
壊れたサンダルと養老の滝
世界一の人口密度ってどんなだろう。
バングラデシュ行きを決めたのは、ただそれだけの理由だった。
どれだけ混み合っているんだろう。東京だってそれなりのはずだけど、街が、道が、店が、いったいどれだけの人で溢れかえっているんだろう。
一週間の有給休暇を取得し、バックパックを背負い、一人で首都・ダッカに向かった。
ダッカの街は、道という道が人とリキシャとバスとCNG(三輪自動車)で溢れかえっていた。インフラは未整備。無信号で無秩序。大渋滞が当たり前で、つねにクラクションと怒号が飛び交う。とにかく進まない。動かない。これは交通手段というよりも、もはやひとつのエンターテイメントととらえたほうが気が楽だ、と気持ちを切り替えて笑うように努めた。うまく笑えなかったけど。



試しにバスにも乗ってみたけど、これが大変。
まず、乗れない。動いているバスに飛び乗らなくてはいけない。なんだそりゃ。
そしてやっとの思いで乗車するも、次から次へと人が飛び乗ってくる。もちろん車内では身動きが取れない。慣れ親しんだ東京の地獄のようなラッシュアワーと同じようなものだけど、これが外国となると別。恐怖でしかない。
そしてもっとも恐怖なのは、バスがいったいどこに向かっているのかがわからないこと。言葉も文字もわからないので当たり前だけど。ある程度の人数が降りる適当な場所で一緒に降りることにした。


ダッカの喧騒にすっかり疲れてしまった僕は、世界最長の天然の砂浜を持つ海岸線で知られる街、コックスバザールへ向かうことにした。コックスバザールへは、バングラデシュ第2の都市、チッタゴンからバスやらタクシーやらに乗ると行けるよ、とだけ聞いて出発。

アジア一人旅は、バックパックひとつとサンダルが僕の基本スタイル。バングラデシュの旅もそうだった。
コックスバザールの喧騒は、首都・ダッカに比べて約30%減。穏やかな気持ちで街を歩いていると、トラブルが起こった。歩きすぎたのか、サンダルが壊れてしまった。ベローンと。

これはまずい。徒歩が中心の旅で、これはまずい。
仕方がないので、サンダルを手に持って素足で歩き続けた。舗装されていない地面が熱い。何かが突き刺さって足の裏が痛い。ちょっと泣きそうになった。
もう宿に帰ろうとトボトボ歩いていると、とある現地人に突然話しかけられた。日本語で(!)。
アナタハ ニホンジン デスカ?
ドウシテ ハダシ デスカ?
チョットマッテテクダサイ。
聞くと、日本に滞在経験があるとのこと。普段見かけない日本人っぽい人が裸足で歩いてるから何事かと思った、とのこと。
彼はどこからかアロンアルファ的なものを持ってきって、僕のサンダルを直してくれた。


奇跡の救世主の名前はアベ。日本人っぽい名前なのもいい。アベと僕は、コックスバザールの美しい海岸と夕陽を見ながらたくさん話をした。日本で通い詰めた養老の滝が忘れられないらしく、いつか日本でまた仕事がしたいと熱く話してくれた。
それから約10年後、再び奇跡が起こった。
携帯電話に知らない番号から着信。出ると、「アベです」と。僕は完全にどこかの阿部さんだと思ったので、どちらの阿部さんですか?と聞くと「コックスバザールのアベです」と。
壊れたサンダルが脳裏に浮かぶ。ベローン。思い出してちょっと泣きそうになる。
日本の会社のバングラデシュ支社で仕事を見つけて、出張で来たという。日本に着いて、すぐに電話をくれたという。
アベは間違いなく恩人だ。アベがいなかったら、バングラデシュ一人旅は悪い思い出ばかりになっていた。
僕はすぐに会いに行くことにした。待ち合わせはもちろん、養老の滝。
錦糸町の養老の滝で、僕とアベはたくさん飲んだ。途中、一人で飲んでいた知らないおっさんがなぜか入ってきて3人で飲んだ。引き続きたくさん飲んだ。
せめてもの恩返しということで、飲み代は全部僕が払った。たいした金額ではないものの、アベに「ごちそうさま。ありがとう」と何度もお礼をされてうれしかった。隣の知らないおっさんにも「ごちそうさま」と言われたのは納得いかなかったが。
バングラデシュを知っているだろうか。アジア有数の親日国で、国旗も日本と色違い。フレンドリーな人が多く、僕が日本人だとわかると、みなさんとてもよくしてくれた。主要産業のひとつは縫製業。ユニクロの工場もたくさんある。みなさんが着ている服を見るとMade In Bangladeshが見つかるかもしれない。




特筆すべきは、コックスバザールの夕陽。世界最長の美しいビーチに浮かぶ夕陽は必見。これだけでも見に行く価値があるほど。

アベとは、Facebookでつながり連絡を取り合っている。コロナが明けたらまた日本に出張があるはずと言っていたので、その時を楽しみにしている。また錦糸町の養老の滝で飲もう。今度は知らないおっさん抜きで、二人で。