ジェンダーレストイレって必要?
まず、私は性別・性自認共に女性だということと、そうではない人たちに悪意のある偏見等がないことを示しておきたい。
さて。
日本では最近になって話題に上がり始めたけど、私が留学している台湾では数年前から存在していたジェンダーレストイレ。
私の在学している大学内にも、いくつかある。
入学当時は、見かけては「先進的だなあ」と思って使ってみたりしてた。し、正直その場に男の人が居合わせても特に何かを感じることはなかった。
台湾は日本に比べたらかなりオープンな場所だと思う。学校の女子寮でも男の人と見間違えるようなカッコイイ女性に遭遇することがしばしばある。
そういうとき、女子寮だから当たり前だけれど、相手が女性であることにほっとする。
寮の中ではみんなとてもリラックスした姿だから、そんなところを異性に見られるのは少なからず抵抗がある。
その点、私にとってはトイレも似たような感じだ。
仮にジェンダーレストイレ、男女別トイレの全てが用意されているなら別に問題はないけど、ジェンダーレストイレしか無かったら?
実際、異性と同じトイレを共有しなければいけない事で不快感や恐怖を感じる人は多いはずだ。私はもちろん普通に嫌だ。
なんでこんな話をしているかと言うと、この話題を声高に持ち出す人は大抵、マイノリティの尊重だけを武器に主張を繰り返すからだ。
そんな主張を聞くたびに、少し横暴な言い方かもしれないけど「なんでその他大勢がそこに合わせなきゃいけないんだ?」と思う。差別的な意図ではない。
理解はするし、異論はないからそれぞれ好きなようにしよう。多様性のあり方って本来そう言うものじゃないのか?
姉が鮭定食、兄がラーメン、私がオムライス。それぞれ自分の食べたいものを食べるのが理想的なのに、鮭の切り身とミニラーメン、ケチャップライスが乗ったプレートを出されているような感覚。
多様であることを押し付けている時点で、多様性を崩してしまっていると言う本末転倒感。
もともと「いいな」と思っていたジェンダーレストイレに対して疑念が生じ始めたのは、つい最近のことだった。
先日、学校のトイレを利用しようとしたら、中から明らかに「男性」が出てきたのだ。
服は女性ものだったし化粧もしっかりしていたけど、紛れもなく男性だった。
「ジェンダーレストイレではないよな、、?」そう思って標識を見ると、やはり女子トイレだった。これはもはや多様性を受け入れるとかの問題じゃないだろうと思った。
その人が認識している自分のアイデンティティを否定するとかではなくて、ただ単純に、体の作りが同じかどうかによってもたらされる威圧感・安心感は全く異なる。
気持ちは同じように女性なのかもしれないけど、でも外見で判断するしかないような場所(トイレ)では、異性がいることの違和感はとてつもない。
そう考える人がほとんどなのではなかろうか。
そこを無視してまでやることか?と、思ってしまう。
全部のせのプレートを差し出されたような気持ちになるのだ。
今だにしっくりくる説明をしている人をメディアで見かけないけど、つまるところ、彼/彼女らのアイデンティティに関係なく私から見れば男性は男性であり女性は女性であると言うことだ。
アイデンティティの否定ではなく、相手を深く知り得ない状況下で如何に全員が快適にその場所を利用するかと言う話だ。
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