独身女性が「幸せの定義」について考えてみた

 個人的に何度かやりとりをさせて頂いているフォロイーさんに「貴方にとっての幸せの定義を書いてみたら? そして定義した幸せを追ってみたらどうだろう」と言われ、面白そうなので考えてみることにしました。

 だって「自分の幸せ」について、そもそも私は考えたことすらないのだから。

 女性は「幸せになりたい」とまるで夢物語のように口遊む。
 その女性の「幸せ」というのは「好きな人と一緒にいること」かもしれないし、更には「その人と結婚すること」かもしれないし、そして「その人の子供を授かること」かもしれない。

 よく言われる「女性の幸せ」というのは、世間一般的に「好きな人に愛されて、結婚し、その人の子を授かること」なのだろうと思う。

 我々、女性には出産のリミットがある。だからこそ結婚を焦る女性がいるならば、若い女性を伴侶に選ぶ男性もいる。

 女性ならば嫌でも身をもって実感するだろう。
 妙齢になると「未婚」というだけで「既婚」と大きく差を「世間」につけられてしまうことに。
 本人が気にしている気にしていない、結婚願望があるなし関係なく、「世間」がそういう位置づけにしてくるのだ。

 そしてそれが「女性の幸せ」だと謳う。

 女性ならば「そうなった人達が本当に幸せなのか」と一度は考えたことがあるだろう。
 もちろん本当に幸せそうな人達も多く存在するし、その反面で女遊びに明け暮れている旦那がいても、既に愛情が冷めきっている旦那がいても、世間的に「既婚」ならば、蓋さえしてしまえば「幸せ」をいくらでも演出することが出来る。

 「結婚したい」なんて一言も口にしていなくても、未婚というだけで「だから独身は」「独身なのだから」「そんな暇があったら」と「結婚したい女性という前提で」勝手に話をされることはよくあることだ。

 そして言うだろう、未婚なのは、残っているのは、問題があるから、だと。

 女性社会は多かれ少なかれ、そんな複雑なマウンティング世界にある。
 もちろんみんながみんなではないが、マウンティングする女性は実際に存在するし、そうすることで「自分は幸せだ」と主張したがる。そうしないと「自分が幸せ」だと実感出来ないからだ。

 それでもある時、とある男性が言った。
「女性はやっぱり結婚しないと。それが女の幸せだと思うしね」

 それが私にとっての「本当の幸せ」ならば、私はとっくに結婚しているだろうと思う。何故なら、私はとても貪欲な人間だからだ。
 本当に欲しいと思ったものなら、今よりバイタリティ溢れていて手段を選ばなかった、そんな若い時にきっと手にしていただろうと思う。

 月並みだが、幸せなんてものは自分が決めるものであり、どういう環境に置かれていようと、第三者が哀れに思おうと「本人が幸せなら、それは幸せ」に違いない。

 しかし「今、幸せか」と問われたら、私は幸せが何なのかすらわからない。

 それは自分が「不幸」だと感じたことも「不運」だと感じたこともなく、比較が出来ないからではないか? と考える。
 他者に悪い意味で「そんな経験、普通しないよ」など言われることは多々あるが、それはあくまで他者の感想に過ぎず、それについて自分が「不幸だ」と思ったことは一度もない。

 だって、すべての状況が楽しいから。

 そんな私を友人は「強い敵が現れると盛り上がるジャンプの主人公かよ……」と称するが、とても的確だと思う。

 それでもあえて定義するなら、きっと私にとっての幸せの定義は、そうやって「自分が自分らしくいられること」で、それでいて「楽しく」、それを笑いながらも「認めてくれる人が周囲にいる」ことだろうと思う。

 もちろん細かく言い出したら、色んな欲求があり、それがすべて満たされたら「幸せ」という人並みなことも考える。
 でもそれをすべて満たして「100%」になったら、次は「120%」を求めるわけで、きっと終わりはない。

 現に今も「自分らしく」「楽しんで」「周囲にそれを認めてくれる人」がいるので、充分幸せなんだろうと思う。
 美味しいものを食べ、友人達と語らい、笑って過ごす日常に不満はない。それを他人がどう思おうと私にとっては「楽しい」ので、幸せな時間以外の何者でもない。

 でもその幸せをパーセンテージで表すなら70%ぐらいで、残りの30%は「その幸せを共有してくれる人」がいないこと、これに尽きる。

 今日こんな楽しいことがあったんだ、と気兼ねなく話せる相手がいないことが、日々が楽しければ楽しいほど思わされる。
 もちろん友人にそれを話すことは多々あるが、でも本当に私がそれを話したい相手は友人ではないんだろうと思う。

 私はとても我が強く自己中心的な女である。
 だからこそ、自分の楽しみを相手にも伝えたい、わかって欲しい、そんな気持ちが強い。それが私の最大の承認欲求だからだ。

 70%の力で生きることは可能だからこそ忘れがちだが、その30%が満たされることで、今よりも確実に充実した日々になるだろうとは思う。
 そして100%に満たされたら、次は「一緒に幸せを作り出すこと」を考えるのかもしれない。

 人が独りで生きていけないように、幸せを決めるのは自分だけれど、幸せになるには周囲の力がいるんだろうと思う。
 そう考えた時、今の自分が「大事にするべきもの」と「必要としているもの」は書き出してみると明白である。

 それを得ることで、私の生活は今よりも彩ることが出来るのかもしれない。

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