毎週だった日記(2024年11月13日号)

note全然続けられなかった……(泣く)

ということで久しぶりの投稿だ。定期的に何かをコツコツ続けることはやっぱり自分には苦手だと分かった。思い出した頃に無理のない範囲で何かを書いていくつもりだ。今回は今までずっとぐるぐる頭を巡っていたことを文字に残してみる。

あとやはり私には文体の方がしっくり来るのでこちらで書いていく。


何もかも他人に合わせて生きてきた

私は自分の力だけで考えることを半ば放棄して生きている。

ゲームを遊ぶとき、対戦ゲームなら必ず攻略サイトを見る。商品を買うとき、価格.comで売れ筋ランキングをチェックする。

分からないことがあれば、真っ先に開くのは検索エンジンだ。検索で出てくるレベルのことを周りの人に聞きに行って、その人の貴重な時間を取らせたくないからである。

中学生の途中まで、自分の考えるままに周りを見ずに行動していた。交流関係を確認しないまま多くの人を家に呼んで「この人も来てるの?」と思われてしまったり、自分の信条に任せて言葉を発して相手を傷つけてしまったり。ゲームにおいてはカードゲームがいい例で「たまには自分でコンボを考えよう」と思い自分で強い組み合わせだと思ったデッキを組んだら「このカード、弱いから使わない方がいいよ」と言われてしまったり。自分だけで物事を考えたら大抵間違った方向に進んでしまう。

だから私は自分の考えを押し殺して生きている。調べたら出てくることや授業で教わったことはおおむね理解出来るためテストの成績は良かった。人間関係と精神がボロボロで出席日数がいつも足りず、高校で特例制度を利用したり、専門学校を中途退学したりした。

人と遊ぶとき、話し始めるときは相手から連絡が来るのを待っている。相手が取り込み中の時に連絡したら申し訳ないと思っていたから。

これに関しては「相手も同じ気持ちを抱きながら、それでも自分に連絡してくれているのでは?」と思ったし、複数の友人から「たまにはそっちから連絡くれよな!」のように言われることがあったため、最近は時々自分から連絡を飛ばしている。

何か予定を立てる時も、自分が相手に合わせることが多い。また、頼みごとをされるとなかなか断れない一面もある。それが祟って中学、高校で学級委員や学級会長をやらされたし、革靴を買いに行ったショッピングモールのテナントでクレジットカードを作らされそうになったこともある。そこはもっと自分の気持ちをはっきり伝えなければと考えている。

自分の気持ちといえば、こんなことを普段思っているよ、というのを書いてみる。

不幸も幸福も人に見せびらかしてはいけない

これは私が今でも尊敬している作曲家の受け売りなのだが、本当にそのとおりだ。

私は自他ともに認めるSNSジャンキーなのだが[要出典]、様々な人の投稿を見ていると「楽しそうな投稿だけの人」「暗い投稿だけの人」「どっちも半々くらいの人」「そもそもリポストばかり、情報収集・共有ツールとして使っている人」など、本当に使い方は人それぞれである。

私がSNSをフォローする理由のほとんどは「好きなYouTuberやVTuberの公式アカウントだから」「気になっているメーカーやゲームの公式アカウントだから」「相手からフォローが飛んできたから」の3つ、時々「気になりすぎて恐る恐る自分からフォローを飛ばす」こともあるが本当に稀である。

幸せそう・不幸せそうな投稿について私の場合それぞれ2パターンの受け取り方があり、不幸の場合は「そういうときもあるよね、つらいね」と思えるパターンと「この人いつもつまらなそうだな」と思うパターン。幸福の場合は「幸せそうでいいね!」と思えるパターンと「プライドから幸せを誇示してるな」と思うパターンがある。

SNSなんて書きたい人が書きたいことを書く場所だから、どんなふうに使うのか、どんなことを書くのかなど自由である。サービスの利用規約や各国の法律に違反する書き込みに相応の措置がなされるのはいうまでもないが、その限りでない投稿については本当に自由である。

ただ、それを見た別の人がそれをどう思うのかもまた自由であり、色々な受け取り方があるのだろう。

私はというと、幸せいっぱい眩しさ満点の投稿ばかり見ると眩しくて目が見えなくなるし、たまに投稿したかと思えば名前を伏せて誰かの悪いうわさ、嫌な出来事の中身をぼかして暗い思いを綴っていると、こちらまで暗い気持ちになって。

そういうときはまずミュートにして、しばらくしてからもう一度プロフィールを見に行って、それでもダメならそっとアンフォローという流れが多い。

逆にどれだけ幸せ投稿いっぱいでも暗い投稿ばかりでも、どこか憎めなくてずっとSNSをフォローしていたり、緩く交流を続けていたりする方もいて、そういう人たちは大事にしようと思う。

結局のところ

私は自分が楽しいと思ったこと、好きだと思っていることをどんどん発信・共有していきたいし、楽しくなかったこと、嫌いだと思っていることはなるべく伝播させずに自分のところで留めておきたい、その上で不幸や幸福を見せびらかすことはしたくない。

ただし、どうしても伝えるべき場面ではこんな風にはっきり考えを伝えたい、残していきたい、2024年を11月半ばまで過ごしてきてそう強く思っている。

「考えることを半ば放棄して生きている」とか書いておきながら、腹の中では自分なりに色々考えているのだな。

そんな日記であった。

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