コンプレックスを抱える女性達の話
コンプレックス――自分が他よりも劣っているという感情。劣等感。
コンプレックスはありますか? と問われれば、私にもコンプレックスはあるし、ない部分もある。
女性に限らず、何かしら「コンプレックス」を抱えながら生きている人は多いだろうと思う。
身長、体型、顔、性格、学歴、職歴、家柄……いろんな面において、人は「コンプレックス」を抱くことがある。
そしてそのコンプレックスは他人から見たら羨ましいと思う部分でも本人にとっては凄く嫌だったり、逆に(とても失礼な言い方だが)他人から見たら絶対ああなりたくないなと思うような部分でも本人は誇らしげに思っていたりする。
あんなに太りたくないと思っていても、その太っている女性はその自分の体型が大好きかもしれないし、あんな風に痩せたいと思っていても、その痩せている女性は細い自分が嫌で太りたいと思っているかもしれない。
あの子みたいに可愛くなりたいと思っていても、そのあの子は自分の顔が嫌いで嫌いでメスを入れるかもしれない。
それらのコンプレックスは自尊心の低さや完璧主義さが生み出したものという短絡的なものではなく、コンプレックスとは「誰かが植え付けたもの」または「環境によって生まれてきたもの」だと私は思っている。
人は相対的に自分の価値をはかろうとする部分がある。
そこにただあるものに対して価値を見出すことよりも、何かと(誰かと)比較した方がわかりやすいからだ。
もちろん絶対的なものに対しては比較しないだろうが、しかしそれが何故絶対的なものかといったら、過去の知識や経験の中から比較しているのだろうと思う。
目の前に美人がいたとして、では何故その人を美人だと思うのか。
それは目が大きいからかもしれないし、鼻の形が綺麗だからかもしれない。では目が大きく、鼻の形が綺麗だと美人だと思うのは何故なのか。
更には顔が小さく、パーツ配置が綺麗で、スタイルもいいから美人なのかもしれない。では顔が小さく、パーツ配置が綺麗で、スタイルもいいと美人だと思うのは何故なのか。
例えば健康的な体型の女性を魅力的だと男性が感じるものを本能だと捉えたとして、我々女性が女性を見る時にそれら美的感覚は本能で片づけられるのだろうか。否、生きてきた中で得た情報や経験や受けた影響や今の流行から総合して、比較して割り出しているものではないだろうか。
そうして自分の中で、意識的、または無意識に自分と誰かを比較して抱いてしまうコンプレックス――環境によって生まれたもの、だと考える。
それとは違い、もう一つは心無い言葉やなにげない言葉で植え付けられてしまうコンプレックス――植え付けられたコンプレックス、だ。
相手は異性かもしれないし、友人かもしれないし、両親かもしれないし、通りすがりの人かもしれないし、なんならただのネット民かもしれない。
ある日、彼は言った。
「おまえ、マジでブスだよな笑」と。
一人はその場で笑い、翌日には忘れているかもしれない。
もう一人は愛想笑いを浮かべ、帰りにショックで泣いてしまうかもしれない。
そしてもう一人はその場でブチギレて、しばらくその言葉を引きずってしまうかもしれない。
ある時、彼はこう言う。
「アラサーとかマジババアじゃん笑」と。
一人はその場で笑い、「そうだよねーマジババアだよねー笑」と同意するかもしれない。
もう一人は愛想笑いを浮かべ、帰りになんでそんな言われないといけないんだろうと何度も考えるかもしれない。
そしてもう一人はその場でブチギレて帰り、しばらく苛立っているかもしれない。
大好きだった彼が、ある日こう言った。
「おまえ太りすぎじゃね?笑」
例え彼女が世間一般標準体重であっても、大好きな彼がそう言うならデブなのかもしれないと悩み始めるかもしれない。
きっと言った方には深い意味はないかもしれない。ノリで言っただけなのかもしれない。
しかし言葉は「たった一人が言った一回の一言で人の運命を狂わしてしまうことの出来る凶器」という事実は変わらないのだ。
たった一言が大きなコンプレックスを植え付けることはよくあるし、そのたった一言がきっかけでメスを入れる覚悟をすることもある。
それが「他人によって植え付けられたコンプレックス」だ。
そんなに嫌いではなかった自分の顔が、割と好きだった自分の体型が、普通だと思っていた自分の容姿が、一瞬でぶち壊される瞬間である。
もちろん他者に何を言われても気にしないという自尊心の高さがあれば、それは回避できるのかもしれない。自分が好きだからこそ、そんな言葉が全く響かないという人もいる。
しかしそんなに人は誰もが強くはない。
例えば、自分の話になってしまうけれど。
こんなことを自ら言うのは憚られるが、私は自分の性格にコンプレックスがさほどない。なので「性格が悪い」「頑固すぎる」「我が強い」など言われても響かないし、自分で性格が悪いと思ったこともない。
人より少し変わっていると思ったことはあるし、それを気にしたことはあるが、それでも「性格が悪い」と思ったことは一度もない。
それは「性格を肯定されて生きてきた背景」が大きく私を支えており「この性格で得た多くのもの」が私の自信となっており、今日出会ったようなよく知らない人に言われたとしても響かないのだろうと思う。
逆に自分の容姿にはコンプレックスが多い。
それは「肯定と否定を同時に受けながら生きてきた背景」が私を揺るがせ、(あくまで私の主観で)特別可愛いわけではない女性達が身近で得ていく幸せを目の当たりにしてきたことが自信を失う原因になっている。
私は程よく筋肉のついた健康的な体型も素敵だと思うし、k-popのような細いスタイルのいい女性も素敵だと思っている。
本人がその姿に不満がなく楽しんでいるというなら、太っている女性も素敵だと思う。しかし自分が太った女性になりたいかといったら、なりたくはないと思っている。
これは私の場合でしかないが「なりたいとは思っていない女性の輝いている姿」というのは、時にコンプレックスを刺激してくる。
人はこれを「嫉妬」と呼ぶが、私はその通り嫉妬だと思っており、環境と他人から取り込む複合的な刺激を「嫉妬」だと思っている。
元カノが、今カノが、好きな人の好きな人が、彼氏の女友達が……そういう「嫉妬」をきっかけに生み出されるコンプレックスもあるだろうと思う。
私は負けん気が強いタイプなので、嫉妬か他人に植え付けられたものか、どちらかによるコンプレックスが多かった。
もしかしたら誰かはそれを「他人と比べたって」と嗤うかもしれないが、コンプレックスのない人にコンプレックスのある人の気持ちは一生わからない。
そしてコンプレックスも人それぞれなので、お互いにそれを共感しあうことも難しい。
コンプレックスとは個人で抱えた孤独の悩みだろうと思う。