知らないおじいさんと駅で1時間半しゃべって、まちの歴史を知った話
こんにちは。NPO法人つむぐです。
「自分が住んでいるまち・地域のことをどれだけ知っているだろう…?」
ふとそう思うことがあります。
どこにスーパーがあって、どこにコンビニがあって、大きな駅はここで…
そんな、普段目に見えている景色のことなら、まちのことを知るのもそこまで難しくありません。
でも、歴史はどうでしょうか。
自分が引っ越す前、生まれる前、それよりもっと昔、いま自分が住んでいるまちはどんな場所だったのか。
それをしっかり知っている人って案外少ないと思います。きょうはそんな「まちの歴史」について、2年前のちょっと不思議な出会いを振り返りながらお話しします。
おじいさんとの出会い
2年前のちょうどこの時期。わたしは駅のベンチに座って人間観察をしていました。駅にある時計台とまちの人びとの関係性について、大学のレポートを書くためでした。
ベンチに座って道行く人をきょろきょろと眺めているわたしの横に、あるおじいさんが座りました。高齢の方でしたが、おしゃれなハットを被った、なんて言うんでしょうか… ”the 紳士"でした。
隣に座ってしばらく経った頃、
「いま何時か教えてもらえる?」
そのおじいさんに突然時間を聞かれました。(目の前にでっかい時計台あるのに、今考えれば、なぜあの時わたしに時間を聞いてきたのか謎です)
時間を教えながら、
「あ、これはいろいろ聞けるチャンスかも!」
と思ったわたし。
ちょっとお話を振ってみることにしました。
おじいさん、お友達に約束をドタキャンされていた
「ちょっとお聞きしたいことがあるんですが、お時間ありますか?」
わたしがそう聞くと、
「おう、いいよ~」
という感じで返してきたおじいさん。
よくよくお話を聞いてみると、お友達に約束をドタキャンされたということ。だから、駅のベンチで暇そうにしていたわけだ。
そんなこんなではじまった、おじいさんとのおしゃべり。
この時は、おしゃべりが1時間半にもわたるなんて思っていませんでした…。
「このあたりにお住まいなんですか?」
という話題から始まり、おじいさんの話を聞きながら、なにかと関連付けてレポートに書きたい時計台のことを根掘り葉掘り聞いていると、次第にまちのお話になっていきました。
まちの人の”ことば”
おじいさんとお話しした2年前は、わたしがそのまちに住み始めて2年目の年でした。大学の進学で実家を離れ、ひとりで引越してきて、まちにだいたい慣れたころ。
でも、まちの歴史のことなんてこれっぽっちも知りませんでした。
ですが、おじいさんのお話のおかげで、少しずつまちの歴史が見えてきました。
わたしが住んでいるまち、同時におじいさんがずっと住んできたこのまちは、26年前の阪神淡路大震災の影響を受けたまちです。現在22歳のわたしが生まれる前に起こった震災。
もっと大きな被害が出たまちもありましたが、この震災は、いまわたしが住むまちにも多くの側面に影響を与えました。犠牲になった方がたくさんいて、物理的な損害も、人々の精神的なショックもそうです。おじいさんも、大変な思いをされたようでした。
そんな中でも、人々は震災から立ち上がろうと、復興に向けて動き出します。壊滅的な被害を受けたまちに活気を呼び戻すため、再開発事業が行われたようです。
おじいさんのお話を聞いていると、気になる”ことば”が登場しました。
それは「震災太り」と「震災貧乏」ということば。
引き続き話を聞いていると
「震災太り」は、震災後の都市開発によって運よく恩恵を受けた人々のこと
反対に「震災貧乏」は、都市開発によって立ち退きを迫られるなどして、復興のさなか不利な立場に置かれた人々のことを指すようでした。
おじいさんが独自に生み出したことばなのか。
おじいさんとその周囲の人達には通用することばなのか。
はたまた、このまちに昔から住む人には通じることばなのか。
詳しいことはしっかりと調べないとわかりませんが、インターネットで検索をかけても出てこないことばでした。でも、おじいさんの口からあれだけ自然に出てきたことばということは、少なくともある一定のコミュニティの間では使われてきた・通じることばなのではないかと考えています。
文献を調べる、情報に溢れたインターネットで調べる。それだけでは、きっと私が知ることのなかった”ことば”です。そして、そのことばの裏にはまちの歴史がありました。
”ことば”を通して、まちの歴史が垣間見えた瞬間。
そして、
方言とはまた違う、まちの人は独自の”ことば”を持っているケースって結構あるのではないか。
そんな仮説が立った瞬間でした。(ちゃんと証明できていませんが…。)
またあのおじいさんとお話したいな
そんな”ことば”をはじめ、まちの歴史の端々をわたしに教えてくれたおじいさん。とっても興味深い内容で、そんなこんなで1時間半ほどしゃべってしまいました。到底このnoteにはすべて書ききれません。
おしゃべりが終わると
「またいつかどこかで。見かけたら声をかけてね。」
そう言っておじいさんは、ドタキャンされたからもう帰るしかないと、おうちに帰っていかれました。
おじいさんのお名前も伺うことなく、当然ご連絡先を聞くこともなく、ある日偶然出会って1時間半しゃべっただけ。振り返ると、なんだか不思議な時間でしたが、まちの歴史をまったく知らなかったわたしの「まちを見る目」が変わった時間でした。
またあのおじいさんとお話したいな。もっと聞きたいまちの歴史がいっぱいある、きっとまた1時間半くらいかけて(笑)教えてくれるはず。
未だにおじいさんとお話しした駅のベンチの横を通るたび、そう思っています。
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自分が住んでいるまちが辿った歴史をすべて追うのは難しいかもしれません。でも、長い歴史の端々だけでも知れば、確実にまちの見え方が変わります。みなさんも、ご自身が住んでいるまちに、ちょっと思いを馳せる時間をつくってみてはいかがでしょうか?
最後までお読みいただきありがとうございました!
*この記事を書いた人*
はるか
おしゃべりめちゃくちゃ好き
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