《【チータラ談義❶】理性×劣情》ヌード絵画への”正しい”視線?【創る側と観る側/妄念の奴隷】#23才秋
美術館で女性ヌードを見た際の、あの自分の感性に対する無意識的な抑圧。
「『素晴らしい』とでも言いたそうな神妙な顔」を
とりあえずしておく。笑
というか、私の場合、本物に近ければ近いほど良い、
という見方以外の見方がよくわかっていないから。
三島由紀夫の『仮面の告白』に出てくる「聖セバスチャン」(グイド・レーニ)。
初めて私がどういう意図で書かれたのだろうと深く考えたヌード作品。
当時、女子たちから「萌え」の対象として見られることがあったそう。
黒田清輝氏は自身の描き方への信念を
「妄念の奴隷」と表現。
1920年代半ば以降。ヌード作品問題の収束の仕方、
なんだか上手いこといかなかったことを大学の講義で伺いました。
”決められた枠組み”の中で描くヌード作品。
それらの在り方の変容をまたどこかで学びたい。
『ヴィオレッタ』という映画がある。我が子の美しさを世間に公表する手段としてヌード写真を選択した母親のカメラレンズに向ける貪るような視線。
社会的規範、または禁忌に制限される芸術家の葛藤……