推しを失うということ
その人との出会いはnoteで、その文章にすごく惹かれてTwitterやInstagramもフォローするようになったという順番なので、彼女がアイドルグループのメンバーであることは自分にとってそれほど意味はなかった。
だから、彼女がアイドルをやめることより、その文章にふれることができなくなることが何よりさみしい。
昨日で、彼女の人柄とか非凡な言葉選びとか感性とかがすべてつまっていたnoteの記事はすべて消されてしまった。大好きな記事が消えるのがさみしくて、スクショして残そうかとも思ったんだけど、いろいろ考えて、何度も読んで記憶の中だけに残すことにした。
…といいつつ、やっぱりさみしくて、最後のツイートだけスクショしちゃった…
彼女がお別れのnoteやツイートで言ってくれていたとおり、引退してからも、彼女はこの世に存在し続けるし、もうひとつの夢に向かって前を向いて生きているのだろう。こちらからアクセスできなくなったというだけの話で、寄生獣のラストでのミギーとの関係みたいなものだ。
きっと、彼女は、これからも、いままでみたいな素敵な文章を、どこかで書くのだろう。たぶん、それを読むことはできないのだろうな、と思いつつ、広大なネットの世界で、奇跡的に彼女の文章に出会えたとしたなら、自分はきっと、それが彼女の文章だって気づけるんじゃないか、という淡い期待もある。
自分はアイドルヲタクだけど、たぶん彼女に関しては、アイドルとして推してはいなかった。
それでも、彼女は自分の推しだったし、だからこそ、その人がいなくなってとてもさみしい。
でも、彼女がたくさん悩んで出した結論が間違いなはずがないし、新しい道に踏み出す推しを応援してる。
自分の声はもう届かないけど。
どこかで偶然出会えたら、こっそりまたフォローさせてね。