの損料は稼働率で決まるので使えば使うほど損料は安くなるのに、現場は目先の安さだけでリース会社を使うので機材センターの稼働率は悪化し、結果的に社内損料が高くなりどの現場も機材センターを使わなくなってしまいます。

現場の個別原価計算上はこれでいいのかもしれませんが、会社全体のキャッシュフローから見れば大損ですし、そもそも機材センターを持っている意味がありません。

現場に権限を与えず会社として仮設材の利用を管理すれば、機材センターを計画的に活用し社内損料を安くすることも可能なはずですが、そういった議論は聞いたことはありません。

現場を管理する主管部(土木部や建築部)も、個々の現場の見た目の原価率が良くなれば自部門の成績がよくなるので、会社全体のキャッシュフローは気にも留めません。

これについては現場や主管部だけが悪い訳ではなく、会社全体のキャッシュフローの観点から考えれば経理部にも責任があります。

しかしゼネコンの経理部には現場の利益に口を出す権限がないので、経理部では何もできないのが実情です。

なぜこんなことが起きる?

これはほんの一例ですが、なぜこんなおかしなことが起こってしまうのでしょうか?

個人的には昔ながらの現場第一主義が原因ではないかと思っています。

昭和の頃の現場、特に土木現場はダムやトンネルなど人里離れた山の中ということも多かったと思います。

現場で生活を共にし、命がけで仕事をしていた時代、同じ現場で働くという絆はとても重要なものだったと推測できます。

必然的に自分が所属する現場への愛着も強くなるでしょうし、ほかの現場はライバルであり競争するものであって、協力して会社の利益に貢献するという関係ではなかったのかもしれません。

現場の権限もいま以上に強く、現場の所長さんに専属の運転手さんがいた時代です。

現場を管理する主管部も、現場に権限を委ねない訳にはいかなかった時代だったのでしょう。

結果的に現場の意向を過度に尊重する社内文化が出来上がり、それが今でも当たり前として残っているのではないかと思っています。

しかし、今は時代も大きく変わり、現場を取り巻く環境も変わりしました。

もうそろそろ古い社内文化は改めるべきだと思います。

ゼネコンは「古き良き文化」と「古き悪しき文化」の両面を持ち合わせています。

良い文化はそのままに、悪しき文化を改善していけば、ゼネコンはまだまだ発展する可能性を秘めているはずです。

このnoteでは、これからのゼネコンのあるべき姿を模索していきたいと思っております。今後ともよろしくお願いいたします。






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