科学を考える
元々科学という言葉は様々な学問という意味で使われていましたが、scienceという英語を訳す時に様々な学問のことだろうと科学が当てられたと記憶してます。だから日本語での科学の本質は様々な学問であり、分ける科学つまり細分化していくということだと捉えています。
実際に現代医学の分野はまさしく分科学であり、例えば内科、外科、耳鼻科など分科されてます。系統だって細かくみていき原因を突き止めるのが目的です。
道具の発展もあり、細菌やウイルスが発見されペニシリンなどそれに応じた薬が作られたりと恩恵も大いにあります。
しかし、系統だって細かくみていくことが大きくなってしまい、その他の系統を繋げてみることは小さくなっています。
例えば胃腸の下垂や卵巣のねじれからくる頭痛もありますが、内分泌系と脳神経系で分かれてるので、容易にはその二者が結びついた要因ということはわかりません。足首がずっと崩れてることで代謝があがらない、ずっと冷えるなども同様です。
それが西洋医学と東洋医学の違いといわれることもあります。しかし西洋医学でも生活や環境を考慮して気質などをみる体液病理学が昔からあり、人を細分化せずまず全体として診る視点を持ち合わせていました。だから、医学の東西は関係なく、これは診る人のスタンスの問題だと考えています。
先人達が積み上げた系統を繋ぎ合わせて、1つの身体としてみることはとても重要です。これは目の前にある身体を尊重する上で大切な心構えだとおもいます。
科学という言葉はとても便利ですが、科学だけでは推し量れないのが身体であるとも想うのです。